行田市は、明治22年4月1日に北埼玉郡成田町、行田町、佐間村が合併し、忍町(おしまち)が誕生します。その後の編入合併もあり、昭和24年5月3日 に忍市として市制施行、即時改称し行田市となりました。その後も一部に編入・分離があり、平成18年1月1日に 北埼玉郡南河原村が行田市に編入合併し、現在の行田市となりました。
行田市は、埼玉県の北部に位置し、南は鴻巣市、北は利根川を隔て群馬県邑楽郡千代田町と邑楽郡明和町、東は熊谷市、西は羽生市と加須市に接しています。ほぼ全域が利根川と荒川の沖積平野で、土地の高低差がほとんどない平らな地形で、総面積67.49平方キロメータの都市です。人口は平成30年8月1日時点で8.1万人強、世帯数は3.4万世帯強となっています。
行田市は、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳をはじめ、日本最大の円墳である丸墓山古墳など、9基の大型古墳が群集する「埼玉古墳群」を有し、埼玉県名発祥の地として知られています。
また、市内には悠久の眠りから目覚め開花した古代蓮など42種類約12万株の蓮の花が咲く「古代蓮の里」、江戸時代の忍藩十万石の城下町を今に伝える「忍城址」のほか、足袋の産地を物語る「足袋蔵」が点在する風情ある街並みなど、豊かな自然と歴史が息づくまちです。
市章は、輪廓は行田の「行」の字を図案化し、中央「十」字と輪廓をもって行田の「田」を形造り、輪廓の鋭角は行田市の発展を意味しています。 (昭和24年5月3日制定)
市の花は「キク」と「古代蓮」、市の木は「イチョウ」です。(以上は、行田市HPより)
私は、行田市と言えば、のぼうの城(忍城)、古代蓮の里、さきたま古墳群、ドラマ「陸王」と足袋、忍城下七福神巡りなど多く思い浮かべます。
こちらは、「古代蓮の里」内にある「古代蓮会館展望室」から眺められる2016年の「田んぼアート」です。
こちらは、「古代蓮の里」内で開催された「たんぼアート」の稲わらを使った、日本最大級の2015年「わらアート」です。
市の概要はここまでにし、マンホール蓋の整理に移ります。
行田市は、平成28年12月1日に第3弾としてマンホールカードの配布を始めました。
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
忍藩10万石の城下町を今に伝える忍城址のシンボル「御三階櫓」と、市の花「キク」を中央に配置し、周囲に市の木である「イチョウ」の葉を 並べたデザインとなっています。忍城は、関東七名城の一つで、豊臣秀吉(石田光成)の水攻めにも落城しなかったことから「浮き城」と 呼ばれています。現在の御三階櫓は1988年に再建され、行田市を代表する観光名所の一つとなっています。行田市は下水道の歴史が古く、 昭和25年に埼玉県内で3番目に下水道事業に着手しました。平成に入って新たな地区を整備する際、下水道に関心を持ってもらおうと、この市民に 親しみのある忍城のデザイン蓋を採用しました。
初めは、マンホールカードに印刷されたデザインから整理します。
中央に忍城 「御三階櫓」と市の花「キク」を配し、その周囲を市の木「イチョウ」の葉で囲むデザインです。
こちらは、マンホールカードの座標軸に設置されている蓋ではありません。機会ができたら、座標軸の蓋も撮りたいですね。
こちらは、色違いとなる「合流」蓋です。
こちらは汚水蓋です。
こちらは用途記載のない蓋です。
忍城 「御三階櫓」とマンホール蓋をセットで撮ってみました。
忍城は、成田氏の居城として知られ、「続日本100名城」や「関東七名城」に登録されています。
石田三成による水攻めは日本三大水攻めのひとつに数えられ、映画にもなった小説『のぼうの城』などで紹介されています。
こちらは、ノンカラーの汚水蓋です。
開閉部分の違いがある蓋が見られます。
こちらは、「下水」の文字を図案化(「下水構え」と呼ばれているようです)した中央に、大きな行田市の市章が描かれています。
下水構えと章を組み合わせたデザインは見ますが、この大きなデザインは良いですね。
こちらも、開閉部分の違いなどある蓋が見られます。
こちらは、コンクリート枠付きの蓋です。
こちらは、蓋の形状が違います。
こちらは、コンクリート製の蓋です。
こちらは、毘沙門亀甲模様の雨水蓋です。
よく見かけるJIS規格模様やスリップ防止模様の蓋は見かけませんでした。
以降は、ハンドホール蓋です。
最初は、中央に忍城 「御三階櫓」と市の花「キク」を配し、その周囲を市の木「イチョウ」の葉で囲むデザインの汚水蓋です。
残念ながらカラー蓋は見付かりませんでしたが、開閉部分の違いがある蓋が見られます。
こちらは、プラスティック製の蓋です。
こちらは、下水構えに市章がデザインされて蓋です。
こちらは、プラスティック製の蓋です。
こちらは、市章の位置に「私設」と書かれている蓋です。
自治体設置の蓋でないのかも知れません。
こちらは、毘沙門亀甲模様の雨水蓋です。
こちらは、亀甲模様の蓋です。
こちらは、上部に中島鋳物㈱のロゴが入った蓋です。
こちらは、汚水と書かれています。
上記以外に、
こちらは、雨水桝の蓋と思われます。
こちらは、駅ロータリー内に設置されている、かなり大きめの雨水と書かれた角蓋です。
以上で公共下水道関係の整理を終了します。
次回(その2.)では、上水道関係の蓋を整理します。
※2021.11.20更新 汚水の空気弁、JIS規格模様(吸水槽、汚水)、排水栓、空気弁の蓋5枚追加しました。
※2021.05.09更新 写真サイズを統一し、これまで撮った写真(マンホール蓋5枚、小型蓋2枚、上水道関係の蓋5枚)を追加しました。
※2020.07.16更新 公共下水道関係の蓋を10枚、上水道関係の蓋を3枚追加しました。なお、追加した写真はサイズを小さくしました。
旧入間郡大井町は、明治22年に大井町、亀久保村、苗間村、鶴ヶ岡村が合併し大井村が誕生し、その後、昭和41年11月に町制施行により大井町となりました。平成17年10月に上福岡市と入間郡大井町が合併し、新たにふじみ野市が誕生し大井町は消滅しました。
旧入間郡大井町は、埼玉県の南西部に位置していた東西約6.0キロメートル、南北約3.5キロメートル 、面積は7.86平方キロメートルありました。人口は、平成17年10現在で4.8万人強、世帯数は1.8万強となっています。
東は富士見市、南は三芳町、西は川越市、北は上福岡市にそれぞれ接しています。武蔵野台地の北部にあり、東方面にゆるく傾斜する、ほぼ平坦地に位置しています。
平成5年に開業した東武東上線「ふじみ野駅」周辺では、土地区画整理事業により、有効な土地利用が図られ、新しい街並みができつつあります。
一方で、昔ながらの畑作風景や、弁天の森、西部地区の「ふるさとの緑の景観地」に代表されるような、雑木林などの豊かな自然が残っています。武蔵野の面影を残す豊かな緑は、鳥や昆虫などのさまざまな生物たちの宝庫です。
江戸時代に整備された川越街道は、中山道・板橋宿で分かれ、上板橋、下板橋、白子、膝折、大和田、大井の六宿を経て、川越城下に至る凡そ10里20丁の街道ですが、大井町は川越街道の街道筋にあり、6番目の宿場・大井宿が置かれていました。
市章は、町制施行5周年を記念して制定されました。大い(大井)の2字を近代的にデザインし、町の躍進発展をはばたく鳥にかたちどり、円をもって住民の円満を象徴しています。(昭和46年11月3日制定)
市の花は「キキョウ」、市の木は「モクセイ」、市の鳥「オナガ」です。(以上は、旧大井町HPより)
私は、板橋宿から旧川越街道に沿って二日をかけて街道歩きをしました。
開発が進む中、往時をしのぶものは少なかった気がしますが、標柱などに案内があり、この案内で往時を想いながら歩くことができました。
町の概要はここまでとし、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、町の花「キキョウ」を全面にデザインしたカラーのデザインマンホール蓋です。
こちらは、用途記載が有りません。
こちらは雨水蓋です。
こちらは汚水蓋です。
こちらはノンカラーの同じデザイン蓋です。
こちらは、用途記載が有りません。
こちらの蓋は、大井町の「おおい」も消されていますので、公共下水道の蓋ではないのかも知れません。
(2020.07.16追加)
こちらは雨水蓋です。
こちらは汚水蓋です。
こちらは浸透槽の蓋です。
こちらの蓋には「ぼうさい」と書かれています。
どんな用途の蓋なのか判りません。
こちらの蓋には、「ゲート」と書かれています。
こちらの蓋は、県流域下水道に接続する手前に設置されているようで、流れ込む汚水の流量調整の役割があるようです。
(2020.07.16追加)
こちらの蓋には、「空気弁」と書かれています。
前記と同様のデザイン蓋なので、汚水の空気弁と考えこちらで整理します。
(2021.11.20追加)
次は、規格模様と呼ばれるマンホール蓋です。
最初は、JIS規格模様の蓋です。
こちらは、用途が書かれていない蓋です。
(2021.05.09追加)
こちらは、左蓋の上部に「M8」、右蓋の上部に「AV-2」の記号があります。
(2021.05.09追加)
こちらの蓋には、下部に「YM-2」の記号があります。
(2020.07.16追加)
こちらは雨水蓋です。
左蓋の上部には「M8」の記号があります。
(2021.05.09追加)
こちらは、雨水吸水槽の蓋です。
(2020.07.16追加)
こちらの蓋は、「吸水槽」の文字しかありません。
(2021.11.20追加)
こちらは汚水蓋。
(2020.07.16追加)
(2021.11.20追加)
こちらは、左蓋の上部に「M8」、右蓋には「AV-2」の記号があります。
次は、亀甲模様の汚水蓋です。
(2021.05.09追加)
次は、毘沙門亀甲模様の蓋です。
こちらの蓋には用途記載が有りません。
(2021.05.09追加)
こちらは汚水蓋です。
こちらは、スリップ防止模様の蓋です。
影が入ってしまいましたが、最近は傘を持ち歩き、日差しで影がある時はマンホール蓋全体を傘の陰にして撮るようにしています。
こちらは、コンクリート製の蓋です。
用途記載がありません。
(2020.07.16追加)
次は、ハンドホール蓋です。
マンホール蓋同様のデザインを見付ける事ができました。
こちらは、用途が書かれていない蓋です。
こちらは汚水蓋です。
(2021.05.09追加)
(2020.07.16追加)
こちらは、毘沙門亀甲模様の蓋です。
こちらは汚水蓋です。
(2021.05.09追加)
こちらは汚水枡の蓋です。
(2020.07.16追加)
こちらは、コンクリート製の蓋です。
こちらは、用途記載がありません。
(2020.07.16追加)
こちらは汚水蓋です。
こちらは、雨水桝の蓋です。
次は、上水道関係の蓋を中心に整理します。
最初は消火栓の蓋です。
こちらは、防火用水槽の蓋です。
一見して大井町と判断できる文字やマークは無いようです。
こちらは、空気弁の蓋です。
(2021.05.09追加)
(2021.11.20追加)
次は、仕切弁の蓋です。
(2020.07.16追加)
(2021.05.09追加)
次は、制水弁の蓋です。
こちらは、排水弁の蓋です。
(2021.05.09追加)
(2021.11.20追加)
最後は、かなり古そうな蓋です。
こちらの蓋にかかれている章は、「大井」+「水」の文字を組み合わせ、デフォルメしているように見えます。
担当部署に問合せしたところ、大井浄水場内にも同様の章が付いた蓋があるとの事ですが、ハッキリした事は判りませんでした。
ただ、「大井村」の時代に作成された「村章」または「大井町」の町章のプロトタイプではないかとの意見があったようです。
こちらは、制水弁の蓋です。
こちらは、空気弁の蓋です。
以上で、旧大井町のマンホール蓋の整理を終わります。
荒川区の経緯は、昭和7年10月1日に東京市域拡張に伴い、北豊島郡南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町が東京市へ編入、4町の区域をもって東京市荒川区が発足、昭和22年5月3日に地方自治法が施行され、荒川区は特別区となり、現在に至っています。
荒川区は、東京23区の東北部に位置し、面積は10.16平方キロメートルで、広さは23区中22番目です。区は東西に長く、隅田川が区の北東部を迂回して流れ、南千住、荒川、町屋、東尾久、西尾久、東日暮里、西日暮里の各地域があります。
区内の大部分はほとんど起伏がなく平坦ですが、南西部には山手台地の一部があり、通称諏訪台、道灌山と呼ばれる高台となっています。
令和3年10月1日現在で、人口は21.6万人強、世帯数は11.7万世帯強となっています。
区章は、上部半径を中心の字へ連続して「ア」とし、中心水平線と下部半径を「ラ」、中心の縦三本が「川」で、全体の円形は和を象徴しています。(昭和25年5月25日制定)
区のシンボルマークは、区制施行75周年を記念し、平成20年1月4日に制定されました。
「ARAKAWA」の「A」という文字と「人の力」や「元気」を図案化し、組み合わせたものです。また、「人の和(WA)」という意味も表しています。
朱色は昇る朝日や人情の温かさを表し、緑色は常緑樹の葉の色(常盤色)で、「永遠」や「不変」を表しています。
区の花は「ツツジ」、区の木は「サクラ」です。(以上は、荒川区HPより)
荒川区の下水処理は、雨水と汚水を一緒に処理する合流方式を採用しています。荒川区の下水は荒川区にある三河島水再生センターで処理され隅田川に放流されます。
前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
東京都内23区内の下水処理は、東京都下水道局が管理・運営していますので、以下のようなデザイン蓋で統一されています。
左蓋が一世代前、右蓋(上部に耐荷重記号「T-20」、中央に管理番号欄)が最新のデザインです。
しかし、区が管理する道路や公園などでは、区章など区を識別できる固有の蓋が設置されている場合があります。
こちらは、荒川遊園通りで見かけた雨水の側溝蓋です。
中央に、区の木「さくら」、左下に「あらかわ」の文字があります。
こちらは、電線共同溝(CCBOX)の蓋です。
こちらも電線共同溝(CCBOX)の蓋ですが、中央の区章が区のシンボルマークとなっています。
こちらは、防火水槽の蓋です。
右蓋は、中央に区章やシンボルマークなどが有りません。
こちらは、災害用トイレの蓋です。
設置時期によりタイプがあるようで、こちらは「東尾久五丁目防災広場」で撮りました。
こちらは、「ゆいの森あらかわ」で撮りました。
こちらは、中央に区章があります。
最後は、地籍図根点の蓋です。
以下は、荒川区の蓋ではありませんがメモとして掲載します。
こちらは、昭和2年から昭和7年にかけて旧北豊島郡尾久町(昭和7年からは荒川区尾久町)に整備された下水道の蓋で、今は使用される事なく八幡児童遊園(西尾久2-5-9)に記憶として残されています。
中央は旧尾久町の町章で、カタカナの「ヲ」を九つ並べ「ヲク」(尾久)と洒落たデザインとなっているようです。
以上で、東京都荒川区のマンホール蓋の整理を終了します。