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千年の古都のタイムトンネル
京の歴史 その参百弐拾五
さて秀吉は、天正15年の九州征伐を終えるや京に帰り、
この新第で八朔を祝い、9月にはここを京都の政庁とする。
そして翌年4月14日、秀吉はこの新第を、
政権のシンボルとするべく、後陽成天皇の行幸を受ける。
行幸は、警備の者だけでも6000人とも言われ、
列の先頭が新第に到着しても、
後尾はまだ内裏を出ていなかったともいわれる。
新第では、酒宴、菅弦、和歌、音曲が、
当初3日の予定を延長して盛大に催された。
そして、宴のクライマックスでは、
秀吉から朝廷へ破格の献上が行なわれ、
内裏へは銀五万両余りが、
仙洞御所へは地子米三百石が、
そして智仁親王には関白領から五百石が寄せられ、
また諸門跡、公卿には八千石が分配されたのです。
とはいえ、この行幸の真の目的は・・?
秀吉は、酒宴に参列した諸大名に、
朝廷への尊崇と同時に関白秀吉への忠誠を誓わせており、
これにより秀吉は、武士ばかりか朝廷にも自らの権威を誇示し、
政権の完成を内外に知らしめたのです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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