9/23
千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その545
しかし、実際はかってこの堂は
これよりさらに鴨川よりの北側にあって、
「 雨止み地蔵 」と呼ばれていたという。
つまり「 雨止み 」が転訛して「 目病み 」となり、
眼病の信仰を得るようになったようです。
鴨川は歴史上度々氾濫を起こしてきた暴れ川だった、
平安時代後期の白河法皇は院政を行なって
絶大な権力を持ったが、
それでも3つだけ自分の意にならないものが有ると言った ( 三不如意 )。
さいころの目と
山法師 ( 比叡山延暦寺の僧兵 )、
そして鴨川の水です。
そのような鴨川の治水を司る神として、
中国の黄河を制した伝説上の人物・
夏 ( か ) の 兎 ( う ) を祀る兎廟がこの辺りにかってあったというが。
「 雨止み地蔵 」もその流れを汲むもののようで、
鴨川の氾濫を防ぐ為に、
止雨を祈願したお寺だったということのようです。
寺伝によると安貞二年 ( 1228 ) の洪水の時に、
止雨が祷られ、その効験により
後堀河天皇より
「 仲源寺 」の名を与えられ、勅願寺になったという。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。
↓ ↓ ↓
只今 at home Web http://kyoto-estate.com/より、より詳しい最新情報が見られます。
オールジャパンで頑張ろう!!
東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう !! 日本
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/311/story/