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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

静岡県熱海市のマンホール蓋(その2)

2018-05-29 17:04:05 | マンホール蓋
次回(その2)では、初島で見たマンホール蓋と坂道が多い熱海市なのでスリップ防止模様の蓋を整理します。

最初は、初島で見たマンホール蓋です。
初島は、熱海港から船で30分程で上陸となります。


港付近にはデザインマンホール蓋が設置されています。
上部は、初島とその上空を飛ぶカモメ「市の鳥」、下部には、富士山、サザエ、伊勢海老とヤシがデザインされています。

親子蓋もあります。



こちらは、ハンドホール蓋です。

こちらもハンドホール蓋ですが、用途が書かれていません。
大きな伊勢海老が描かれています。

島の周囲は4km程なので右回りで1周する事にしました。
少し歩くと、左手に初木神社、右手に「丸宮重助記念碑」があり、海よりの所に潮風に錆びたマンホール蓋がありました。



案内板によると、丸宮重助さんは「初島ところ天」の発展の礎を築いた方のようです。

周遊道は、「初島アイランドリゾート」の外周を巡っているようです。
会員制リゾートホテルクラブ「エクシブ初島クラブ」付近では、亀甲模様の「雨水」、「汚水」のマンホール蓋も設置されています。



島を1周した後は、亜熱帯の植物が生い茂るアジアンガーデン「R-Asia」でのんびりしました。


次は、坂道が多い熱海市街で見つけたスリップ防止模様のマンホール蓋です。
最初は、HINODE(日之出水道機器㈱)と書かれた蓋です。


 
こちらは、トミス(㈱トミス)と書かれた蓋です。

こちらは、上部に記号のようなマークが入った蓋です。



こちらは、マークが無い蓋です。


こちらは、熱海市浄水管理センター付近で見かけた蓋です。
JIS模様の親子蓋ですが、用途表示が二つ描かれています。
「水道」と「下水」の文字が書かれた蓋です。

こちらは、「電気」と「下水」の文字が書かれた蓋です。

こちらは、「電話」と「下水」の文字が書かれた蓋です。

不思議な蓋ですね。

今回はここまでとします。
次回(その3)では、ハンドホール蓋と上水道関係の蓋を整理します。
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静岡県熱海市のマンホール蓋(その1)

2018-05-28 16:53:58 | マンホール蓋
現在の熱海市は、明治22年(1889年)熱海村が、伊豆山村、泉村、初島村を合併して、新しい熱海村となり、上多賀村と下多賀村は合併して多賀村となりました。明治24年(1891年)に熱海村は熱海町となり、昭和12年(1937年)4月10日多賀村と合併し市制施行となり熱海市が誕生しました。さらに、昭和32年網代町と合併し現在に至っています。

熱海市は、静岡県の最東部に位置し、神奈川県と接しています。天与の温泉と海山の景観美、住む人々のおもてなしと市政発展への弛みない努力によって発展の道を歩んできました。
面積は、61.78平方キロメートルで、東西幅は 7.52キロメートル、南北幅は13.90キロメートルです。人口は、平成29年12月末日現在で3.7万人強、世帯数は2.1万強となっています。

市章は、梅の花の中に太平洋の波を象徴し、その波の内側に熱海温泉を表したものです。(昭和24年4月10日に再制定)

市の花は「ウメ」、市の木は「アタミザクラ」、市の鳥は「カミメ」です。(以上は、熱海市HPより)

私は熱海市と言えば、何と言っても温泉と梅園ですね。また、「お宮の松」や「貫一お宮像」、「熱海城」やパワースポットとしても有名な「来宮神社」、そして海上に浮かぶ「初島」など観光資源には事欠かかない場所です。
こちらは、熱海七湯の一つ「大湯間歇泉」です。

こちらは、海上から見た熱海城や錦ヶ浦の方向です。

こちらは、海上から見た熱海市街地の方向です。

こちらは、海上から見た初島です。


市の紹介はここまでにしマンホール蓋の整理に移ります。
最初は、綺麗なデザイン・カラーマンホール蓋です。
熱海市は、2017年に市制80周年を迎えたことを記念し「梅と芸妓」と「貫一お宮」の2種類のデザインを製作し、9カ所づつ設置(計18枚)していく予定で、今年の2月6日に来宮駅前に「梅と芸妓」、13日にお宮の松近くの国道135号歩道に「貫一お宮」を設置し、残りの16枚は3月末までに順次設置すると案内されています。

市の花「梅」、そして熱海温泉の文化の象徴である「芸妓」を図案化したもので、「熱海市市制80周年」のロゴマークを配しています。
 
明治時代に熱海温泉を一躍有名にした尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の名場面と「お宮の松」、そして背景の夜空には「花火」を図案化したもので、こちらも「熱海市市制80周年」のロゴマークを配しています。
 

市のHPによれば、熱海市の公共下水道の普及率は、平成29年3月末現在で66.9%です。
雨水を除いた生活排水や事業排水を下水道管に流す「分流式排水方式」を採用しています。

次は、規格模様と呼ばれる蓋です。
JIS規格模様のマンホール蓋です。
用途表示は「下水」となっています。


  
以下は、枠付きの蓋になります。
こちらは、用途表示がない蓋です。



こちらは、用途表示が「下水」となっています。


    
こちらは、枠がコンクリート製で用途表示がない蓋です。


 

次は、コンクリート製の蓋です。


 

こんな蓋もありました。



今回はここまでとします。
次回(その2)では、初島で見たマンホール蓋と坂道が多い熱海市なのでスリップ防止模様の蓋を整理します。

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旧奥州街道のデザインマンホール蓋(三戸町~青森市)その3(最終回)

2018-05-19 20:59:54 | ぶらり散策
その3.では、今回の旧奥州街道のゴールとした青森湊宿(青森市)のデザイン蓋をまとめます。

青森市は、古く明治31年4月1日に市制を施行して青森市が誕生しました。平成の大合併までの間に、油川町、滝内村、大野村、筒井町、横内村、東岳村、高田村、浜舘村、荒川村、新城村、奥内村、原別村、後潟村、野内村を編入、平成17年4月1日に浪岡町と合併して現在の青森市が新設されました。

カラーマンホール蓋は、八重田浄化センターで展示蓋、それ以外は青森駅ロータリー内で見る事が出来ます。
こちらは、浄化センターの入口正面の建物です。
                
こちらが建物を入った場所に展示されている蓋です。
一つは、「ねぶた」と「跳人(ハネト)」をデザインした蓋です。もう一つは、「ねぶた」の武者絵をデザインした蓋です。
青森市では、2017年8月1日に第5弾のマンホールカードを配布開始しています。カードに描かれているマンホール蓋は、こちらに展示されている蓋です。
        
           
こちらは、路上に設置したイメージに編集してみました。
                 
       
以下は、路上に設置されていた蓋です。
こちらは、マンホールカードの蓋と配色が異なるカラーマンホール蓋です。
               

以降は、ノンカラーの蓋です。
  
デザインの異なるノンカラー蓋です。
                 

今回で、旧奥州街道を歩いて出会ったデザインマンホール蓋の整理は終了です。
別の機会に、各自治体毎に整理したマンホール蓋を整理したいと思っています。
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旧奥州街道のデザインマンホール蓋(三戸町~青森市)その2

2018-05-16 11:47:29 | マンホール蓋
今回は、上北郡七戸町から始めます。

現在の七戸町は、平成17年3月31日に旧七戸町と天間林村が新設合併しできた町です。
七戸町も、古来より名馬の産地として知られ、現在は「競走馬のふるさと」となっており、道の駅「しちのへ」には町内産で東京優駿(日本ダービー)を優勝したヒカルメイジとコマツヒカリの像が建てられています。
また旧奥州街道筋では、競走馬の生産から育成までを行っている諏訪牧場の馬達も見る事が出来ます。

馬を抽象化し、中央に大きな馬、周囲に小さな馬を組み合わせ波形の円を描くデザインです。
こちらは「七戸処理区」と書かれたカラー蓋です。
                    
こちらは「七戸処理区」と書かれたノンカラー蓋です。
  
こちらは、用途が書かれているノンカラー蓋です。
            

こちらは、旧天間林村の蓋です。
      

次は、上北郡東北町です。
現在の上北郡東北町は、平成17年3月31日 に旧東北町と上北町が合併して出来た町です。
中央に、小川原湖に浮かぶ町の鳥「」ハクチョウ」、上部には町の花「サクラ」、右側には町の木「甲地赤松」 がデザインされています。
      

こちらは旧東北町の蓋です。
中央に、町の木「甲地赤松」と旧町の鳥「ヤマドリ」、外周に旧町の花「ヤマツツジ」をデザインしています。
               

次は、上北郡野辺地町です。
中央に、町指定文化財「浜町の常夜燈」、右側に町の木「サクラ」、左側に町の鳥「カモメ」、外周に町の花「ハマナス」がデザインされています。
      

次は、東津軽郡平内町の蓋です。
平内町は、ホタテ養殖発祥の地であることからホタテと、町の鳥「白鳥」、町の花「ツバキ」、町の木「マツ」 がデザインされています。
  

こちらは農業集落排水施設の蓋です。
中央の町章を取り囲むように町の花「ツバキ」がデザインされています。
      

こちらは漁業集落排水施設の蓋です。
中央に漁船が3隻、その周りに養殖ホタテ水揚げ高日本一のホタテが取り囲むデザインです。
  
私は、公共下水道、農業集落排水、漁業集落排水と三種類の設備を持つ自治体は今回が初めてです。 


今回はここまでとします。
次回、その3.では今回歩いた旧奥州街道のゴールとなった青森湊宿(青森市)のデザイン蓋をまとめます。     
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旧奥州街道歩き(浅虫温泉駅~青森湊宿(青森駅))2018年春・6日目(最終日)

2018-05-15 11:07:06 | 街道歩き
4月26日(木)街道歩き6日目(最終日)、昨日は雨で早々に街道歩きを断念しましたが、今日は天候も回復しゴールの青森駅まで残り17km、清々しい街道歩きが出来そうです。

今日も朝風呂に入り、朝食を6時30分から採り、不要な荷物をホテルから宅急便で送り、身軽になって青森駅7時52分発の電車に乗り込みます。
前日打ち止めとした青い森鉄道・浅虫温泉駅に8時15分に到着、駅前の旧道を行くと国道4号線に合流、海は少し白波がたっています。
               
しばらく進むと、左手に高野山陸奥護国寺さんの長い登り階段が見えますが、その場で合掌し先を急ぎます。
               
そのまま進むと、4号線の左側の歩道はなくなくなり善知鳥トンネルの入口が見えます。
このトンネル、古くは明治9年に明治天皇が東北巡幸の際に開通したようですが、それ以前の街道は海側に梯子を渡し、打ち寄せる波間を渡る難所だったそうです。

事前調査で、旧街道は海岸線を回る道と峠越えの二つの道があるようで、海岸線の道は4号線右側歩道を進み善知鳥(うとう)トンネルを迂回する遊歩道があるようです。私は、峠越えを決意し資料を見ましたが、出発段階で峠の途中までは道筋が判りましたが下り側は判明しませんでした。でも、いつも通り現地に立てば街道筋は見えてくるだろうと思っていました。

峠道だけあって、とても綺麗な景色を見せてくれます。道筋も、旧道らしい雰囲気が感じられ、内心良かったと安堵していました。
    
峠道には、カタクリやキクザキイチゲが咲き、木々も新緑を迎えクロモジやムシカリも綺麗な花を咲かせています。

良い感じで登って行きましたが、旧道と思われる道は藪に変わり、昨日の雨で水が溜まり、先行していた私は靴の中に水が浸みてきました。
これはダメだと諦め、左手の家が建っている方に進みました。空き家のようで聞く事も出来ず、周辺には旧道らしき道は見当たりません。
                              
諦め、海岸線の道に引き返そうと戻り始めましたが、諦めきれずヤブとなった道の上の方に上ってみると、何と山道が続いているではありませんか!!
  
峠を下ると「谷地山自然歩道」の看板があり、その先には稲荷神社がありました。
想像ですが、藪と化した旧街道はこの自然歩道に繋がるのではないかと、そう想像すると下りにかかった時に自然歩道に繋がる旧道が見えてきたように思います。
     
4号線の「久栗坂」信号を渡り旧道を進みます。
観音寺に参拝し、峠にかかる右手の階段の上に川上神社を望みながら上がって行きます。
  
道端には、ヒトリシズカが咲いていました。野内地区に入ると海岸線にLPGのタンクが見え、さらに下ると青い森鉄道線の高架下を潜りの内宿に入って行きます。
      
しばらく進むと左側に野内番所(野内関所)跡があります。黒石津軽藩と弘前津軽藩との境界で津軽三関の一つでした。
                  
少し進むと、津軽八十八ヶ所第24番札所「當古寺」があり参拝しました。 

                 
野内川にかかる野内橋の手前に、野内駅とコンビニがあるのでトイレ休憩と飲料補給をしました。時刻は11時、ここまで2時間半程かかったようです。
               
橋を渡りしばらく進むと青森市の原別地区となります。街道筋から左に折れたところに稲荷神社があり、こちらの水芭蕉が満開との事なので立ち寄りました。

街道筋に戻り歩を進めます。
右手に八重田浄化センターの広い敷地を見て、赤川に架かる沢田橋を渡ると街道筋は右に分岐し「合浦公園」に向かいます。

「合浦公園」は、
1880年頃、弘前藩の庭師であった水原衛作が自らの手で公園の造成を開始、しかし1885年公園建設の過労で死亡する。
その後を弟の柿崎巳十郎が引き継ぎ、1894年(明治27年)に完成させ、青森町(現青森市)に寄付された公園です。
市街地の公園としては全国でも珍しい海浜公園で、平成元年「日本の都市公園100選」にも選ばれました。
松と石碑の多い公園と言われていますが、桜も満開を迎え、平日にもかかわらずお花見客で一杯でした。
  


前日見ていたテレビで、公園内の屋台で販売する鳥唐揚げが美味しく、安く、量もあると言うので探して購入しました。
テレビのアナンサーの通り、一ツを食べただけでお昼代わりになりました。

12時40分過ぎ、「合浦公園」の中央を通る街道筋を進みます。公園を出ると直ぐ、右手に大きな通りが延びますが旧街道は左手の道です。
浪打公園の右手を通り、堤川を渡ると右手に「莨(たばこ)町小学校」が右手に見えてきます。
その先右手に、レンガ造りの立派な建物「モルトン迎賓館青森のチャペル」があり、その建物の前に、二つ(副士幸次郎、寺山修司の両氏)の顕彰碑があります。
               
左手には、伊能忠敬の顕彰碑がシャトー本町マンションの前に設置されていました。
                                             
その先右手に「青森県立郷土館」があります。少し時間が有るので立ち寄りました。青森県の考古・自然・歴史・民俗・産業・美術のことがわかる総合博物館のようで、思ったより広く、展示も充実し、三内の円山遺跡の出土品や亀ヶ岡遺跡、是川遺跡等の資料の他、世界遺産に登録された白神山地等の自然分野、歴史、民俗、産業等の資料が展示されています。
      
ここから青森駅はそう遠くありません。
右手に「青森県観光物産館・アスパム」を見ればもう直ぐです。
余裕でゴール!!
青森駅14時44分発の電車で新青森駅まで行き、15時52分発の東北新幹線で帰路に着きました。


今秋は、ゴールの三厩に向け歩く予定です。
さて、五街道夫婦で踏破できるでしょうか?

本日の予定歩行距離17km程、歩数計は、31,952歩を示していました。
             
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