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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

神奈川県川崎市のマンホール蓋(その2)王禅寺ふるさと公園

2023-08-31 23:26:23 | マンホール蓋

今回は、王禅寺ふるさと公園に設置されているマンホール蓋を整理します。
王禅寺ふるさと公園は、麻生区に位置する面積約11ヘクタールの広々とした公園で、川崎市制60周年記念事業として現況の地形、周りの林などを大切に守りながら、誰もが安心して遊べる水とみどりの公園として整備された、市内で4番目の総合公園となるようです。

以降のマンホール蓋の注釈は、以下の川崎市HPにまとめられている内容を書き写しています。
https://www.city.kawasaki.jp/asao/cmsfiles/contents/0000123/123722/manhole.pdf

こちらの公園には、麻生区の自然と歴史にちなんだモザイク絵がはめ込まれた「王禅寺ふるさと公園」にしかないマンホール蓋が30種類設置されています。絵にはグー、チョキ、パーのどれかと数字がついていますので、あなたのアイデアで楽しい遊び方を考えてくださいとの事です。ただ、はっきり読み取れる写真は少ないです。

1.ノスリ
 ワシやタカと同じ種に属する小型の猛禽類です。つばさの長さは35センチくらいで、ネズミやヘビ、カエJIなどを捕食します。早野や 
 黒川の山地の上空を、円を描いて飛んでいるのをたまに見かけます。安全な巣を作れる揚所とエサになる小動物 のいる山地が少なくなっ  てしまいました。ノスリやサシパのようなタカ科の猛禽類が住んでいるということは、自然が豊かであるという大事なめやすです。
 

2.イタチ
 麻生区は、「緑豊かな」と表現されてきましたが、通路や宅地の開発におされ、 野生動物も住宅難の時代になってしまいま した。
 造成工事があって山地がけずられると、その地つづきの近辺にタヌキやムジナ(アナグマのこと)が出てきて、夜道を横切 ったのを見  
 たとか、庭にえさを置いておくと食べていったとい った話をききます。
 白山の団地の商店街裏の池は「ムジナが池Jといいますが、むかしこのあたりにムジナが住んでいたので、そう呼ばれるようになったの   
 です。 ムジナもタヌキも、 そしてキツネもイタチ も、このあたりのどこにでもいた動物でした。
 この公園でも、工事が始まる前には1メー トル四方もあるタ ヌキのフン(タメクソ)を見つけたことがあります。
 

3.古代牧場
 昭和47年(1972)のこと、 早野の聖地公園区域内の一画にある横穴古墳の中に、 馬や、 牧場の主かと思われる人の顔を刻んだ線
 刻画が見つかりました。7~8世紀(奈良時代初期)のものだろうといわれています。 当時、このあたりには献上馬の 牧場があったと
 いわれ、 横浜市緑区の石川町の地名は古代牧場、石川牧からおこったといいます。
 また、万葉集には、「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山歩ゆか遺らむ」(4417)という歌もあり、良馬の産地であっ たのです。 
 

4.ヤマユリ
 百人もの人が力を合わせて切り聞いた丘の意味の百合丘には、また野生のユリがたくさん咲いていたといいます。 白い大きな花があちらはもこちらにも咲いていて、においにむせかえるほどだったと、開発の前の様子を知っている人が話してくれ ました。ユリは神奈川の県花になっています。
 

5.ホタル
 幼虫は、田や小川のカワニナをエサにして約1年で成虫にな ります。 6 、7月ごろ、夕方7時すぎに、黒川や早野、目吉の あたりで見 
 られるのは、大体へイケポタルです。このへイケボタルより 一まわり大きく、6月初めに出てくるゲンジボタルも、わすがながら、ま
 だ生息しています。
  今は、見られる場所も数も少なくなりました。きれいな水の流れるところが少なくなったからです。 この公園でもホタルが見られるよ
 うになるといいですね。
 

6.キキョウ
 秋の七草の仲間、キキョウ、ナデシコは夏の終わりから秋にか けて、山地や川辺の草地ならどこででも見られたものでした。花屋さんに
 ある花のように、はでな目立つ花ではありませさんが、ナデシコもキキョウもか細いながら、力強い姿をしてい ます。
 黒川の谷戸田のきわに咲いていた力ワラナデシコを見つけた ことがあります。このうす桃色の花は、きっと田で働く人の目をやすめたこ
 とでしょう。
    

7.タヌキ
 2.イタチを参照
 

8.カワラナデシコ
  6.キキョウを参照
 

9.万福寺ニンジン
 今の麻生区役所、麻生郵便局から百合丘にかけての地名を万福寺といいます。 今は, どんな寺であったか、 どこにあったか全くわかり
 ませんが、昔、そのあたりに、万福寺という寺があ った名残りです。
 この万福寺辺りの特産品は、 ニンジンでした。本当は、「万福寺鮮紅長大人参」というその名の通り、色のあざやかな、とても細長い人
 参で、昭和29~33年(1954~58)には、連続、日本一の人参として農林大臣賞をとりました。
 が, だんだん西洋人参におされて、今は、満ノロの山岸正明 さん一人が、わすかに栽培を続けていらっしゃるだけです。今の百合小の
 あたりが、日本一の人参畑でしたは、川崎には農策経営に研究熱心な人たちが多いのです。
 

10.禅寺丸柿
 禅寺丸柿は. ピンポン玉より少し大きくて色もあざやかな甘味の濃い柿です。柿生のあたりの農家の庭には、必ずといってもいいくらい
 植えられていて、小田急線治いの秋をいろどっています。 ごの柿が、柿生の名産になったことについては、こん な話が伝えられていま
 す。
 柿の名前のもとになった王禅寺は、延喜17年(917)に建てられた古い寺で、室町時代には、関東の高野山といわれたほど栄えまし
 たが、元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉を攻めた時に、焼かれてしまいました。 その後、建徳元年(1370)、等海上人が朝廷の
 命令で再建しました。上人は寺を建てる材料を探して山中を歩きました。 その時、赤くかがやく小粒の甘い柿を見つけたので、枝を折っ
 て持ち帰り、接ぎ木をしたのがはじまりといわれます。等海上人は村人に、この柿を増やして、村の 特産品とするようにすすめました。
 その後、江戸時代になってから、領地の見まわりに来た家康が、王禅寺丸と名づけるようにと言ったそうです。いつか王の 字がなくなっ
 て、禅寺丸柿と呼ばれるようになりましたが、この柿を江戸へ持っていくと、他の柿の3倍から4倍の値で売れ たといいます。小田急線
 が開通するまで、禅寺丸柿は、朝早く 読売ランドの辺りから多摩川を渡って、東京へ出荷されていま した。今の地名の「柿生」も、も
 ともと柿のたくさんなるとこ ろの意味でつけられたものです。

 王禅等の境内には、禅寺丸の原木といわれる木があり、そのそばには、 詩人、北原白秋の詠んだ、
  柿生ふる柿生の里
  名のみかは禅寺丸柿
  山柿の赤きを男れば
  まつぶさに秋は聞けたり
 の歌碑が建っています。
 

11.オオムラサキ
 麹Iは、濃紫にほんの少しの黄、黒、うす青で彩色されていま す。ひろげると10センチほどにもなります。優美に舞う姿は、国蝶の名 
 に恥じません。 オオムラサキの幼虫は、エノキの葉を食べて育ちます。成虫はクヌギやコナラなどの樹液が食料で す。オオムラサキは
 環境の変化に敏感なチョウで、生息には広い雑木林を必要とします。
 昔はエノキは目じるしの樹として衛道沿いに多くありましたが、今はエノキや雑木林が少なくなったこと、美しく大きいためにチョウの
 収集家にとられたことで、麻生区内では早野や黒 川でほんのわずか生息しているだけになりました。
 この公園にもエノキが数本ありますが、オオムラサキの見られる公園になってIましいですね。
 

12.メダカ
 緑の葉がそよぐ田んぼが、そこここに連なっていたころは、田に水を引く用水や小川には、メダカが群れて泳いでいまし た。ドジョウも
 いました。 ザルですくえぱシジミがとれまし た。力ラスガイもありました。人がふえ、田んぼがなくなり、川が汚れるにつれ、この近
 くでは男ることができなくなりまし た。
 

13.黒川ナシ
 大師河原村(今の川崎区)では、江戸時代の天保のころ(1830年代)から、ナシの栽培が盛んでした。その河原村に当麻辰次郎とい
 う人がいて、明治26年に甘くて収穫の多いナ シの品種改良に成功しました。 辰次郎の屋号が長十郎なので、このナシは「長十郎ナ
 シ」と命名されました。 その後ナシの栽培は、栽培に適した砂地の多摩川治いを上流に移ってきまし た。
 黒川の地質も稲城砂層なので、ナシの栽培に適しており、お いしいナシができます。それで特別に黒川ナシの名称で呼ばれています。  また.大師河原辺では普からモモやイチジクの栽培も盛んでした。黒川でも、モモやリンゴを作って町の活性化に努力している人たちが
 大勢います。
 

14.キジ(ヤマドリ)
 この公園の工事が始まったばかりのころ、日あたりのよいしげみのそばに、ひとつがいのキジをよく見かけました。オスは 緑、青、赤な
 どが複雑にまじり合った美しい羽でおおわれてい ます。首と長い尾を優雅にのばして、静かに歩きます。メスは地昧なうすい茶色で、少
 し小柄です。
 似たような色合いで、ーまわり大きいのがヤマドリです。 キ ジもヤマドリも、早野から寺家にかけての山中で、時々見るこ とができま
 す。首は、このあたりにたくさんいたことでしょ う。キジが住めるような公園になってほしいですね。
 

15.ノウサギ
 ウサギはおくびょうな動物ですから、人の気配のある所へは 出てきません。が、草むらやしげみのそばなどを注意深く見る と、あうす
 茶色のころころした甘納豆のようなフンがあるので、ああ、ノウサギがいるな、とわかります。この公園の近くにも まだいるようです。
 

16.岡上のカボチャ
 川崎の飛び地、岡上の自慢の産物lは、カボチャでした。今、八百屋で売られている西洋カボチャとは還って、皮にしわが多 く、表面に
 深いみぞが何本も走った、濃いみどり色のカボチャでした。溝ノ口や、原町田の朝市に出荷されていました。
 

17.弘法の松
 弘法大師が、諸国行脚をした時、なだらかな山谷つづきのこの地が気に入り、仏教布教の殿堂を建てようとしました。しか し、百には谷
 が一つ足りなかったので残念に思って、代りにその丘の上に黒松を植えたのが、弘法松の由来だという伝説があ ります。 ここは江戸時
 代には、津久井街道という大事な交通路の柿生、長沢方面への別れ道でした。尾根づたいの困難な遣で、近く(南百合小近くの送電塔の
 たっているあたり)には、旅人 の休む茶店があったといいます。
 弘法の松は. 高さ30メ ー トル、幹のまわりは8メー トルあ ったといいますから、よい目印だったでしょう。昭和31年
  (1956) 12月、いたずら者の焚火の不始末で燃え、枯れてし まいました。今は2代目の松が育っています。 この松のある弘法松公
 園は、富士山、丹沢の山々の眺めのよい公園です。
 

18.縄文土器
 多摩川、鶴見川にはさまれた麻生区一帯と、その周辺の稲城、横浜市緑区のあたりには、大昔から人々が主活していまし た。黒川では、
 営農団地造成工事予定地から、2万年苗の石刃と掻器が出士しています。 これらは皮を細工する時使ったもの です。
 また、縄文時代の住居跡や、獣をとるための落し穴の跡も. 岡上や山口台でたくさん発見されています。川に近いなだらかな丘陵地は、
 獲物になるイノシシやシカなど動物も多く、気候もおだやかで住みよかったのでしょう。
 今、私たちの家が建っている所でも、2500年もの昔には、石刃や石鏃を持った人たちが獲物をうちとめて歓声をあげた り、野草をつ
 んでいたと考えると、楽しい気持ちになります。
 

19.関東ゾウ
 昭和 2 年( 1927)3 月、万福寺507に住む才沢さんは、物置を作ろうと、裏山の崖をけずっていました。3~4メートル掘った
 時、30~40センチもある大きな化石が出てきたのです。 専門家の鑑定で、それはゾウのあごと歯の化右であることがわかりました。
 今から200万年前(鮮新世末から洪積世初期}に、このあたりの温暖な森林地帯に生息していたステゴドン象の一種で、体長2 ~ 3
 メートルの「あけぼの象Jと呼ばれる種類でした。 今、この化石の標本は、生田緑地内の川崎市立青少年科学館で見ることができます。
 

20.カブトムシ
 1970年代までは、カフトムシもクワガタも、このあたりの 雑木林の主役でした。 夏になると、男の子たちは、これと思う樹に、前
 夜砂糖水や、ハチミツを塗っておき、翌朝早くつかまえにいきます。そして友だちと大をさを競い合ったりしたものでした。 雑木林がな
 くなると、卵をうむ所も、食料の樹夜も無くなり、今では人工で育てて、デパー トや八百屋の店先で売られるという、おかしなことにな
   ってしまいました。
 

21.岡上のクジラ
 昭和44年(1969)の夏のこと、市立柿生中学2年生だった田部井祐介君は、岡上のがけ地で、クジラの肋骨の化石を発見しました。今
 から2000万年前には、多摩多摩丘陵は海底にあった のです。クジラの肋骨は、海がこの近くまで来ていたという証拠です。
 

22.タマノカンアオイ
 ウマノスズクサ科のカンアオイの亜種で、生田緑地の近くで発見されました。伝播の速度が遅いので、分布地域の限られた貴重な植物で
 す。 このような植物には、開発は致命的な痛手です。
 

23.常安寺のカッパ
 むかし、谷本川(鶴見川の支流)に平六というカッパが住んでいたそうな。 ある晩、利平じいが、畑のキウリを盗んでいる子どもをつか
 まえてみると、なんと力ツパの平六だったそうな。
 平六は逃げようとして、頭のサラの水をこぼしてしまい、利兵じいに左手をとられてしまったと。 利兵じいは家に帰ると、カッパの左手
 をいろりの自在かぎにさげておいたそうな。すると平六があやまりに来て、「以後、キウリは盗まぬと誓い申し上げ候。 河童平六、これ
 を書す。」と証文を書いて、手にすみ をつけて、手形をおしたんだそうな。
 平六は、それからは畑を荒らさなくなったけれど、平六をか わいそうに思った利兵じいは、平六のために時々川にキウリを 流してやっ
 たということだ。その証文は、常安寺が天文11年(1542)、 火事で焼けるまで、寺にあったιいうことです。
 

24.鶴見川のツル
 鶴見川の名の由来は、ツルがたくさん来る川だったことにあ そうです。青く晴れた空のかなたに白い富士山が浮び、ツル の群れが舞い
 降りている昔の鶴見JIIを想像してみて下さい。 川にはツルの好物の魚や虫がたくさんいたでしょう。
 江戸時代には、このあたり一帯は徳川将軍家のお狩場でした。明治になって狩猟が大衆化した時、目立つ鳥のツルは争っ て捕りつくされ
 てしまったのです。
 

25.イシガメ
 イシガメやクサガメは、沼や池、川に住んでいる日本の代表的なカメです。川がコンクリートで護岸され、沼地が埋められたり干上がっ
 たりしてしまった今では、ほとんどいなくなりましたが、ひと昔前までは、子供たちに人気のあったペットでし た。時折、早野の上池な
 どで甲羅干ししているのを見かけるこ とがあります。 
 

26.アカマツとハルゼミ
 ハルゼミは、4月すぎに地中から出てきて、松林の中で「いい季節だよ、力ルルル、ー番のりだよ、ミーンミーン」と鳴きます。マツ
 は、15年戦争の終りごろ、松根油をとるためにたくさ ん切り倒されました。残った木もマックイムシなどの害虫にやられて、急速に滅
 りました。松林がなくなったので、今はも う、ハルゼミを見ることができません。
 

27.王禅寺の草競馬
 この公園の南側にそって、一本の道が通っています。昔は、王禅寺の境内だったところですが、小山の背になっていて、北側斜面(今の
 公園)には田んぼが、南側には畑がありました。 この道で、大正時代、農作業のひまな時期に、草競馬が行われていたといいます。
 馬は、農作業になくてはならない動力でしたが、草競馬は、農閑期(1~3月ごろ)に人も馬も一緒に楽しんだ螺楽でし た。 今も、こ
 の馬場道の地面にたってみると、馬が土をけってかける音や、馬に声援を送る村人のかん声が聞こえてくるかも しれません。
 

28.カワトンボ
 カワトンボは、きれいな流れがある所では、どこでも見かけることができます。長さ4センチほどの、金緑色の細い胴体のトンボです。
 黒川の三沢川、栗木の片平川か流れ出すところでは、たくさん見かけたものでした。
 

29.サワガニ
 甲羅の大きさが1.5センチぐらいで、緑茶色や掲色のこの小さなカニは、水のきれいな小川や、わき水の岸辺に住んでい ます。サワガ
 ニの名のとおり、山の沢にたくさんいます。麻生区内には、鶴見川や多摩川につながる川の源流がいくつもありましたから、サワガニも
 いました。今はその源流が殆どなく なり、サワガニの姿もまれになりました。
 

30.亀井六郎と僧兵
 亀井六郎は義経四大王の一人といわれた鎌倉時代の武士で、月読神社近くの亀井原にその館の跡があります。今は警察団地になっていま
 す。弓の名人で、亀井館から能ケ谷の真光寺川の橋をねらって射た矢が見事命中したので、その橋は矢崎橋と呼ばれるようになったと伝
 えられています。栗木や町田広袴にも亀井の地名があり、六郎の領地の広さを示しています。亀井六郎は義経に従って、奥州高館で討死
 をとげたといわれています。
 

以上で、その2.王禅寺ふるさと公園の整理は終了です。
その3.では上水道関係他の蓋を整理します。

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埼玉県狭山市のマンホール蓋(その2)上水道関係他

2023-08-28 11:37:00 | マンホール蓋

※2022.08.28更新 防火貯水槽の蓋1枚、仕切弁の蓋1枚、災害対策用設備に係わる蓋7枚を追加しました。

今回は、狭山市で出会った上水道関係他の蓋を中心に整理します。

最初は、消防関係で消火栓の蓋と防火貯水槽の蓋です。
こちらは消火栓の蓋です。
消防車を背景に、狭山市公式イメージキャラクター「おりぴぃ」が消火活動を始めようとしているようです。
左右の蓋では、消防車のタイプが違っているようです。
 
こちらは、他の自治体等で見かけない蓋です。
左蓋は双口消火栓、右蓋は単口消火栓の形をデザインしているようです。
 
こちらは、消防士が消火活動中のデザインです。

こちらの消火栓蓋は、規格模様と言って良さそうです。
  
 
以降は、角蓋です。
古そうな角蓋ですが、こちらの蓋の章は「水」の文字(上部)と市章(下部)が組み合されています。
  
 
こちらは、縦型の蓋です。
  

狭山市消防本部は、昭和41年11月に開設されました。その後、埼玉県消防広域化推進計画に伴い平成25年4月埼玉西武消防組合が埼玉県所沢市、入間市、狭山市、飯能市、日高市の5市により組織された事により解散となりました。

次は、防火貯水槽の蓋です。
古そうな蓋から整理してみます。
  
  
 (2026.08.28追加)

  
  
 
こちらの蓋は、埼玉西武消防局と書かれています。

次は、上水道関係の仕切弁の蓋です。
こちらは、他の自治体等で見かけない、仕切弁の形をデザインした蓋のようです。

こちらは、サイズが小さな蓋です。
  
 
(2023.08.28追加)
こちらは、サイズが大きな蓋です。
  
  

こちらは角蓋です。
  

こちらの蓋にはSVと書かれていますが、ソフトシール弁と思われます。
  
 

こちらは、バタフライ弁です。
 

こちらは、制水弁の蓋です。
 
制水弁に関しては、下記のように「水」のマークの一般的な蓋は見付かりましたが、今のところ狭山市のマークのある蓋は上記の二種類しか見つかっていません。

こちらは、空気弁の蓋です。
こちらは、他の自治体等で見かけない、空気弁の形をデザインした蓋のようです。

上記以外にも色々見つかりました。
  
 
こちらは角蓋です。
 
 

こちらは、排水弁の蓋です。
  

こちらは、排水室と書かれた角蓋です。

こちらは、排泥弁の蓋です。
 
こちらは角蓋です。

他にも以下の種類の蓋が見つかりました。
こちらは、流調弁の蓋です。
 
こちらは、調整弁の蓋です。

こちらは、逆止弁の蓋です。

こちらは、排気弁と書かれたかなり古そうな蓋です。

こちらは、減圧弁と書かれた蓋です。三方向に出っ張りがありしっかり止められています。

こちらは、流量計と書かれた蓋です。上記同様に三方向に出っ張りがありしっかり止められています。

こちらは、量水器の蓋です。
こちらの蓋の章は「水」の文字(上部)と市章(下部)が組み合されていますので、古い蓋と思われます。
 

こちらは、狭山市中部備蓄倉庫付近に設置されている災害対策用設備に係わる蓋です。
こちらは全景です。

左蓋は「緊急遮断弁室」、右蓋は「給水室」の表記があります。
 (2023.08.28追加2)
左蓋は「浸透井」、右蓋は「非常用消火栓室」の表記があります。
 (2023.08.28追加2)

こちらは、狭山市東部備蓄倉庫付近に設置されている災害対策用設備に係わる蓋です。
こちらは全景です。

左蓋は「緊急遮断弁」、右蓋は「給水栓」の表記があります。
 (2023.08.28追加2)
こちらは「消火栓」の表記があります。
(2023.08.28追加)

こちらは、水富交番裏で見かけた飲料水兼用耐震性貯水槽設備に係わる蓋です。
下の写真は、緊急遮断弁装置です。

左蓋は給水室の蓋、右蓋は緊急遮断弁室の蓋です。
 

こちらは、狭山市駅近くの踏切の側で見つけた電防と書かれた蓋です。

最後は、公共基準点の蓋です。
左蓋は2級公共基準点、右蓋は1級公共基準点ですが、デザインの違いはありません。
 

以上で、その2.上水道関係他の整理は終了です。
次回その3.では狭山市内で見つけた他自治体の蓋を整理します。



 

 

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群馬県吾妻郡嬬恋村のマンホール蓋

2023-08-20 21:25:48 | マンホール蓋
※2023.08.19登録 新たに掲載しました。
 
嬬恋村の経緯は、明治22年の市町村制の施行に伴い、かつての田代・大笹・干俣・大前・門貝・西窪・鎌原・芦生田・今井・袋倉・三原の各村が合併し現在の嬬恋村が誕生し、現在に至っています
 
嬬恋村は、群馬県の西北部に位置し、東は長野原町・草津町に、西・南・北の三方は長野県に接しています。村の東部を除く外周には、浅間山・湯の丸・吾妻山(四阿山)・白根山などの標高2,000m級の山々が連なり、日本の大分水嶺をなしています。
面積は337.58平方キロメートル、令和5年8月1日現在、人口は9.5千人強、世帯数は4.4千世帯強です。
 
村名の由来は、第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。
 
村章は、外輪は嬬恋村の特産であるキャベツを図案化したもので、中央は「嬬」の図案化で全村の円満なる発展を祝福したものです。 (昭和25年10月6日制定)
村の花は「リンドウ」、村の木は「シラカバ」、村の魚は「ヤマメ」です。
 
嬬恋村の公共下水道は、特定環境保全公共下水道として嬬恋処理区(嬬恋村大字三原・芦生田・袋倉・大笹・大前・西窪・鎌原・今井)に設備され、汚水は「嬬恋村水質浄化センター」で処理され吾妻川に放水されるようです。
また、農業集落排水処理施設は、田代地区、干俣地区、半出来地区、門貝地区の4地区で設備されているようです。
                                                 (以上は、嬬恋村HPより)
それでは、前置はここまでとしてマンホール蓋の整理を始めます。
最初は、特定環境保全公共下水道に関わる蓋です。
こちらは、嬬恋村水質浄化センター内のカラー展示蓋です。
嬬恋村の自然環境を基調に村の魚である、清流を泳ぐヤマメと村民の心の山である浅間山、レンゲツツジ等をデザインしたものです。
右の写真は、嬬恋村水質浄化センターの入り口から施設内を撮っています。
 
こちらは、センター内の入口付近に設置されているカラー蓋です。
唯一、設置されたカラー蓋です。

こちらはノンカラー蓋です。
 
こちらは親子蓋です。
  

 
こちらは、農業集落排水施設に関わる蓋です。
こちらは、嬬恋村水質浄化センター内のカラー展示蓋です。
田代地区の基幹産業である高原キャベツを中心に、夏の田代をイメージしたデザインのようです。
なお、実設置のカラーデザイン蓋は無いようです。
右は、村内で見られるキャベツ畑の写真です。
 
こちらはノンカラー蓋です。
田代地区で撮りました。
 
こちらは親子蓋です。

 
こちらの小型蓋は田代地区で撮りました。
上記のデザイン蓋以外で撮った規格模様の蓋は唯一こちらの蓋だけでした。
右の写真は、中央の村章を拡大したものです。
 
 
以降は、上水道関係の蓋です。
こちらは、仕切弁の蓋です。

 
こちらは、空気弁の蓋です。
 
 
こちらは、制水弁の蓋です。
 

 
こちらは、防火貯水槽の蓋です。
 
以上で、吾妻郡嬬恋村のマンホール蓋の整理は終了です。
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東京都町田市のマンホール蓋(その2)上水道関係他

2023-08-19 15:45:52 | マンホール蓋

※2023.08.19更新 消火栓の蓋3枚、防火貯水槽の蓋3枚、電線共同溝(CCBOX)の蓋3枚、電気の蓋1枚、基準点の蓋1枚を追加しました。

今回は、町田市で出会った上水道関係の蓋を中心に整理します。

町田市は、昭和50年4月1日に上水道事業を東京都水道局の上水事業に一元化しました。一元化された時期が早いので、町田市の章やマークが入っている上水道関係の蓋(消火栓、仕切弁、制水弁、空気弁など)は殆ど見付ける事が出来ませんでした。

最初は、消防関係で消火栓の蓋です。
(2023.08.19追加)
こちらは、はしご車がデザインされています。
左蓋は、JR町田駅近く三菱UFJ信託銀行近くの歩道、右蓋は、4絹の道中央通と文学館通りが交差する歩道に設置されています。
 (2023.08.19追加2)

次は、防火貯水槽の蓋です。
 (2023.08.19追加)
 (2023.08.19追加2)

次は、上水道関係の蓋です。
こちらは仕切弁の蓋です。

こちらは、制水弁の蓋です。

こちらの蓋には「電気」の表記があります。
(2023.08.19追加)

こちらは、電線共同溝(CCBOX)の蓋です。
 (2023.8.19追加)
こちらの蓋には表記がありませんが、蓋のタイプから電線共同溝の蓋と思われます。 
 

 (2023.08.19追加2)

最後は、公共基準点の蓋です。
(2023.08.19追加)

以上で、その2.上水道関係他の蓋の整理は終了です。

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東京都町田市のマンホール蓋(その1)公共下水道関係

2023-08-18 17:20:32 | マンホール蓋

※2023.08.18更新 マンホールカード1枚、ノンカラーデザイン蓋のタイプ違い(親子蓋、小型蓋含む)8枚、JIS規格模様の蓋(親子蓋含む)10枚、スリップ防止タイプの蓋(小型蓋含む)3枚、グレーチングタイプの蓋3枚、インターロッキングタイプの蓋4枚、亀甲模様の小型蓋1枚、コンクリート製の蓋(小型蓋含む)2枚、側溝蓋7枚を追加しました。
※2020.08.08更新 芹ヶ谷公園内に設置された6枚の「ポケふた」とこの間に見つけた新たな蓋を追加しました。

町田市の経緯は、昭和29年4月1日に町田町と南村が合併し、改めて町田町を新設します。その後、昭和33年2月1日に町田町、鶴川村、忠生村、堺村の1町3村が対等合併、市制施行し、町田市が誕生し平成30年には市制施行60周年を迎えました。

町田市は、都心から南西30-40km圏に位置し、新宿駅から電車で30数分程の距離に位置しています。「新しい文化」を取り入れながら「古き良き自然・伝統」を残している町田は、「買い物がしたい」、「自然にふれたい」、「公園でくつろぎたい」、「文化施設をめぐりたい」、「ウォーキングをしたい」などなど、老若男女を問わず様々なニーズに応えることができる街のようです。

東は神奈川県川崎市・横浜市、北は八王子市・多摩市、西は神奈川県相模原市、南は神奈川県大和市に接しています。面積は71.55平方キロメートル、令和元年8月1日現在で人口は42.9万人強、世帯数は19.7万世帯強です。

市章は、マチダのマの字2つをもって田の字型に図案化して、市民の和合団結を表しています。中央の鳥型は平和と発展のしるしです。 (昭和33年10月1日制定)

市の花は「サルビア」、市の木は「ケヤキ」、市の鳥は「カワセミ」です。(以上は、町田市HPより)

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
町田市の下水道は、汚水と雨水をそれぞれ別系統で排水する分流式下水道を採用しています。ただ、汚水処理は町田市単独で整備・維持管理する「単独公共下水道」を選択し、2箇所の下水処理場(成瀬クリーンセンターと鶴見川クリーンセンター)で汚水を処理しています。なお、雨水は市内を流れる境川、恩田川、鶴見川などに排出されていると思われます。

町田市は、2種類目のマンホールカードを2020年11月19日に第12弾として配布を始めました。
 (2023.8.14追加)
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
学生からの公募により、2018年に誕生したマンホール蓋です。 町田リス園で飼育されているリスをモチーフに、降る雨を眺めるリスのシルエットと水の流れを切り絵風にデザインしたマンホール蓋です。 白一色で着色したデザインには、下水道に爽やかなイメージを持っていただきたいという願いが込められています。 町田リス園では、放し飼いされている約200匹のタイワンリスにえさを与えることができ、1988年の開園以来多くの方に親しまれています。 周辺は、薬師池公園をはじめとして四季折々の花や風景が楽しめる場所となっています。 当市にお越しの際はぜひお立ち寄りください。

こちらは、2019年8月7日に第10弾として最初に配布したマンホールカードです。
 
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
学生からの公募により、2018年に誕生したマンホール蓋です。 「愛あふれる町田」をテーマに、「町田」に含まれる「田」の形を区切りとして、市の鳥であるカワセミのつがいと「家族愛」の花言葉を持つ市の花サルビアが描かれています。 背後を流れる川は、多摩丘陵の源流都市である町田市の自然豊かな様子を表現しています。 ところで、このデザインには「田」の字以外にもう1つ、文字が隠されています。 中央に配置された市章は、平和と発展のしるしである鳥の形をしていますが、実はこの鳥、町田の「マ」の字を2つ使って描かれているんです。 皆さん、お気づきになりましたか?

それでは、マンホール蓋の整理です。
最初は、マンホールカードに描かれたデザインカラーマンホールの汚水蓋です。
こちらは、マンホールカードの座標に記された蓋(上部に耐荷重量を表す「14」の数字)で市役所前の歩道に設置されています。
 
こちらは、小田急線町田駅東口近くで見つけた蓋(上部に耐荷重量を表す「25」の数字)です。
(2020.08.28追加)
こちらはノンカラー蓋です。
上部の耐荷重量を表す数字は、左蓋が「14」、右蓋は
「25」です。
(2020.08.28追加)(2023.08.18追加)
こちらは親子蓋です。
上部の耐荷重量を表す数字は「25」です。
(2023.08.18追加)

こちらは、同時期に設置された雨水のカラーマンホール蓋です。
こちらは、市役所裏側に設置されている蓋(上部に耐荷重量を表す「25」の数字)です。

こちらは、JR町田駅前北交差点近くで見つけた蓋(上部に耐荷重量を表す「14」の数字)です。
 
こちらはノンカラー蓋です。

次は「ポケふた」です。
2020年8月、芹ヶ谷公園内にポケモンがデザインされたマンホール蓋「ポケふた」が6枚設置されました。「ポケふた」はそれぞれ世界に1枚しかないオリジナルデザインで、株式会社ポケモンが各地の来訪促進を目的に、全国に寄贈している蓋のようです。

町田市の「ポケふた」は都内で初めての設置で、「ポケふた」企画全体として記念すべき100枚目の「ポケふた」となるそうです。
 (2020.08.28追加)
  
  
  
  
  

次は、以前から設置されているデザインマンホール蓋です。
上記同様に、汚水蓋と雨水蓋でデザインが違いますが、こちらの蓋は未だカラー版を見た事がありません。
こちらは雨水蓋です。
市の木
「ケヤキ」が全面にデザインされています。
左は上部に耐荷重量を表す「14」の数字、右は上部に耐荷重量を表す「25」の数字が見えます。
 
こちらは枠に模様があります。

こちらは、上部に耐荷重量を表す数字「14」、「25」の表記があります。 
 (2023.8.18追加)
こちらは親子蓋です。
上部の耐荷重量を表す数字は「25」です。
(2023.8.18
追加)

こちらは汚水蓋です。
市の花「サルビア」が全面にデザインされています。

こちらは親子蓋です。
左蓋は「おすい」、右蓋は「おすい幹線」と表記されています。
 (2023.8.18追加2

こちらは上部に耐荷重量を表す数字(左蓋は「14」、右蓋は「25」です。)が表記されています。
  
こちらは、枠に模様があります。
上部の耐荷重量を表す数字は、左蓋は「14」、右蓋は「25」です。
 
こちちらは親子蓋です。
上部の耐荷重量を表す数字は「25」です。
(2023.8.18追加)
こちらは小型蓋です。
上部の耐荷重量を表す数字は、左蓋は「8」、右蓋は「14」と表記されています。
 (2023.8.18追加)

以降は、規格模様と呼ばれるマンホール蓋です。
はじめは、JIS規格模様の蓋です。
こちらは、用途記載のない蓋です。
 
 (2023.8.18追加2)
こちらは枠に模様があります。
こちらの蓋は用途記載部が削られているようです。
(2023.8.18追加)

こちらは雨水蓋です。
 
(2020.08.28追加)
(2023.8.18追加)
こちらは枠に模様があります。
 (2020.08.28追加)
(2023.8.18追加)

こちらは汚水蓋です。
 (2023.8.18追加)
こちらはΦ800サイズの蓋で「汚水幹線」の表記です。
(2023.8.18追加)
こちらは枠に模様があります。
 (2023.8.18追加)
こちらは「汚水幹線」と表記されています。
(2023.8.18追加)
こちらは親子蓋です。
「汚水P」と表記されています。
(2023.8.18追加)

次は、コンクリート製の蓋です。
用途記載がありません。
 
(2020.08.28追加)(2023.8.18追加)
(2020.08.28追加)

こちらは、インターロッキングブロック型の蓋です。
こちらは用途記載がありません。
 (2023.8.18追加)
こちらは、左蓋には「あめ」、右蓋には「おすい」の表記です。
 
こちらは、上記とタイプが違っています。
(2023.8.18追加)
こちらは、左蓋には「雨水」、右蓋には「汚水」の表記です。
 (2023.8.18追加2)
こちらは枠に模様があります。「雨水」表記です。

こちらは、スリップ防止模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
上部には、耐荷重量記号「T-25」、その横に日之出水道機器(株)のロゴが見えます。
(2023.8.18追加)
こちらは汚水蓋です。
上記同様、上部には耐荷重量記号「T-25」、その横に日之出水道機器(株)のロゴが見えます。
(2023.8.18追加)
こちらは小型蓋です。
上記同様、上部には耐荷重量記号「T-25」、その横に日之出水道機器(株)のロゴが見えます。
(2023.8.18追加)

こちらは、グレーチングタイプ(格子型)の蓋です。
 (2023.8.18追加)
 (2023.8.18追加2)

次は、小型マンホール蓋や枡蓋です。
こちらは、亀甲模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
(2020.08.28追加)
こちらは汚水蓋です。
 
 (2023.8.14追加)

こちらは、コンクリート製の蓋です。
左が雨水蓋、右が汚水蓋です。
(2023.8.18追加)

こちらは、プラスティック製の汚水蓋です。

他にも、次のような汚水蓋を見付ける事が出来ました。
 
 (2020.08.28追加)

こちらは、角蓋です。
こちらは雨水蓋です。

こちらは側溝蓋です。
 (2020.08.28追加)
 (2023.8.18追加2)
 (2023.8.18追加2)
 (2023.8.18追加2)
(2023.8.18追加)

以上で、公共下水道関係の蓋の整理は終了です。
次回、その2.では、上水道関係の蓋を整理します。

 





 

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