今年、ご先祖様を探してみようかな…と。
なんでか知らないけど、ここのところ、そんな気分が沸々と。
私もご先祖様に感謝する年齢になってきたということ?
まぁ、それはさておいて。
私のご先祖様。
ここで言うご先祖様とは母方の母方の家系。
なぜ母方の母方か?といえば、小さなころからご先祖様について祖母や母から聞かされていたから。
よく、
「あんたのご先祖様は…」
って。
でも、これといった逸話があるわけでもなく、ただ単に
「あんたのご先祖様は武士だった。世が世なら…」
「だから、あんたもしっかりしなさい!」
そんな感じ。
母も、今は亡き祖母もすでに記憶が曖昧だった。
それでもふたりから聞いたことを箇条書きにすると、だいたいこんな感じ。
【1】名前は神丹波守(じん・たんばのかみ)という。
【2】津軽氏に仕え、弘前藩家老だった。
【3】江戸時代の家禄を記した証書が残っていた(祖母が見た)。
→そこには驚きの2万石(!?)と記されていた。
【4】明治になると、家はとても窮乏した。
【5】津軽家関係者の集まりがあった際、旧藩主のすぐ近くに席が設けられた。祖母の母だか祖母はそれをとても喜んでいた。
さあ、どうだ?
これが私が小さなころから聞かされてきたご先祖様の情報。
なんか、もっといろいろと聞いた気がするけど、こうやってまとめてみると案外情報量は少ないぞ。
神丹波守…ご先祖様って偉い人だったんだ…って、歴史に興味を持ち始めていた子供のりすにゃは大喜びでした。
2万石なんてのは、今になって考えると子供に対するリップサービスみたいなものだったと思うけど(それにしても2万石は言い過ぎでは…?)、疑うことを知らない純真な少年は、へぇ~ご先祖様ってすげぇ~と思ったわけですね。
その後、これをもとに私も独自に調べてはみたんです。
随分前の話だけど。
調べたっていっても、本屋で青森県の歴史や津軽為信関係の本を探してみたり、大学の図書館でパラパラ…と資料を漁ってみた程度だけど。
そしたら、津軽藩家老に神丹波守なんて人物は見当たらない。本当にそんなご先祖様、いたのかな?…と。
でも、ちょっとだけプラスの情報も出てきたんですね。
そのあたりは、次回にでも。
さあ、どこまでご先祖様に近づけるんだろう?
そう言えば、青森県には一度も行ったことがない。
ご先祖様を探す以上、やっぱり行ってみたい!と、今さらながら血が騒ぐのでした。
でも、東京から青森の弘前ってどうやって行くのがいいんだろう?
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