目黒区の経緯は、昭和7年10月1日に東京府荏原郡目黒町と同碑衾町が合併して東京市に編入され東京市目黒区が誕生します。その後、昭和18年に東京府・東京市が都政施行となりますが、区域は変わらず今日に至っています。
目黒区は、東京23区の南西部に位置し、面積は14.67平方キロメートルで23区全体の2.4パーセントに当たり、23区中16番目の広さです。
目黒区は、武蔵野台地の東南部に位置し、区内は目黒川と呑川の谷が北西から南東に向かい、20から30メートルの深さのとい状の谷をつくっています。
北は渋谷、東は品川、西は世田谷、南は大田の各区に接しています。令和5年2月1日現在で、人口は27.8万人強、世帯数は15.8万世帯強となっています。
目黒区の紋章は、昭和7年10月1日の市郡合併により荏原郡目黒町と碑衾町が合併して、東京市目黒区が誕生した際、区の名称に目黒の文字を使用したためそれまで使われてきた目黒町の紋章をそのまま引継ぎ、目黒区の紋章として慣行的に使用してきました。
目黒区誕生45周年を迎えた昭和52年に、わたしたち目黒区を象徴するものとして、規格を新たに定めて制度化しました。
形は、目黒村の「目」の字を図案化したものだといわれています。六角形の意味については定説もなく、記録が残っていないので明らかではありません。(昭和52年10月1日制定)
区の花は「ハギ」、区の木は「シイ」、区の鳥は「シジュウガラ」です。(以上は、目黒区HPより)
目黒区内は、汚水と雨水を一つの管で流す合流式となっているようです。
目黒区の多くは森ケ崎処理区に該当するようですが、芝浦処理区に該当する区域もあるようです。
森ケ崎処理区は、大田区にある森ヶ崎水再生センターで処理し、東京湾に放流しています。また、一部を砂ろ過してセンター内で機械の洗浄・冷却やトイレ用水に使用するほか、大田清掃工場にも供給しています。
芝浦処理区は、港区にある芝浦水再生センターで処理し、東京湾(運河)に放流しています。また、その一部を繊維ろ過してセンター内で機械の洗浄・冷却・トイレ用水に使用しているほか、オゾンによってさらにきれいにしてから近隣地区にトイレ用水等として供給しています。(以上は、東京都下水道局HPより)
前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
東京都23区内の下水処理は、東京都下水道局が管理・運営していますので、以下のようなデザイン蓋で統一されています。
左蓋が一世代前、右蓋(上部に耐荷重記号「T-20」、中央に管理番号欄)が最新のデザインです。
しかし、区が管理する道路や公園などでは、区章など区を識別できる固有の蓋が設置されている場合があります。
こちらは、インターロッキングブロック型の小型雨水蓋です。
右蓋は中央の区章が90°ずれているようです。
こちらは、コンクリート製の小型蓋です。
用途記載は有りません。
こちらは、インターロッキングブロック型のマンホール蓋です。
用途記載は有りません。
こちらは、側溝の枡蓋でしょうか。
こちらは、防火貯水槽の蓋です。
駒場公園正面入口前に設置されていました。
こちらの蓋は、「電気」と表記されています。
以上で、東京都目黒区のマンホール蓋の整理は終了です。
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