歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈





NHKのBSで再放送されていた「黄金の日日」が終りました。
信長-秀吉-家康の時代を、堺の商人・納屋助左衛門を通して描いた1978年の作品。
これまで何度かこの作品への想いは綴ってきましたが、やはり書かないわけにはいかない。

その昔、少年は石田三成と出会ってしまったのだ

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「黄金の日日」の三成は、ただひたすらカッコ良かったのだ

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今までにも書いてきた通り、「黄金の日日」は自分史上No.1大河ドラマ。史実重視の視点からは、おいおい…ってところも多いようです。また最近の映像技術からすればセットもちゃっちい。でも、そんなことは自分の中ではもうすでに超越してしまっている。いわゆるこれが信者っていうやつでしょうか?

以前、知人が「黄金の日日は、前半は冒険活劇みたいで明るくて前向きで好きだけど、後半はなんか暗くて好きではない」と言っていました。
再放送を見終えて、今回はこの知人の一言について思うところを。


確かに物語前半に比べて後半は暗い、というか重たい。主人公・助左(納屋助左衛門)が成長するにつれ、いつまでも無邪気ではいられない、といったところでしょうか。自由に生きようとするほど、政治的なしがらみに束縛され、押しつぶされそうになる助左。ドラマの後半が暗くなりがちなのも仕方ないのかな。そうそう、今書いていてふと感じたのですが、前半の助左は夢と希望に満ちた冒険家、後半の助左は巨大な権力に抵抗するレジスタンスの戦士といった感じ?

そして最終回。
関ケ原の戦いの結果、家康に堺を追われ(いや、自らの意思で堺を持ち去り)ルソンに向けて出港した助左の船。そこに私はかつての冒険家・助左を見ました。そして江戸・大阪へ向かう人々にも、堺を出ていく悲壮感よりも、やはり新天地を目指す希望が。
そして船には助左と同名の少年が乗り込んでいます(堺に置き去りにされた捨て子かと)。助左はその少年に船の舵を取らせます。

若き冒険家の誕生。

これからこの少年は、立ちはだかるいくつもの困難を、かつての助左のように乗り越えていくのだろう。
ラストで再び第1話に戻ったかのような、夢と希望に満ちた日々への回帰。最終回まで見続けた我々も、ドラマ後半の暗い時代を抜け、たどり着いた新世界。
こうやって上の世代から次の世代へ、人々の営みは何世代にも渡って続いていくんだなぁ、その先に今の自分がいるんだよなぁ…って思いました。


何度も繰り返しDVDで見た「黄金の日日」。
1年かけて再放送を見終えて、感無量。少年の日の心に焼き付いたものは(これはドラマに限らないかと思いますが)、いつまでも宝物なんだと、あらためて気が付いたのでした。





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