日日の幻燈

歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと

【note】(かつての)少年よ(まだまだ)大志を抱け!(4)-函館ロマネスク・後編-

2019-11-10 | 日日の幻燈

■元町教会群巡り
【ハリストス正教会復活聖堂】


東方正教会の教会。初代聖堂が建立されたのは1860(万延1)年で、現在の聖堂は1916(大正5)年のものです。国指定重要文化財。
正教会の聖堂といえば、東京神田のニコライ堂も素敵ですが、私が初めて正教会に触れた(…というほど大袈裟なものではないですが)のはここなので、想い出深い地です。カトリックやプロテスタントの教会とはまた趣が違っています。ステンドグラスやイコンなど、より厳かというか…。

【カトリック元町教会】


こちらはカトリックの教会。1859(安政6)年に仮聖堂が建てられたのが起源。現在の建物は1924(大正13)年のもの。内部は先程のハリストス正教会が厳かなら、こちらはカトリックらしく絢爛といった感じでした。
教会内の左右の壁面は、イエスが十字架に架けられる道行が14枚の浮彫でたどれるようになっています。

【函館聖ヨハネ教会】


イングランド協会(英国国教)を母体とする日本聖公会の教会。1874(明治7)年、北海道最初の聖公会としての布教がここから始まりました。聖堂自体は比較的新しく、1979(昭和54)年の建立。上空から見ると十字架の形をしているそうです。


■ペリー提督と函館開港
【ペリー提督来航記念碑】


黒船を率いてはるばるやって来たペリー提督。浦賀というイメージが強いのですが、函館にも来航していたのですね。1854(安政1)年、日米和親条約が締結された直後のことで、開港される地の確認が目的だったのでしょう。市中調査や湾内の測量を行ったそうです。元町公園に大きなペリー提督の像が、函館山をバックに建っています。

【ペリー提督会見跡地】


提督像から坂を下りて、かなり港に近いところにペリー提督会見跡地の案内板があります。ここにあった有力商人宅で松前藩の家老たちと会見したそうです。


■函館港
【西波止場】


ここがそもそもの函館繁栄の源泉地。幕末の開港前から栄えていたとはいえ、開港地に選ばれなかったら、その後の町の雰囲気も違ったものになっていたかもしれませんね。

【金森赤レンガ倉庫】


観光スポットの金森赤レンガ倉庫も、かつては海産物や米、麦などを保管する営業用倉庫でした。横浜の赤レンガ倉庫と同じく、うまく再生させたと思います。前回来たときはここでかなりの時間を費やしましたが、今回はほぼ素通り。あ、「武将館」なるショップで、北海道と何にも関係ないグッズを買ったことは内緒です。


■函館発祥の地


元町公園にあるこの案内板、うっかりすると通り過ぎてしまいそうですが、函館発祥の地をさりげなくアピールしています。15世紀中ごろに、この地に渡ってきた河野某がここに館を構えたそうです。館は東西63メートル×南北50メートル、四方に土塁をめぐらせ、空堀で囲われていたとのこと。この「河野館」にちなんで箱館という地名が誕生したのだとか。現在の「函館」という表記になったのは1869(明治2)年のこと。


■函館山


函館山へのロープウェイが前日から点検のため運休。代替輸送のバスでウネウネと山道を登って行きました。函館駅始発とロープウェイ乗り場始発があるようです。私は元町散策→ロープウェイ乗り場へ。バスは15分間隔で、5時頃に乗ったのですが満員状態。普通の路線バスなので立っている人でぎゅうぎゅうでした。ロープウェイ乗り場から山頂まで約20分程度です。



平日なので空いているだろうという予想は大外れ。まず山頂の駐車場待ちの観光バスが山道に長蛇の列。そして展望台は人であふれていました。ここにも、もちろん外国人観光客。中国をはじめとするアジア系が多かったです。
夜景には少し早い時間だったのですが、徐々に暮れていく空の色や、街の景色の変化が見られて面白かったです。夕暮れ時に山頂に着くようにするのが吉です。
 


はい、そしてよく目にするこの夜景。

綺麗な夜景も楽しめたし、さて下へ降りよう。ということで帰りのバスですが、まるでディズニーランドの人気アトラクションなみ(いや、それ以上?)の行列。函館駅行きとロープウェイ乗り場行きに分れていて、混んでいるのは函館駅行きの方なのですが、そんな案内はまったくなかったので、ロープウェイ乗り場行きのバスを待っている人も、みんな函館駅行きの列に並んでいるようでした。私はたまたま、バスの様子を見に行った人から情報を得て事なきを得ましたが、いや、もしかしたら列はひとつで、乗る時に分れるのが正解だったのか?いずれにしてもちゃんと案内を出してあげたらいいのにね。ま、誘導する人(多分、アルバイト)も慣れていない感じだったし、前日からのバス代替輸送開始なので仕方ないかな。


食事
【ラッキーピエロ】


ODR氏から箱館に行ったらラッキーピエロのハンバーガーは是非とも!とのことだったので。



アメリカのダイナーみたいな雰囲気。ハンバーガーも美味しかったです。

【五島軒】


1879(明治12)年創業の洋食店。店名は九州の五島列島出身の料理長に因むそうです。
五島軒と言えば、やっぱりカレー。私は明治時代のポークカレーと大正時代のビーフカレー(ネーミングはイギリス風カレーですが)を一皿で味わえる「あいがけカレー」をいただきました。

【函館朝市】
ホテルは駅の近くだったので、朝食に朝市で海鮮丼を。ホテルと提携しているお店だったのですが(ホテルでの朝食券を朝市での朝食に変更できました)、自分で店を選ぶとしたら、たくさんあってどこに入ろうか結構迷うかも。普段はあまり海鮮物を食べない私には、そもそも値段が高いのか安いのかという相場がわからない…。

【麺厨房あじさい】
ラーメンの有名店。ODR氏からも、とりあえず有名店ならここかな、と。函館のラーメンと言えば塩ラーメン。五稜郭近くのため観光客も多く、平日でも並びました。有名店の宿命ですかね。


喫茶
【茶房旧茶屋亭】


ベイエリアにあるレトロな喫茶店。建物自体が明治時代末の頃のもの。室内もまさに大正ロマンの雰囲気で、ガラスも古びた感じで素敵でした。



カップや皿もレトロでハイカラ。ああ、函館だなぁ~。八王子ではちょっと出せない雰囲気です。


■そして旅は終わる


そして帰京。
北海道新幹線で。ケンシロウに「明日への秘孔」をつかれ北海道をあとにします。4泊なんて長いなぁ~って旅行前には思っていたのですが、終わってみればあっという間。夢のような時間でした。駆け足でめぐったため、見られなかった場所も多々あり、次回はテーマを決めて観光してみるのもいいかなぁ~なんて思ったのでした。

今度はいつ北海道に来られるかな?
次なる夢の時間を楽しみに、その日まで、また日常と現実の世界で生きていかねば。新幹線の中でそんな感慨に浸っているうちに寝入ってしまい、目が覚めたら、せっかくの海底トンネルは抜けてしまっていたのでした。


-おわり-


※写真は今回もまた加工してあります。悪しからず…。


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【note】(かつての)少年よ(まだまだ)大志を抱け!(3)-函館ロマネスク・前編-

2019-11-04 | 日日の幻燈

10月16日午後2時、小樽を出発して、札幌経由函館に向かいます。電車、結構時間がかかりました。函館に到着したのは夜7時過ぎ。この日は夕食の外出とホテルのバーでのちょこっと飲みで終了。本格的な行動は17日からとなります。



2019.10.17~18
■五稜郭と土方歳三


函館に来たなら五稜郭。私の出身地、長野県にも五稜郭(龍岡城)があるけれど、やっぱりここには負けますね。そして五稜郭といえば土方歳三。
今年は戊辰戦争終結150周年ということで、まずはイベント限定クリアファイルをゲットしました。



十数年前に来たときは、なんだか閑散としていた記憶があるのですが、今回は平日にもかかわらず観光客が多かったです。大半はやっぱり中国をはじめとするアジア系の人たち。でも、中には学芸員の説明を熱心に聴いている新撰組ファンとおぼしき若い女性もいました。



幕末の激動期に建設された五稜郭ですが、展望台から見るときれいな形をしているのがよくわかります。幕末・明治に五稜郭に関わった人たちの中に、図面上はともかく、こうやって星形を目の当たりにした人はいたのでしょうか?



さて、土方歳三。私の住んでいる八王子市のお隣、日野市の出身です。はるばる来たぜ~はこだて…。そんな歌詞がぴったり。ほんと、今でも八王子から北海道ってたいへんなのに、よくここまで来ました。執念がなせる業でしょうか。

【新撰組最後の地】


市電の終点「函館どっく前」の横に小さな公園があります。ここは幕末に弁天岬台場が築造された場所です。当初の目的はもちろん異国の圧力に対抗することでしたが、この台場が実際に戦闘を行ったのは異国に対してではなく、戊辰戦争でした。ここで抗戦した旧幕府軍も、最後には力尽き新政府軍に降伏します。そして幕末を戦い抜いた新撰組も、ついに終焉の時を迎えました。

【新撰組屯所跡】


弁天岬台場からそう遠くないところに、新撰組の屯所跡地があります。幕末、この辺りに称名寺という寺があり、ここを屯所としていたとのこと。


■箱館奉行所
【五稜郭内】


もともと函館山麓にありましたが、五稜郭の完成と共に城内に移転しました。1864(元治1)年のことです。1871(明治4)年には解体され、10年にも満たない短い役目を終えました。現在の建物は発掘調査や文献・古写真などを参考に忠実に復元されています。もちろん内部も見学できます。

【旧箱館奉行所・元町公園内】


五稜郭に移転する前の奉行所は、現在の元町公園にありました。高台から港を一望できる場所で、ここなら港に出入りする船舶の監視にも便利だったのでしょう。但し、異国船が行き来するようになると、その港の近さが防備上の不利につながり…ということだったようです。


■洋館散歩
【旧イギリス領事館】


1859(安政6年)設置。現在の建物は1913(大正2)年に建てられたもの。領事館が閉鎖された1934(昭和9)年まで使用されました。館内閲覧可で異国情緒漂う資料が展示されています。

【旧ロシア領事館】


1858(安政5)年に設置。当初、別の場所にあった領事館がこの地へ移転が始まったのは1903(明治36)年。日露戦争での中断時期を挟んで建物が完成したのは1906(明治39)年。その後、ロシア革命で成立したソ連の領事館となり、1944(昭和19)年に閉鎖されました。現在の建物は1908(明治41)年に建てられたものです。残念ながら門扉は鎖され、内部へ入ることはできません。

【大正湯】


今も現役の銭湯。開業したのは1914(大正3年)で、現在の建物は1928(昭和3)年に建て替えられたものだそうです。洋風建築の銭湯は全国でここだけと言われています。
銭湯なんてもう何十年も入っていないけど、こんなレトロな銭湯でゆったりとお湯につかってみたいものです。

【小林写真館】


1902(明治35)年に開業、1962(昭和37)年まで営業していた写真館。石川啄木もここで写真を撮影しているそうです。この建物は1908(明治41)年のもの。

【遺愛幼稚園】


1895(明治28)年創立の幼稚園。建物は1913(大正2)年に建てられたもので、今も現役の園舎です。なので、みだりに敷地に立ち入らないようにしましょう。
園児たちは、ずっと後になってから、素晴らしい環境での幼稚園時代を振り返ったりするのでしょうね。

【おまけ・ハイカラさん】



-後編へ続く-


※相変わらず、UPした写真は画像処理して遊んでいます。悪しからず。


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【note】(かつての)少年よ(まだまだ)大志を抱け!(2)-小樽ノスタルジー編-

2019-10-26 | 日日の幻燈

札幌を昼に出て次の目的地・小樽へ向かいます。
電車だと40分程度、久しぶりの小樽です。ホテルに荷物を預けたら行動開始です。


2019.10.17~18
■旧国鉄手宮線


1880(明治13)年に開業した手宮線は、北海道最初の鉄道で小樽港への石炭の輸送を担ってきました。1985(昭和60)年に廃線となりましたが、機関車庫やターンテーブルなどの鉄道設備は、今も小樽市総合博物館の敷地内に蒸気機関車などの車両と共に残されています。残念ながら見学にはいかれなかったので、せめて廃線路を。


■小樽市総合博物館・運河館


小樽市総合博物館は2カ所に分かれていて、前述の鉄道関係とは別に、運河沿いに小樽の歴史や自然をテーマにした運河館があります。
使用されている建物は明治時代に建てられた木骨石造倉庫で、中庭を囲うように配置された大きな倉庫だったことが博物館に入るとよくわかります。小樽の繁栄を担った歴史の証人といったところでしょうか。


■消防犬ぶん公


昭和の初め頃に消防本部で飼われていた雑種のオス犬。火事が起きると消防車に乗り込み、現場では野次馬たちの追い払いやホースのもつれをなおすなど大活躍した…そうです。
運河館に剥製(?)がありましたが、小樽市観光物産プラザ前には像が建てられています。こういうその土地ならではのエピソードに出会えるのも、旅行の楽しみのひとつですね。


■ステンドグラス美術館


ニトリホールディングスが運営する美術館。大正時代に建てられた大豆倉庫の内部は、2フロアぶち抜きで壮麗なステンドグラスに埋め尽くされています。ここは一見の価値あり。まさに「お値段以上ニトリ」です。



美術館に収蔵されているステンドグラスは、19世紀から20世紀にかけて、イギリスの教会を実際に飾っていたものです。ヴィクトリア朝時代から第一次世界大戦の頃にかけて、イギリスでは盛んに教会やステンドグラスがつくられたそうです。しかし第二次世界大戦後、信者数の減少や都市の再開発などにより教会の統廃合が進み、ステンドグラスもアンティーク品として売り出されたり、教会と共に破壊される運命をたどりました。ここに集められたステンドグラスは、そういった栄光と挫折を乗り越えてきたものたちなのだそうです(ガイドブック・館内の説明などによる)。


■オタルナイ運上屋跡


運上屋とは江戸時代、和人とアイヌ人との交易場でしたが、後には松前藩や幕府が付近一帯の行政を執り行う場としても機能しました。オタルナイの運上屋の創設は1700年代前半と推定されるそうです(現地の案内板による)。



「黒船前夜-ロシア・アイヌ・日本の三国志-」(新書版)
渡辺京二著/洋泉社/2019年(オリジナルは2010年)

江戸時代、和人は函館や松前近辺にしか居住しておらず、北海道の大部分はアイヌしかいなかったと漠然と思い込んでいましたが、和人の活動は北方領土方面など、けっこう広範囲に及んでいたのですね。そんなことを帰京した翌日に購入したこの本で知りました。


■小樽運河


小樽の運河は港での運搬作業の効率化のため、海面を埋め立てて大正12年に完成しました。今では当初の目的は役割を終え、小樽といえば運河というように観光に特化しています。



今回、札幌での宿泊は完全なるビジネスホテルでしたが、小樽のホテルは運河に面した部屋でちょっとお高めのところに。部屋から見る運河の夜景、素敵でした。



そして運河の夜明け。今日も素晴らしい一日になる、そんな予感。


■メルヘン交差点


小樽の観光名所のひとつ。暗くなると常夜灯には灯が入り異国ムード満点だとか。ここで記念撮影していく外国人観光客がたくさんいました。
奥の建物は小樽オルゴール堂。ここにも朝から観光客。私もお土産にオルゴールを購入しましたが、帰ってから確認したら台湾製でした。勝手にMade In JAPANだと思い込んでいました。


■北一硝子


今回の旅行の目的のひとつ、北一硝子です。十数年前にもここでグラスを購入しましたが、今回、あらためて。それにしても迷いましたが、食前酒用グラス(我が家ではワイングラスとして使用予定)とロックグラス。



購入直前には、ここ、北一硝子の喫茶ホールでかみさんと作戦会議。店舗直売しかしていないので、予算を確認しながら真剣なミーティングでした。ホールに灯る灯油ランプは167個とのことです。


🍽昼食
「若鶏時代なると本店」にて。名物の若鶏の半身揚げとざんぎを。プラス海鮮丼。平日にもかかわらず観光客でいっぱいでした。ただ、観光客だけではなく、買い物帰りとおぼしき近所のおばちゃんたちもちらほらと。

🌛夕食
「小樽バイン」でにて。ワイングラス片手に優雅な気分。

🍷ワイン
小樽まできたら当然ワインも。ということで、前夜に試飲も兼ねて飲んだワインをお土産に買いました。


北一硝子での買い物に時間を取られました。いろいろと目移りしてしまったので。次回は(何年先だろう?)、もっとゆっくりと観光を…と思いながら、最後の目的地・函館へと向かったのでした。


※前回に引き続き、UPした写真は画像処理して遊んでいます。悪しからず。


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【note】(かつての)少年よ(まだまだ)大志を抱け!(1)-札幌文明開化編-

2019-10-24 | 日日の幻燈

■ちょっと前置き
会社からリフレッシュ休暇なるものを頂戴して(要は勤続〇〇年のご褒美休暇)、かみさんと北海道へ10月14日から18日まで4泊5日の旅へ行ってきました。4泊する旅なんて結婚して数年たってから出かけた新婚旅行以来です。北海道も十数年ぶり。旅程としては羽田~札幌(1泊)~小樽(1泊)~函館(2泊)~北海道新幹線で帰宅。主に街歩きでしたが、その中からピックアップしての旅行記です。
尚、ツアーアドバイザーは会社の先輩・北海道地区営業担当のODR氏。札幌出身で現在、我が家から徒歩5分程度のマンションに単身赴任中。心強いことこの上なし。ちなみに新入社員だった私が最初に怒られたのがODR氏。懐かしい思い出です(飲みに行くと必ずこのネタで絡んでゴメンナサイ…)。

それでは北の大地へ-Be ambitious,again !


2019.10.16~17
■豊平館


「豊平館は、北海道開拓の礎を築いた開拓使が、洋風ホテルとして明治13年11月に建築し、明治天皇行幸の行在所となった明治14年8月30日に開館しました」(パンフレットより)

国の重要文化財で、昭和33年に現在地(中島公園)に移築され、現在は一般公開の他に結婚式場などとしても利用されているそうです。中島公園までは札幌駅から地下鉄で2~3駅程度ですが、私たちは札幌散策も兼ねて歩いてみました(50分程度だったかと)。



2階の広間です。現在もいろいろなイベントに利用されているだけあって、管理もきちんとされているようです。この日はウェディングの撮影をしていました。


■札幌ら~めん共和国


昼飯はここ。札幌駅に隣接する商業施設エスタの10階にある北海道ラーメンのフードテーマパーク。ラーメン専門店が軒を連ねているレストラン街です。札幌に行ったら味噌ラーメンを食べたい!というリクエストにODR氏が紹介してくれました。この日は祝日ということもあってか、どの店も長蛇の列。でも、回転が速いのでそんなに待ちませんでした。確かにカフェと違って、ラーメン屋に長居する人はあんまりいませんからね。
札幌のラーメンで迷ったらここに行ってみるのがいいかもしれません。


■札幌駅を占拠したストームトルーパー


JR札幌駅です。駅もそうですが街全体がきれいですよ。オシャレというか。いわゆる碁盤の目のように区切られた道路が整然とした雰囲気を醸し出しています。



素敵な駅の外観に見とれていた頃、駅構内は凶悪なストームトルーパーに占拠されていましたとさ。


■北海道庁旧本庁舎


1888(明治21)年に建てられた赤レンガ造りの壮麗な建物です。
が、何と改修工事(リニューアル)のため今月から内部見学ができなくなっていました。2~3年かかるようです。敷地内に入ることはできますので、外観だけでしばらくは我慢するしかないということでした。残念!


■時計台


札幌と言えば、ご存知、時計台。
クラーク博士で有名な札幌農学校の演武場として、1878(明治11)年に建設されました。国指定の重要文化財です。


■札幌教会


プロテスタントの教会で、正式には日本基督教団札幌教会といいます。宣教師ハリスを中心に、洗礼を受けた札幌農学校で学んだ生徒たちも参加して、1883(明治16)年に札幌基督教会が設立されました。この教会が建てられたのは1889(明治22)年のことです。
ビルの合間に身を隠すようにありますので、探すのにちょっとひと苦労。時計台からそう遠くないので、足を延ばしてみるのもいいかもしれません。こじんまりとして可愛らしい教会ですが、中に入れるのかはわかりませんでした。


🌛夕飯
営業でお客間と食事することも多いODR氏の紹介で、すすきのにある「炙屋すすきの別庭」にて。寿司、刺身、炙りもの…。美味でした。人気店なので予約していったほうが良いとのことです。


☕カフェ
16日にはJR札幌駅地下街の「よつ葉・ホワイトコージ」にて。
17日はホテルの朝飯をパスして「雪印パーラー」で朝パフェ。
もちろん、かみさんのリクエストです。どこへ行こうか随分前から策を練っていたようでした。


朝パフェした後、電車で次の目的地・小樽へと向かいます。


※UPした写真は画像処理して遊んでいます。悪しからず。


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【note】500万本の曼殊沙華!巾着田曼殊沙華公園

2019-09-29 | 日日の幻燈



現地で配られているガイドマップによると、その数何と500万本!曼殊沙華の群生地で有名な埼玉県日高市の巾着田に行ってきました。
曼殊沙華好きなカミさんが、是非とも!ということでお供したのですが、ここは想像以上でした。
よく、曼殊沙華の赤の絨毯って謳い文句を耳にしますが、今まで行ったところは期待外れなものばかり。ところが、ここは本当に看板に偽りなし。

ちなみに巾着田という珍しい地名は、高麗川が蛇行して作る地形が、上空から見ると巾着の形に似ているところから付けられたそうです。



普段は無料で開放されているようですが、この時期は入場料300円。でも、入場料払っても見る価値あり。高麗川の流れに沿う敷地は結構広く、ゆっくり歩きながら写真を撮ったりしていたら2~3時間はすぐに過ぎてしまうほど。土曜日、まさに花の見ごろということもあって、大勢の見物客で混雑していました。
中にはコスプレで写真を撮っているグループもいて、私は伊達政宗と真田幸村に遭遇。カミさんは貞子を見たと言っていますが、これは単に長い髪に白いワンピースの女の子だったのでは?と疑っている私です。
そうそう、この時期三脚の使用は禁止なので、写真を撮る際は注意が必要です。あと、まわりへの配慮もね。



赤が圧倒的に多い中、白い曼殊沙華は控えめな感じがして高感度UP!でした。

駐車場もあるようですが、やはり公共交通機関を使うのがよさそうです。JR高麗川駅からバスで20分くらい。または西武高麗駅から徒歩15~20分。私は行きは高麗川駅からバス、帰りは高麗駅まで歩きのルートを選びました。
高麗川駅からのバスは1時間に1本程度なので注意が必要です。道路も渋滞していました。曼殊沙華渋滞かな?西武線を利用して歩いたほうが、郊外の雰囲気も楽しめていいかもしれません。



周囲には古民家や古い神社などもあって、花も歴史も楽しめる素晴らしいスポットです。到着時間が3時過ぎだったので今回は花だけでしたが、次回はもっと早く行って、いろいろと散策してみたい巾着田でした。


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