君にだけわかる言葉で
合図を送ろう
ひとりぼっちを我慢でき
ない夜
水平線を見つめて
立てる灯台の光りては
消えゆくもの思い
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TEE - ベイビー・アイラブユー
https://www.youtube.com/watch?v=l7z0QXvE1gs
人は誰もが、愛する人に巡り
合いたいと思って生きています。
そして愛する人に巡り合ったと
きは、たとえその人に妻子があ
ったとしても自分のものにした
いと思うでしょう。
そうすると、そこに欲が出る。
永久にこの人を離したくにと思う。
“愛すれば執(しゅう)す、執
すれば着(ちゃく)す“のです。
人はいつでも、自分の都合のいい
ことや快いものが永遠につづくこ
とを願うし、永遠につづくと思い
たがります。
愛の芽生えのころ、燃えさかって
いるところの愛人同士はこの愛が
冷めるなど予想することもできま
せん。
自分の情熱は永遠につづくように
思うし、相手の愛も、自分以上に
長つづきすると信じこんでいます。
世の中のことは諸行無情。人の
心も人の愛も一時もじっとひとと
ころにとどまっているものではあ
りません。
愛は必ずおとろえ、やがて冷める。
情熱は燃えたら灰になります。
二人の愛が度合いや時間で歩調を
あわせてうつろえばいいのですが、
時間にどちらかが先にうつろうと、
とり残されたほうが“失恋”した
ことになります。
失恋というのは、恋の成就しない
ときの片想いだけをいうのでは
なく、恋の成就したあとの破局
のときにもいいます。
愛したとたん、人は苦しむという
覚悟を持つべきです。
ある女性が「カレシは背が高いの」
というときは標準の身長から考え
て、「大体170センチ以上かなー
?」思い浮かべることができる。
そこに共通の基準があるからだ。
イケメンというルックスだって、
もっと抽象的な優しさだって、
大体のことは想像がつく。それ
は皆にとってオープンとなって
いる基準があるからだ。
古いがキムタクがイケメンだっ
たというのは周知の事実だし、
ヨン様のように優しい人がいい、
と言えば「ああいう優しさね」
と納得できる。
ところが、「カレシはセックス
が上手」と言われても、それが
どの程度の上手さで具体的に何
を指すのかは、よくわからない。
大体カレシのセックスを自慢す
る女なんか、見たことないし、
もしも存在したとしても根掘り
葉掘り聞くわけにはいかない。
勝手に想像を膨らませるしかな
いのだ。
でもその想像だって自分の中の
経験値による物差しが基準とな
る。
だから、もしも「カレシはセッ
クスが上手」と三十歳のA子
さんがのたまったとき、五人
の同い年の女友達が「ふうん
」と聞いたとしても、それぞ
て頭の中で想像している「上
手」は皆全然違うことになる。
一人は「サイズが大きいのね」
と思っているかもしれないし、
「テクニシャンなのね」と勝
手に四十八手を想像している
かもしれないし、
「手先が器用なのかしら?」
と考える人もいるだろう。
その物差しもすべて、その
女性が培ってきた経験による
ものなのだ。
三十人以上経験した女性なら、
あんなこともこんなことも考
えて「上手」ということをと
らえるだろう。
でももし一人の男性しか知ら
なければ、それが基準にとな
ってしまう。そもそも自分の
カレシが上手か下手かもわか
らないかもしれない。
女友達が酒のさかなに「実は
ね・・・・」という前置きの
後に吐露する話しで多いのが、
この「基準」が変わったとい
う告白。
柔らかく表現するなら「やっと
目覚めた」という話しである。
例えば、二十代のときに長い
付き合いをしていた同い年のカ
レシとのセックスがずっと
「スタンダード」だと思ってい
た女性が、たまたま三十代にな
って年上の男性とひょんなこと
からエッチをしてしまったとす
る。
それがもうびっくりするくらい
良くて、「セックスってこんな
イイものだったの!」と開眼し
てしまうという経験。この手
の話しは負け犬からよく聞く。
多分、勝ち犬ならば、その自
分が勝手に誤解していたスタ
ンダードの同い年のカレシと
そのまま結婚しているだろう。
そして、永遠に目覚めること
なく、その夫とのセックスが
基準だと思って余生を生きる
のである。
ところが目覚めちゃった負け
犬はいまさら同い年のカレシ
とのあっさりしたセックスで
は満足できなくなる。
果たして、女にとってどちらが
幸せなのであろうか?