今年の一月の誕生日を迎えてまもなくのこと、盛岡で1人60年以上に及び、美容院を開業していた、私の叔母が91才で亡くなった
前の日まで、前の晩まで元気で普通に生活していた叔母が、朝になり体調がかわり、突然に亡くなった
叔母さんの母親、私の祖母と同じ歳に亡くなったが、明らかに、元気にまだまだ生きるだろうと思われていた人だった
盛岡の美容院を三年前に閉じて、宮古市の実家に身を寄せて余生をすごさせたが、春から秋にかけては、毎日のように草取りをして稼いでいた
根っからの、稼ぎとだったから、本人には当たり前の草取り仕事だった
小学生時分は、優秀でそろばんも学校一番だった
成人して、美容師の資格をとり、盛岡にやすいアパートを借りて、そこを、美容院の店にして、開業した
ガス湯沸器もない、風呂もない部屋で、明治の時代の暮らしを今に伝えているような生活ぶりだった
贅沢は一切なし
外食も
カラオケも
旅行も
一切なし
小さい畑をつくってそこで育てた無農薬野菜と、一週間に一度だけ、町へでかけて、銭湯にはいり、帰りは些細な食料の買い物を、ボロボロの黒いリュックに入れて帰る
普段着もボロボロに糸がほぐれた服を、平然と着て過ごしていた人だった
自分が節約して貯めたお金は、全てといっていいほど、親族のためにお金を投げ出した
自分の血筋は相談されたら全て助けてきた人だ
それを、惜しいと思わず、お金を返せと言わず、ただただ血縁者らに、貢いできた
早々耳が遠くなって、会話に苦労させられたが、頭は最後まで、私よりしっかりしていて、記憶力も若い時と変わらずよかった
腰は曲がれど心はまっすぐ、頑固な人で、年寄り扱いすると、周りが叱られてきたもんだ
私にとっては神様だった
葬式の準備に宮古の葬儀屋さんにいったとき、おねだんごはっていて、一度はあきらめた、灯籠があった
このことを、夫にいうと、寄付するから、かってよいよ
というから、喜んで甘んじた
13佛の描かれた灯篭は、仏を33回忌まで送ってあげるのだそうだ
なんとありがたいこと
叔母を宜しくおねがいします
川内のお嬢さんが、通夜の前に一度きてくれて、お経をあげてくださいました
この時のお経が素晴らしくて
体がゆらゆらゆれて、円を描くように、上へ、上へと頭や体が引っ張られて、体が気持ち良く浮かんでいるかのようだった
あれでは、浮かばれたくない仏も、気持ちが良すぎて、天国に上がりたくなるわ
そんな想いにふけながら、有難いお経を、亡くなったおばさんと私は教授していた
和尚さんがお葬式の後、戒名を詳しく説明してくれたとき、美容師をされたかたなので、薫ると、香り、で、薫香くんか、なんとか、かんとか、と、説明してくださったら、私の胸がフワッと嬉しい気持ちになったから、おばさんには、とても気に入られた戒名であったろう
葬式前には、叔母さんのお気に入りのお人形さんをながめて、これを、棺桶にいれたいと、話を私が和尚さんに言ってみた。お人形を、持って、これだけを、もって、自分は、しかたない、あの世にいくからさ。向こうで来いっていっているから、しかたない、人形だけもって、みんなと別れていくよ
なぜか、そう言ってわたしが泣いた
叔母が泣いた
おかんに入れる予定が、ごめん、出棺のとき、ばたついて、忘れて入れなかったよ
あとで、
そっちに送ってあげるから待っててください
戒名をもらい、仏のお弟子さんとして。仏の道を進むことになったおばさんは
いまから、報われてあの世で過ごして下さい
天は、神は、おでんとさんは、
いつでも、誰でも、見ているって、本当に知らされました
努力してまむくわれないってうそだとわかった
努力したら、必ず、それ相応の対価は、いつか、得られる
それまで、待てるかどうか、対価を得たいと思わないでやれるかどうかなだけだと
しみじみしりました
お疲れ様でした
支えてくれて今まで、ありがとうございました
今でもこれからも、ずっと私の神様だよ
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