結婚を別にして、人間は、男と女の
関係が始まったらあとは別れがある
だけだ。これは体験的要素。
問題は、別れがはやい時期におとず
れるか、あるいは少しでも先にひき
のばせるかだけ。
恋の初期があれだけ甘美でめくるめ
くような興奮で満たされるのは、つ
ねにどこかに、いつかこの恋で終わ
ることを恐れる気持ちがかならずか
くされているからである。
あなたは、『空虚』と『傷心』と、ど
ちらをとる?」
「『傷心』を」
なんにもない人生なんていやだとい
うわけだ。たとえ傷ついても、なに
かあったほうがいい。
「私は『空虚』をとる。傷つくのは
いやだ」
そのころの私は思ったものだ。『空虚』
なんて死と同じだと。傷ついたって
いいじゃないか。
あのときこうしておけばよかったのに、
と、取り返しもつかないようなあとに
なって後悔するほどむなしいことは
ない。
やりたいたいことをやって後悔する
なら後悔のしがいもあるが、やらな
かったことを後悔するのは、なんとも
つらいだろう、と。
そんなわけで、私が歩んできたのは、
ずっと例外なく『傷心』の人生だった。
で、あらためて、いま、私は自分に
問うてみるのだ。『傷心』か『空虚』
かと。
驚いたことに、私は、「なにがなんでも
『傷心』に決まっている」と飛びつけ
ないのだ。
若いときの傷のなおりははやい。傷口
はすぐにふさがり、傷あとさえ残らない。
肉体的にもそうだ。ヤケドなどしても、
二~三日で消えてしまう。
ところが年をかさねるにつれて、傷は
なおりにくくなり、傷あともなかなか
消えない。へたをすると、傷口は永久
に残ってしまうこともある。
しかし冷静になって考えると、男と女
の関係、いいではないか。別れもまた
いいではないか。大事なのはどのよう
な別れをするか、その別れの質なのだ
から。
せめて、いい別れ方のできる恋愛であ
るよう、と心をくだくべきであって、
ティーンエイジャーのように尻込みす
るときではない。
いまは秋である。庭を吹く風に透明度
がくわわり、ひんやりと冷たい。
それにしても妙にさびしいものだ。
人間の出会いの最初の段階で、もう
別れ方のあれこれを考えているなんて。