歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈






Merry Christmas !
昨日は鶏とスパークリングワイン、今日はケーキ。ささやかながら、我が家でもクリスマスを楽しんでいます(雰囲気だけですが)。



ところで、24日と25日、日本人にとって大切なのはどっちなのだろう?
多分アンケートをとったら、圧倒的にイブの日だと思うのですが…。
ちなみに私も、夜、鶏とケーキを食べてプレゼントをもらえるイブの日こそ、クリスマスでした。


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この季節、八王子のイルミネーションも頑張っていますが、たまには他所にも見に行こう!…となりまして、行ってきました丸の内。
去年はバタバタしていて出かけられなかったので、2年ぶりの丸の内のイルミネーションです。

【帝国ホテルのクリスマスツリー】


まずは帝国ホテルでお茶をしてからスタート。ホテルのロビーのクリスマスツリーです。

【帝国ホテルのイルミネーション】


帝国ホテルから、丸ビル方面へと歩いて行きます。ちょど日比谷公園ではクリスマス市が開催されていて(…実は、こっちがメインだったのですが)、けっこうな人混みでした。

【ザ・ペニンシュラ東京のイルミネーション】


ホテル前には、イルミネーションをバックに記念撮影する人たちであふれていました。この時期の風物詩、1枚記念に…ってなってしまいますよね。

【丸の内イルミネーション1】


歩道を歩いていると、移動販売車もクリスマスバージョンにドレスアップしていました。

【丸の内イルミネーション2】


丸の内仲通りを進みます。

【丸の内イルミネーション3】


老若男女、人、人、人…。ついつい見に行ってしまうんですよね~。

【ブリックスクエアのクリスマスツリー】


赤煉瓦とクリスマスツリー。ここのツリーはポップな雰囲気でした。

【丸ビルのクリスマスツリー】


終点は丸ビルの巨大なクリスマスツリー。一昨年来たときはアナ雪ブームで、ツリーの前でアナとエルサがお出迎えしていました。彼女たちと写真を撮るために、カップルや子供連れが長蛇の列でした。
今年はクラシックなツリーです。なんか、こういうツリーが落ち着くのは年のせいでしょうか?


クリスマスツリーは別として、丸の内のイルミネーションは2月19日までだそうです。

丸の内イルミネーション・イベント情報


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先週の土曜日、八王子夢美術館で開催されている「イギリスからくり玩具展」を観てきました。
イギリスのオートマタ作家・ポール・スプーナーの作品を中心にした現代のからくり玩具展。オートマタとは、西洋のからくり人形で、自動で動く機械仕掛けの人形を指すそうです。
展示されている作品のほとんどが、展示ケースのボタンを押すと動き出します。
例えば、パンフレット中央に大きく載っているオートマタ。「モンマルトルのアヌビス」という作品で、右手でコーヒーをかき回し、高く上げた左手で、テーブルにとまったハエをたたくという動きをします。1989年の作品。

日本にも、江戸時代から、お茶を運ぶカラクリ人形などがありましたが、そのほとんどは残っていないそうです。カラクリの仕掛けが、糸だったりクジラの髭だったりで、切れてしまって保存できなかったというのも理由なのだとか。
西洋では18世紀中ごろから19世紀にかけて、貴族や金持ちたちの間で大流行したとのこと。今回、展示されているのは現代作家によるものですが、昔のものも見てみたいものです。

来年の1月22日まで開催されています。入館料は600円、月曜日が休館日で、さらに12月29日から1月3日までは年末年始の休館となります。





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【山門】


JR八王子駅から徒歩15分程度、元横山町の妙薬寺に行ってきました。山号は医王山、真言宗のお寺です。
この辺りは江戸時代には元横山村と呼ばれ、八王子宿のすぐ北側に位置していました。

妙薬寺の創建について、江戸時代の記録にはよくわからない…となっていますが、境内に建てられている「妙薬寺並法界塔縁起」によると、文和4(1355)年に薬師堂が建立されたことに始まるとのこと。
江戸時代になると、3代将軍家光から寺領7石の朱印を拝領しています。

【門扉の葵紋】


門扉には葵の御紋。幕府から朱印地を賜ったことの証し…といったところでしょうか。

【本堂】


山門を入ると左手にすぐ本堂があります。赤や白など色遣いがとても鮮やかです。昭和20(1945)年の空襲で焼失し、戦後の再建によるものだそうです。
薬師堂は、「武蔵名勝図会」に山門を入って西脇と記されていますが、再建されなかったのか、現在はありません。

【沙羅双樹と本堂】


本堂脇に沙羅双樹が植えられています。植物にはまったく知識のない私です。沙羅双樹ってこういう木なんだ…。季節がらなのでしょうか、葉は落ちてしまっていました。

【本堂の彫刻1】


本堂の正面には龍の彫刻。鋭く赤い目が印象に残ります。

【本堂の彫刻2】


こちらは獅子と思われます。やはり赤い目でこちらを睨みつけていました。

【石塔】


常夜燈でしょうか?側面に由来のようなものが刻まれているのかもしれませんが、確認できませんでした。

【横山塔(横山将監小野秀綱の供養塔)】


境内の西側の墓苑に入ります。横山塔への案内板に従って進んでいくと、奥まったところに小さな門扉があり、その奥に建っています。
この石塔は永禄3(1560)年に建立された横山将監小野秀綱の供養塔とされ、東京都指定旧跡です。
もともとは付近の百姓の家の敷地内(木ノ下屋敷と記録されているので、名主クラスでしょうか)にあったものを、江戸時代に移したと伝わります。また、石塔の下には石棺があり、動かすと災いがあると言われていたため、塔は移しても石棺はそのまま置き去りにされたそうです。
横山将監小野秀綱がどういう人物なのか、調べてみましたがわかりませんでした。中世、この辺り一帯は武蔵七党のうちの横山党の本拠地だったとされ、秀綱も供養塔を建立されるほどですから、その一族として勢威を振るったのでしょう。
江戸時代の「新編武蔵風土記稿」など古い地誌には、単に横山氏の石塔、あるいは墓とされていますが、いつ、どうやって「横山将監小野秀綱」と個人名が特定されたのかなぁ?というのは単純な疑問です。「妙薬寺縁起」なる書物(?)に記されている…との情報もありますが…。

【山本勘助の曾孫(?)の墓】


横山塔の脇にあります。
「先考張六府君・先妣山下孺人合葬之墓」と刻まれていますが、ここに葬られている人物の正体は…境内の縁起によると、何と山本勘助の曾孫だそうです。確かに八王子には千人同心や松姫など、武田家滅亡後、ゆかりの人たちが多く住んでいましたが、勘助の曾孫まで…。
妙薬寺のすぐそばには、仁科盛信(信玄の子)の娘・小督が武田家の遺臣たちとともに隠棲した地(玉田寺)がありました。この勘助の曾孫なる人物も、その遺臣のひとりだったのかもしれませんね。

【光明真言供養の碑】


こちらも横山塔の脇にあります。
文化5(1808)年の建立で「本宿講中」と刻まれています。途中で破損しているのですが、空襲の被害でしょうか?

【庚申塔】


刻まれている年号が読み取れなかったのですが、帰ってから調べたら宝永7(1710)年に建立されたものだそうです。


江戸時代からの古い塔や墓碑は、横山塔のある境内の奥の一画にまとめられているようです。


境内はそれほど広くはありません。
檀家さんや信徒さんを除けば、ここを目指して来る人の多くは横山塔が目当てだと思います。場所が少々わかりずらいので、注意してくださいね。
お寺の名前や山号(医王院)から、病気快癒とか、そういった方面のご利益があるのかな?と思ったら、八王子市仏教会のホームページによると咳止めに効くとのことです。





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アメリカのスチームパンクバンド、Abney Parkのアルバム「Under The Floor, Over The Wall」(2016年11月発売)より。
女性ボーカルJody Ellenの脱退後、以前より聴く頻度が落ちていますが、それでもいい曲は多いなぁ、と。
哀愁感漂う楽曲は、彼らの十八番です。
本人たちは登場しませんが、絵本や物語を読んでいるようなMVに仕上がっています。


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