日日の幻燈

歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと

【note】八王子古本まつり2022春

2022-05-04 | 日日の幻燈


JR八王子駅北口の西放射線ユーロードで開催されている、八王子古本まつりに行ってきました。春と秋、年2回の開催ですが、春の開催がユーロドで行われるのは3年ぶりではなかったでしょうか。27店舗、6万冊以上の規模です。

実は一昨日も来たのですが、お、あとでこれを買おう!とチェックしていた本を、すっかり買い忘れてしまいました。なので、今日はまずそれを買ってから、お宝を探そうと思っていたのですが、なんと!その本、なくなっていました。シリーズもので、その本だけがない…。
まさか、あんなマニアックな本を買っていく人がいるなんて。
これはかなりショック!
ああ、なんで買い忘れたのだろう。私のバカ!!
逃した魚は大きい…。



と、まぁそんな感じでしたが、仕方ないですね。今回は縁がなかったということで。


ところで、会場には「大久保長安の会」が、彼の偉業を伝えるためテントを出していました。
そこで、長安の小説を執筆された山岩淳さんと、長安の陣屋跡にある産千代稲荷神社の宮司さんに、長安についていろいろとお話をお伺いすることができました。
本当はもっとお話を聞いたり、質問をしてみたかったのですが、時間の都合もあり断念。
短時間でしたが、テント内外に展示されている手作りの資料を丁寧に説明していただき、長安初心者の私にはとても勉強になりました。
ありがとうございました。



登録証をいただきました。
え?会員・スタッフに登録されたのかな(笑)。
連絡先は公開していいのかわからなかったので、モザイク処理をしてあります。
よく見ると大久保長安「研究会」となっています。「大久保長安の会」と、また別なのでしょうか?


【大久保長安 家康を創った男!】


「大久保長安 家康を創った男!」
山岩淳著 揺籃社 2020年

こちらが山岩さんの著書。
古本ではなく、もちろん新品を購入。帰ってからすぐ読みました。
小説の体裁をとっていますが、長安の入門書のような感じです。馴染みのない用語は説明があり、これなら若葉マークの私でもよくわかります。
「あくまで小説ですから」と、山岩さん、念を押されていました。


【史実大久保石見守長安】


「史実大久保石見守長安」
北島藤次郎著 鉄生堂 1977年

そしてこちらは古本の中から発掘。箱入りで400ページを超える立派な本ですが1,000円でした。まだ読んでいませんが、八王子に限らず長安の事績を詳細に調査した本のようです。
八王子との関りも詳しく述べられていて(ここの章だけは目を通しました)、聖地巡礼にも参考になります。ただ、今から45年前に書かれた本なので、現在はもう残っていないとか、知っている人はいるのかなぁ…というものもありそうです。


そんなわけで、惜しくも手に入れ損ねた本があったものの、とても有意義な古本まつりでした。



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【note】大久保長安の聖地巡礼・八王子(1)-開運灯篭-

2022-05-03 | 進め!大久保長安
八王子と縁が深い大久保長安とは言いながら、では彼に関する遺物・遺構・伝承はどれだけ残っているのだろうか?
…という素朴な疑問に端を発し、では辿ってみようと思い立ちました。まずはネットで下調べしてみたところ、「大久保長安マップ」なるものがヒット。地元の出版社が作成したようです。マップそのものは未入手ですが、まずは、そこに記されている13か所をターゲットにしてみようかと。

そんなわけで、いざ、大久保長安の聖地巡礼の旅に出発!ただし、出不精の私のこと、どれだけの期間を費やすことになるのか、ちょっと不安…。気長にお付き合いいただければ幸いです。

さて、記念すべき1回目は「開運灯篭」。
JR八王子駅の南口から徒歩10分弱の興林寺にあります。

【興林寺】


江戸時代後期の「新編武蔵風土記稿」の興林寺の項に、次のような記述があります。
「本堂の後に旧き宝塔に似たるもの破壊してあり。これは昔大久保石見守が、越後の上杉謙信が建置しと云う石灯篭をこの地に持ち来れるなりと。其後大久保が家断絶せしゆえ、彼の石灯篭も取捨となりしかば、ここの境内に移せしなりと寺伝に残りおれり」
要するに、長安が越後(今の新潟県)から上杉謙信の石灯篭を持ち帰ってきたけど、お家が断絶したのちは打ち捨てられ興林寺の境内に移した、ということのようです。長安は佐渡の金山・銀山を統括する代官に任じられているので、佐渡へ赴いた際、越後にも立ち寄り持ち帰ったのでしょう。
案内していただいたお寺の方に、興林寺に移されたいわれをお伺いしましたが、戦災で古い記録などは焼失してしまい、そのあたりのことはわからないそうです。

【開運灯篭1】


さて、こちらがその石灯篭です。
境内に案内板は出ていません。場所が分かりにくいので、お寺の方に尋ねてみましょう。親切に案内していただきました。
「新編武蔵風土記稿」にあるとおり、「破壊」されています。基礎と笠の部分だけが今に残されているとのこと。

で、なぜこの壊れた灯篭が「開運灯篭」と呼ばれているのか?

お寺の方いわく、江戸時代、ある商人がこの灯篭に触れたところ、幸運が続いた(商売繁盛した、ということでしょうかね)ので「開運灯篭」と呼ばれるようになったそうです。

【開運灯篭2】


「どうぞ、撫でていってください」
とのことでしたので、私も今以上に幸運が舞い込みますように、と触らせていただきました。

今は一部しか残っていませんが、完全な形なら、さぞ見栄えのする灯篭だったことでしょう。長安の権力が絶大だったころ、陣屋を訪れる客人に
「これが、あの上杉謙信公の石灯篭でござる」
なんて、長安も鼻高々にお披露目していたかもしれませんね。



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