ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

心に咲き続ける薔薇

2020年06月11日 17時04分05秒 | owarai
咲けば必ず散るのが花の
運命だ。

美しければ美しいいほど、
散るのはさぞ辛いことだろ
う、と思うのが人の心だが、
花の心は、どうやらそうで
もないらしい。

堂々と花ひらく薔薇。散る
ことを前提としていながら、
こんなにもいさぎよく、明
るく、美しい。

これまでの自分の生き方は
散ることを怖れて、咲くこと
をためらっていなかっただろう
か?

散ると決まったわけでは
ないときにも、一歩が踏み
出せないことがあったので
はないだろうか?

花は生きている、これからは
違う生き方を選んでいきたい。

『ためらひもなく花季(はなど
き)となる黄薔薇

何を怖れつつ吾は生き来し』



心おもむくままに

2020年06月11日 12時07分15秒 | owarai
「幸せになるには必ずなにかがな
くてはいけなくて、それがあるか
ら幸せなのだ。つまり、外界から
に依存した感情だ。

喜びにはそんなものはいらない。

目に見える理由がなにひとつなく
てもわたしたちをつつみ、まるで
太陽みたいに、自分自身の核を燃
やしながら燃えつづける」

幸せと喜びとの違い。幸せには
「○○だから」というような、
ある程度客観的な理由が存在し、
他人もそういうものさしで人の
幸せを見ている。

が、喜びというのは、人それぞれ
で、何をもって喜びとするか、ど
ういうときに喜びを感じるか、に
客観的な理由というのは存在しな
い。

せつなさと淋しさとの違い。これも
また、幸せと喜びとの違いに似てい
るような気がする。

淋しさには、客観的な理由がある。
この人は淋しそうだなあと、他人
でも想像がつく。でも、せつなさ
は人はそれぞれだ。

そして幸せよりも喜びを――
と同じように考えると、淋しさ
よりせつなさを、たくさん感じる
ことのできる恋愛のほうが、より
素敵かもしれない。

たとえば七夕に、何ら
かの理由で恋人に会えない場合。

淋しさではなく、せつなさ感じる
恋を、私はしたいと思う。

淋しさというのは、他人の目を
気にしたり、自分を中心にして
生まれる感情だろう。みんなは
デートしているのに、とか。

でも、せつなさは、違う。会え
なくても、相手のことを思うから
こそ、生まれる感情だ。

“せつなさと淋しさの違い問う
きみに口づけをせり これはせつなさ“

「君に食べてほしい」と言われ味わえりアイスクリームは何かの隠喩 (いんゆ)

2020年06月11日 08時35分29秒 | owarai
夢の中で、「これは夢じゃない
か」と頬をつねったこと
が、私には何度かある。

「逝きたる人」に会うことは、
それほど信じがたく、またそ
れほど遠くに感じられる存在
なのだ。
にもかかわらず夢に見るのが、
せつない。


“夢の中にはこれ夢かと

思ひをり逝きたる人に

出会ひたるとき“


もちろん、「これは夢か」には
疑問だけではなく、驚きと喜び
もふくまれている。

けれど、その驚きと喜びとは、
夢から醒めたときにはため息
に変わり二重にせつない。

夢から醒めたら次のように歌う
ほかはない。


“不意の出会ひある筈はなし

信号を幾つ超えても

空あるばかり“



YouTube
Marlena Shaw - Feel Like Makin' Love

https://www.youtube.com/watch?v=RK326HjaNTA

現在がもどかしいから未来に今なにが起こっているか知りたい

2020年06月11日 04時48分21秒 | owarai
夢の中で、「これは夢じゃない
か」と頬をつねったこと
が、私には何度かある。

「逝きたる人」に会うことは、
それほど信じがたく、またそ
れほど遠くに感じられる存在
なのだ。
にもかかわらず夢に見るのが、
せつない。

“夢の中にはこれ夢かと

思ひをり逝きたる人に

出会ひたるとき“


もちろん、「これは夢か」には
疑問だけではなく、驚きと喜び
もふくまれている。

けれど、その驚きと喜びとは、
夢から醒めたときにはため息
に変わり二重にせつない。

夢から醒めたら次のように歌う
ほかはない。


“不意の出会ひある筈はなし

信号を幾つ超えても

空あるばかり“


YouTube
Marlena Shaw - Feel Like Makin' Love

https://www.youtube.com/watch?v=RK326HjaNTA

「遠 恋」愛よりも優しくーⅥ―

2020年06月11日 04時40分36秒 | owarai
彼女は何もかも包み隠さず話し
てくれました。

もう、ひとりの胸におさめてお
くのが、苦しくなってしまって
いたのかもしれません。彼女は、
僕が「もうすぐ日本に行くので、
成田空港で待っていて欲しい」
と、

詩音ちゃんに宛てて書いた手紙
を、ファックスして欲しいと渡
し、頼んでいたのに、それをし
なかったこと、留守番電話に入
っていた日本語のメッセージや

詩音ちゃんからのメールをすべ
て消去してしまっていたことな
どを打ち明けてくれました。

 僕は初め、彼女に対して、は
げしい怒りを向けました。正直
なところ、掴みかかってしまい
そうになったほどです。それでも、
今はもう、彼女を許すことにし
ました。

なぜなら、これは前にも詩音ちゃ
んに話した気がするのですが、怒
りはなんの解決方法にもならない
と思うからです。

こんなことを書くと、なんだか
ひどく言い訳めいていると思わ
れるかもしれませんが、人の
気持ちというものは、他人には
絶対にわからないし、理解でき
ない。最終的にはその人だけの
ものだということです。

つまり、チュンユーの行為を責
めるのは簡単ですが、彼女の本
当の気持ちは、誰にも理解でき
ないし、誰にも責められない。
それは責めても仕方がいこと
だと、僕は思ったのです。

僕にも責任があります。詩音
ちゃんへの連絡は人任せにし
たりしないで、自分の手できち
んとすべきでした。

彼女から話しを聞いてすぐに、
詩音ちゃんの部屋に電話をか
けました。でも、詩音ちゃんは
すでに引っ越したあとでした。
実家へも電話しましたが、つな
がりませんでした。

この手紙は、詩音ちゃんの会社
へ送ります。
手紙を読んだら、すぐに連絡を
下さい。
電話のそばで待っています。