競馬を憶えた20代の初め頃、東京競馬場(府中)にはよく行った。改修した後は知らないからずいぶん変わってしまったかもしれない。
競馬の師匠の天元(同級生である)とよく通ったものだ。
ゲートが開く前に並んで駆けに駆けて4階スタンドの21番柱あたりに陣取った。そこからすぐパドックを見下ろせる中二階(中三階というのかな?)に出られるし、途中で馬券を買って席に戻れた。レースが終わるとまたパドックに向かうのだが、写真判定になった時は、出口近くのモニターで結果を確認してからすぐパドックに行けるのだ。
成績がいいと中二階にあるスタンドでビールを買い、外れたら外れたで何の楽しみかとばかりにビールを飲んだ。「おまえ呑んでばかりだな」と揶揄われたが、競馬だけやって負けて帰っては悔いが残るのだ。
寒い時期は熱燗を飲んだ。きねうちめんはよく食べた。
帰りは大変混むので、最終レースを買ってすぐ駅に向かった。電車の中で誰かが鳴らすラジオに耳を澄ませて結果を知った。
周りも息をひそめて聞き入っているのがわかる。時に、電車の音で聞きづらいことがあると周囲がざわめく。「1-3」とか枠連を口にする。馬の名前じゃない。すると「よし!」とか「くぅー」とか悲喜こもごものうめきが聞こえる。
「間違いないって思ってたんだよな」とか「これしかねぇってわかったんだよ」と手柄話が始まる。
ちょっと悔しさが混じって聞こえるのは、もう少し買っておけば良かったという思いが滲んでいたのだろう。負けたものはああ何故あれを抑えておかなかったんだとか、あそこで止めておけば少しはお金が残っていたはずだとか、数々の後悔を乗せて京王電鉄は走って行った。
中山競馬場(西船橋)はあまり行かなかったが、指定場所はないのでゆっくり乗り込んだ。
朝、駅に着くと乗り合いタクシーで500円を払って乗り込んだ。
パドックからスタンドに向かう前に馬券を買う。メインの通路を利用してゴール前にはちょっと遠いがスタンド下でレースを見る。そしてパドックに向かう繰り返しだった。ゴール前よりずいぶん手前になるから、ゴール前はオーロラビジョンで見ることになる。
食べたり、呑んだりするところがなかったのでわたしには不評だった。しかも、府中と違って動きが洗練されないし、立ちっぱなしに疲れた。
自ずと足が遠のいて行った。
ただ、オケラ街道は味があった。
われわれは勝っても負けても帰りはオケラ街道だった。1キロはあっただろうか?ほとんど後悔を抱えた道のりだった。
最終レースにぶっ込んだあの3千円があったら楽に1週間は暮らせたのに・・・。
どこから工面しようか・・・。あれこれ悔やみながら、集団はぞろぞろと歩き続けた。
それでも途中の道すがら、なけなしの金を狙う賭け屋がいて、その周りにそこそこの人がたむろしていたのは不思議だった。
競馬の師匠の天元(同級生である)とよく通ったものだ。
ゲートが開く前に並んで駆けに駆けて4階スタンドの21番柱あたりに陣取った。そこからすぐパドックを見下ろせる中二階(中三階というのかな?)に出られるし、途中で馬券を買って席に戻れた。レースが終わるとまたパドックに向かうのだが、写真判定になった時は、出口近くのモニターで結果を確認してからすぐパドックに行けるのだ。
成績がいいと中二階にあるスタンドでビールを買い、外れたら外れたで何の楽しみかとばかりにビールを飲んだ。「おまえ呑んでばかりだな」と揶揄われたが、競馬だけやって負けて帰っては悔いが残るのだ。
寒い時期は熱燗を飲んだ。きねうちめんはよく食べた。
帰りは大変混むので、最終レースを買ってすぐ駅に向かった。電車の中で誰かが鳴らすラジオに耳を澄ませて結果を知った。
周りも息をひそめて聞き入っているのがわかる。時に、電車の音で聞きづらいことがあると周囲がざわめく。「1-3」とか枠連を口にする。馬の名前じゃない。すると「よし!」とか「くぅー」とか悲喜こもごものうめきが聞こえる。
「間違いないって思ってたんだよな」とか「これしかねぇってわかったんだよ」と手柄話が始まる。
ちょっと悔しさが混じって聞こえるのは、もう少し買っておけば良かったという思いが滲んでいたのだろう。負けたものはああ何故あれを抑えておかなかったんだとか、あそこで止めておけば少しはお金が残っていたはずだとか、数々の後悔を乗せて京王電鉄は走って行った。
中山競馬場(西船橋)はあまり行かなかったが、指定場所はないのでゆっくり乗り込んだ。
朝、駅に着くと乗り合いタクシーで500円を払って乗り込んだ。
パドックからスタンドに向かう前に馬券を買う。メインの通路を利用してゴール前にはちょっと遠いがスタンド下でレースを見る。そしてパドックに向かう繰り返しだった。ゴール前よりずいぶん手前になるから、ゴール前はオーロラビジョンで見ることになる。
食べたり、呑んだりするところがなかったのでわたしには不評だった。しかも、府中と違って動きが洗練されないし、立ちっぱなしに疲れた。
自ずと足が遠のいて行った。
ただ、オケラ街道は味があった。
われわれは勝っても負けても帰りはオケラ街道だった。1キロはあっただろうか?ほとんど後悔を抱えた道のりだった。
最終レースにぶっ込んだあの3千円があったら楽に1週間は暮らせたのに・・・。
どこから工面しようか・・・。あれこれ悔やみながら、集団はぞろぞろと歩き続けた。
それでも途中の道すがら、なけなしの金を狙う賭け屋がいて、その周りにそこそこの人がたむろしていたのは不思議だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます