引越しのためブログを更新できずにいた約3か月間、けして引越しだけに専念していたわけではありません。遅ればせながら、甲州街道を高井戸宿から布田五宿まで歩いたことを思い出しながらつらつらと…。
ちなみに実際に歩いたのは7月です。
【京王線・芦花公園駅】
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前回の終着地、京王線の芦花公園駅からスタートです。このあたりが上高井戸宿の西のはずれにあたるようです。夏の日差しに負けず、布田五宿へ向かって歩いていきましょう!
【芦花公園駅付近の甲州街道】
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上高井戸宿を出ると、江戸時代は烏山村。現在も烏山の地名は残っています。のどかな感じで旧街道は続いていきます。
【江戸時代の名残】
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江戸幕府が編纂した「甲州道中宿村大概帳」には、道中の宿場や村々の様子が記録されています。烏山村の項に下宿という地名が見えますが、そのままバス停に残っていました。バス停って、何気に古い地名の宝庫だったりします。
【大橋場の跡とお地蔵様】
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芦花公園駅から歩き出してそんなに経たないうちに、大橋場の跡に着きます。橋の擬宝珠を模した記念碑です。ここにかつて川が流れていて橋が架かっていたことを示しているようですが詳細不明。お地蔵さまは江戸時代、名主の下山家が建立したものだそうです。
【お地蔵様】
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千歳烏山駅入口の交差点を過ぎると、道端にお地蔵様。昔からここにあったのか、道路拡張や区画整理でこの場所に移ってきたのかはわかりませんが、ずっと長い間、道行く人々や村人たちを見守り続けてきたのでしょうね。
【新一里塚の碑】
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江戸時代の街道に一里塚が造られたのは有名ですが、こちらは明治になってから設置された「新一里塚」。給田前の信号を渡ってしばらくのところです。
案内板によると、明治3年に新宿を起点に甲州街道に建てられ、かつては芝生に覆われた3メートルくらいの塚の上にあったそうです。現在ある位置は、かつての場所に近い位置に復元されたとあります。オリジナルではないのかな?
内藤新宿より3里、だそうです。
ちなみに、民家の玄関脇なので見学の際はお静かに…。
【仙川】
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仙川を渡ります。上高井戸宿の西隣りが烏山村、その次が給田村、そしてこのあたりはかつての下仙川村でしょうか。気が付けば、もうここは調布市です。
のどかな道中ですが、車の交通量が増えてきた気がします。
【仙川三差路】
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ここで右手からの国道20号線と再び合流します。一気に交通量が増えます。歩く際はお気をつけて。ま、歩道があるから大丈夫でしょうけど。
【昌翁寺】
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江戸初期の仙川領主・飯高定政を開祖とする天台宗のお寺です。立派な山門で興味をそそられますが、先を急ぐため門前にて御免。
【仙川の一里塚】
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仙川駅への交差点、コンビニの脇に記念碑があります。道行く人は誰も気にしていない様子。気づいていない人も多いんじゃないかな、と推察。
それはさておき。
高井戸の一里塚に次ぐ、江戸から5番目の一里塚です。碑に嵌め込まれている案内プレートによると、土地の人はこのあたりを塚と呼んでいる、そうです。
【一里塚近辺の甲州街道】
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一里塚の碑は、仙川駅へ向かう道との交差点にあります。けっこうな人通りです。
【キューピーの工場】
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一里塚を過ぎて間もなく、キューピーの工場があります。こんなところにあったんだ。そういえば小学生の時、エス・ビーの工場に社会科見学に行ったらカレーのルーをお土産にもらいました。キューピーの工場ではマヨネーズをくれるのかな?
キューピーを英語表記にすると「Kewpie」だって、初めて知ったことは内緒です。
【時計の上のキューピーちゃん】
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実家にはセルロイドのキューピーちゃんの人形がいくつかあったけど、なんでなんだろう?流行っていたのかな?母が手編みの服を作って着せていました。
【川口屋/瀧坂旧道の碑】
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仙川二丁目の交差点を過ぎたら、すぐに道は国道20号線と右側へ入る細い道に分かれます。この細い道の方が旧甲州街道、通称瀧坂旧道です。分岐点に比較的新しい「川口屋/瀧坂旧道」の碑があります。草に隠れてちょっと見つけにくいかもしれません。
川口屋は江戸から明治にかけて馬宿を営んでいました。荷物を積んだ馬が多く往来した甲州街道らしい史跡ですね。
【瀧坂旧道1】
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左側の国道20号線と並行するように続きます。距離は短いのですが、かつての甲州街道を感じるスポットです。
【瀧坂旧道2】
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江戸時代、この辺りは急な坂道で、汗が滝のように流れるので瀧坂と呼ばれたとのことです。当時の勾配がどれほど残っているかはわかりませんが、今でも坂道は健在。
現代の我々には大したことない坂道でも、草鞋での旅人には難儀だったのでしょうね。雨でも降ろうものなら、それこそ滝のように泥水が坂道を流れ落ちていたのでしょうか。
【瀧坂旧道3】
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坂を下ったところに、古い薬師如来様。左側はお地蔵様でしょうか。交通量の激しい国道20号線とかつての難所・瀧坂旧道の間に鎮座。交通安全祈願の旗が、妙にこの場所にピッタリだと思いました。
【昼食タイム】
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瀧坂旧道を下って、再び国道20号線と合流。京王線のつつじヶ丘駅近辺です。この辺りでお昼を食べようということになり、とりあえず駅へ。
ところが、お昼を食べるお店がなかなか見つかりません。駅前なら何かしらあると思ったのに。土曜日だから?
仕方なしに甲州街道へ戻り、歩きながらどこか見つけようということになりましたが、すぐに発見。
うどん屋さんでした。
中はそんなに広くありませんが、美味しいうどんを堪能しました。うどん屋になる前は焼き鳥屋か何かだったようです。店内の造りもそんな感じ。
でも、ホント、美味しいうどんでした。
ご馳走さま。
【金龍寺・山門】
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鎌倉時代に栄西によって開かれたという古刹です。山門は立派な朱塗り。江戸時代、将軍家から特別待遇の証しとして建立を許されたという赤門ですが、金龍寺は3代将軍家光よりその栄誉を賜ったとのこと。家光が狩猟の途中で立ち寄り、その歓待ぶりに応えたのだとか。
【金龍寺・本堂】
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開基の栄西と言えば、確か中国から茶を日本にもたらした禅僧でしたよね。日本史の教科書にも載っていたような記憶が…。栄西の前は、この地に金子弁財天社があり、源義経・弁慶らが奥州落ちの途中にここを訪れたとか。由緒ある場所なのですね。
【金龍寺・大閻魔像と十王石窟】
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石窟の中に木彫りと石刻の十王が安置されています。十王とは冥界の王で公正な裁判官。閻魔様はその十王のうちのひとりなんだそうです。
で、この十王は源頼朝の発願によるものだとか。義経の次は頼朝。もともと源氏との深い関係にある場所だったのでしょうか?
【復元された高札場】
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なぜか境内に復元された高札場が。スケールも随分と小さくなっていますが、イメージをつかむには十分かと。
【妙円地蔵】
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若くして両目を失明した妙円という尼僧が建てたお地蔵様。妙円はこの地で念仏三昧の日々を送り、村人から頼まれて行う加持祈祷は霊験あらたかだった、と言われているそうです。
彼女は自分の死ぬ日をあらかじめ予言していましたが、実際はその日より1日遅れの1817(文化14年)年10月29日に亡くなりました。そのことを滝沢馬琴が著書で紹介したため、一躍江戸中で有名になったとか。
お地蔵さまは、長らく首から上が欠けていましたが、地元の方々により修復されています。大切にされているんですね。そういえば、調布市の郷土博物館へ行ったとき、妙円が使っていた鉦が展示されていました。そのときは妙円て誰?だったのですが、ここで偶然に昔の知人に再会した、そんな気持ちになりました。
【多摩川珈琲】
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道中の茶屋ならぬ、珈琲店で休憩。
「東海道中膝栗毛」の十返舎一九は、甲州街道をテーマにした「身延道中之記」というのも書いていますが、その中で上高井戸宿から布田五宿までの道中を、
退屈する道、茶屋はあるけど、たいした茶屋じゃない…
なんて記しています(私は読んでいないので伝聞です)。
何を何を、この珈琲店の珈琲を飲んでから言ってみやがれ!ってなもんで。
【布田五宿の東端付近】
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珈琲店を出ると、ほどなく国道20号線は右へ、旧甲州街道は左へと分かれます。
この先がいよいよ布田五宿。
とりあえずその入口にたどり着きました。
布田五宿の紹介は、次回以降、またあらためて。
【旧甲州街道入口】
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