この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

あなたの耳垢はドライ派?それともウェット派?

2010-04-13 11:23:03 | 日本人は何処から来たのか
以前に紹介した「パラサイト日本人論」(竹内久美子著)から紹介しよう。

「アメリカ、テキサス大学の根井正利氏(現在はペンシルヴァニア州立大学)らは、ニグロイド(アフリカ人)、コーカソイド(ヨーロッパ人)、モンゴロイド(アジア人)の三大人種が分かれた時期を突き止めている。方法は、野澤氏がニホンザルやアカゲザルについて用いたのと同じで、血液中の電気泳動による。
それによると、まずニグロイドの祖先とその他の人々が分かれたのが11万5000年前~12万年前。後者からはコーカソイドとモンゴロイドのそれぞれの祖先が5万5000年くらい前に分かれてきた。遺伝距離はコーカソイドとニグロイドが0.023、コーカソイドとモンゴロイドで0.011、ニグロイドとモンゴロイドで0.024と算出され、遺伝距離0.1=約50万年であるから、この分岐年代が導かれたのである。このように三大人種の最初の分岐が11万5000年前~12万年前であるわけだから、新人自体の登場はそれよりも何万年か前ということになるだろう。新人と旧人はしばらく共存するが、旧人は滅び、人類はやがて新人のみとなるのである。

新人―つまり我々の直接の祖先は、おそらくアフリカのどこか奥地で誕生した。やがてニグロイドの祖先とその他の人々の祖先とが分かれ、後者はアフリカを後にした。彼らがヨーロッパから中東方面にかけて進出したと思われるのが10万年くらい前。そうこうするうちにウルム氷期が襲う。新人として経験する始めての氷河期である。ウルム氷期は約7万年前に始まり、2万年くらいを寒さのピークとして約1万年前に終わったとされているコーカソイドとモンゴロイド、それぞれの祖先が分かれたのが約5万5000年前というが、何とそれはウルム氷期の真っ只中であったわけだ。
とはいえ、氷河期というのは我々が想像するほどに厳しいものではなかったらしい。気温の低下は今より6~8℃くらい。ちょうど東京が札幌に、那覇が東京に置き換わった程度であるという。熱帯は亜熱帯に、亜熱帯は温帯に、というように気候は一段階ずつずれていた。地球全体が雪や氷に被われたイメージは誤りで、所によっては熱帯雨林でさえ存在したのである。

モンゴロイドの祖先はやがて東方へ移住を開始する。ある者たちはインドや東南アジア方面を回って大陸の東岸へ、ある者たちは中央アジアを経由して東部シベリア方面までに進出した模様である。
このシベリア方面への進出が、非常に注目すべき点である。シベリアは現在でも世界最極寒の地だが、当時の寒さはまた一団と厳しいものだったろう。それなのになぜそんな所に住み着いたと思うが、マンモスなど大型の獲物が魅力であったのかもしれない。こうしてモンゴロイドの一派は最極寒の地に住み着いた。そのような気候条件は我々の祖先の歴史の中でも初めての経験だったに違いない。そうして彼らは、寒さとの戦いの産物を得るのである。一重瞼や扁平な顔、細い目、胴長短足、丸味を帯びた体形に薄い体毛、薄い眉、乾いた耳垢・・・・。扁平な顔や長い胴は体表面積を少なくし、放熱を防止する。厚い瞼や目の細さは目のレンズが凍らないように、体毛が薄いのも水分を含んだ毛が凍るのを防ぐためであるという。こういう寒冷適応を遂げたモンゴロイドを新モンゴロイドと呼んでいる。

一方、南回りの経路をとり、寒冷適応を遂げなかったモンゴロイドは古モンゴロイドと呼ばれる。彫りの深い顔、二重瞼、ぱっちりとした目、比較的長い手足、濃い体毛、濃く太い眉、湿った耳垢、大きな耳たぶ・・・・と人類に多数派の特徴を備えているのである(もっとも、新モンゴロイドこそが特殊な進化を遂げたのだから、それは当然のことかもしれない)。そして日本列島に「新人」として初めて住み着き、日本人の原集団となったのは古モンゴロイドの方である」

「耳垢にはドライとウェットの二つのタイプがあり、人によってはどちらかに決まっている。日本人はドライが圧倒的多数を占めるが、ヨーロッパ人、アフリカ人などはほぼ全員がウェットで、人類全体としてはウェットの方がよほど普通である(米国白人で97.5パーセント、米国黒人で99.5パーセント)。ドライタイプの耳垢はモンゴロイドにしかまず現れない。それもユーラシア大陸の北東部に多く、寒冷適応を遂げた新モンゴロイドの特徴と考えられるのである」

どうでもいい知識かもしれないが、このように人類の歴史をまとめられると「ふ~ん」と納得し、得した気になる。
しかも、母の干物のような耳垢を見て、「なんじゃこりゃ!!」と驚いた積年の疑問がようやく氷解したのである。
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3 コメント

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アイヌは白人 (岩石(ハンドルネーム))
2021-08-03 12:23:08
私の兄がアメリカ合衆国ニュージャジー州にあるパイオニア(株)北米headquarterに勤めながらコロンビア大学の経営学修士(MBA)をとるために留学している頃、兄がアメリカ人の友人に「俺は日本人だ」と言うと、アメリカ人の友人は驚いて「ショーン(兄のアメリカでの通称)はてっきりイタリア人だとばかり思っていた」と話した。その後、イタリアのナポリの人たちが出てくるテレビ番組を見ていたら、兄とそっくりな人ばかり出てきた。イタリアのナポリの人間を兄と勘違いしそうになった。兄の顔や頭の形状なども、①極めて彫りが深く、眼の位置が低い上、眼が酷く窪んでいる、②眉と目の間隔が狭く、眼が額に酷く突き刺さっている、③二重瞼(眉下の皮膚が上瞼に被さっている)、④ウェーブ(天然パーマ・クセ毛)が多く、禿げている、⑤前顎が出て、口元も引っ込んでいる、⑥後頭部が後ろに大きく突き出している、などコーカソイドそのものである。今回、兄の骨格はコーカソイドの特徴だと分かった。モンゴロイドのものとは全く違う。最近で言えば、ユダヤ人であるアントニー・プリンケン米国国務長官と同じ系統の顔である。
日本の南の方は新モンゴロイド化しておらず、鹿児島県南九州市生まれの私たち兄弟はコーカソイドのままだった。今、考えると他の親戚も一種のコーカソイドだと分かってきた。インドのモディ首相の肌を白くすると私の祖父にそっくりです。駐日インド大使の肌を白くすると私の弟にそっくりです。従弟は沖縄にいる米国系クォーターに近い。従姉はブルガリア人美女学生youtuber・shiruに似ている。叔母は南米インディオに似ている。父はコーカソイド顔の美男子だ。妙に顔に凹凸のある母の顔は新モンゴロイドとして見ると極めて変な顔だが、コーカソイドとして見ればわかる。母の姉は美人だったので、ハーフ顔は美人になることもあれば、奇妙な顔になることもある。日本人はハーフ顔が美形だという間違った先入観を持っているが、逆に奇妙な顔になることもある。鹿児島県南九州市ではこの手の顔は当たり前すぎてこれまで気づかなかったが、これらもコーカソイドの一種だと分かった。瞳が青色やヘーゼル色の者、又は、金髪や銀髪の者はいなかった。鹿児島県南九州市の親戚が現地の方言を使うと、何を言っているかさっぱり分からない。親戚が標準語を使った場合もイントネーションが違うため、最初のうちは聞き取れない。岐阜県各務原市では中国人に近い東アジア系(ハプログループO)が多かったが、匈奴系(ハプログループN)と思われる友人には、①ヘーゼル色の瞳を飛び越えて瞳が明るい緑色と茶色の中間(サーミ人やフィン人との目の色と同じ)で青い瞳に近かった者、②金髪がかった銀髪(フィン人と同じ髪の毛の色で、髪の毛が細かった)者、がいた。私の中学・高校時代の彼女は南欧系(ハプログループI)だった。彼女も目鼻立ちがはっきりしたヨーロッパ系で、実年齢より大人びて見えた。中学校の女性英語教師はタタール系(ハプログループQ)だった。東北には蝦夷=匈奴系(ハプログループN)が多く、青い瞳や金髪の者がいる。ネアンデルタール人が約4万年前に絶滅したが、4~5万年前から日本に住み、これと交配していたハプログループNに青い瞳や金髪が出やすい。関東では毛人=地中海沿岸系(ハプログループD)が半数以上いる。東京での友人は英米人のような顔をしたゲルマン系(ハプログループR)だった。ちなみに、ロシア人は(ハプログループR、I、N)であり、アイヌ(ハプログループD)や秋田美人(ハプログループN)のロシア人説は間違いである。チュルク系(ハプログループC2)やツングース系(ハプログループC1a1)は日本全体に広がっている。持統天皇(女性天皇)や三韓征伐の神功皇后は金髪碧眼(ハプログループN)だった。平清盛の娘であり、後白河上皇に嫁いだ平滋子は天然パーマ(ハプログループD)だった。芸能人の満島真之介がインド人のように見える。金髪・青い瞳の欧米人を黒髪・ブラウンの瞳にすると、日本人と変わらなくなるケースが多い。
赤子の時は母乳だったので、粉ミルクによるB型肝炎の心配はないと思っていた。そしたら、私が高血圧を解消するために献血したら、「HTLV-1抗体が陽性であり、HTLV-1である可能性があるため、輸血には使えない」との通知が来て、「検体は研究に使わせていただく」と書いてあった。HTLV-1抗体があってもHTLV-1抗原があるかどうかは分からない。髪の毛の断面が楕円形だったことに「どういうことだ」とパニックを起こしたことがあるのに、更にHTLV-1抗体というものがあることが分かり、深刻な気分になった。コーカソイド=縄文人だということがはっきりしてしまった。直毛でない私はネアンデルタール人の遺伝子がなく、一般的な東洋人でもない。西洋人=白人=コーカソイドの身体的特徴があり、蒙古斑もなかったことから、地中海沿岸系ハプログループDと推定できる。
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金髪碧眼はハプログループN (岩石(ハンドルネーム))
2021-08-04 23:40:05
 シベリアのバイカル湖畔で見付かった古代北ユーラシア人のDNAを調べると、金髪になる変異を持っていた。金髪碧眼のアイヌの族長の写真が多く撮られた。昔の日本の戦の絵の中に鎧を着た金髪碧眼の兵士が描かれているものがあり、「なぜこんなところに白人が居るんだ?」と話題になった。アイヌ(ハプログループDは75.0%又は98.8%で、残りがC1a1)はロシア人と混血したため、金髪碧眼がいる。ロシア人のY染色体にはハプログループR、I、Nが多い。金髪碧眼の原因はハプログループN(ネアンデルタール人と交配した最初の日本人)である。ハプログループNの多い東北地方(蝦夷=匈奴)に金髪碧眼が多い。北欧での金髪碧眼が多い分布域はハプログループNの多い地域と重なっている。従来言われてきたハプログループIが原因ではない。その証拠にハプログループIのバイキングは金髪碧眼ではなかったし、ハプログループIの多いバルカン半島では金髪碧眼の比率が低い。最終氷河期にバルカン半島から来た天然パーマのハプログループDに金髪碧眼がいない。古代の持統天皇(女性天皇)や三韓征伐の神功皇后は金髪碧眼(ハプログループN)だった。平清盛の娘であり、後白河上皇に嫁いだ平滋子は天然パーマ(ハプログループD)だった。なお、タタール人のY染色体にはハプログループQ、C、Nが多く、金髪碧眼がいる。また、現在のブリヤ―ト人のY染色体にはハプログループC2、Nが多く、金髪碧眼がいる。これからも金髪碧眼はハプログループIやRと関係ないことが分かる。
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日本人の遺伝子のルーツ (岩石(ハンドルネーム))
2021-10-28 02:22:25
 最終氷河期(7万年前~1万年前)にはユーラシア大陸、北東亜平野(現在の黄海・東シナ海・志那大陸東側沿岸等の大陸棚)、九州、四国、本州は陸続きであり、4~5万年前にK-M214が北東亜平野から日本にも広がり、3万4600±4700 年前にK-M214→NO、N、Oに分かれた。最初の日本人(約2万8300年前に古長江で旧O2a系と旧O2b系に分かれた旧O2b系日本固有種O-47z・22.0%(もしくは25.1%)、日本固有種C-M8・5万年前・5.4%、NO-M214*・2.3%=福岡県3.8%と徳島県5.7%、N-LLY22g・1.2%、N-M178・0.4%、ウラル語族)が北海道を除く日本全国に住んでいた。計31.3%。Nは東北に多く、岩宿時代、4万年前(世界より2万年早い)に磨製石器を発明した。先住日本人には古長江系のO-47zと遼河系のNO-M214*、N-LLY22g、N-M178、C-M8が混在していた。
 最終氷河期は中近東とヨーロッパは陸続きだったので、ハプログループDEは西アジアor南ヨーロッパに入った後、DE→D(約6万年前、黒海北岸)、E(6万5200年前、地中海沿岸)に分かれた。ハプログループEはエジプトなどのアフリカ、イタリア、フランス、ドイツなどの西欧、ウクライナなどの南欧、イスラエル、イランなどの西アジア、インドなどに残った。ハプログループD=日本人の先祖(ラテン系日本固有種D-M116.1*・16.6%、D-M125*・12.0%、D-P37.1*・3.9%、D-P42・2.3%、ロマンス諸語)は、黒海北岸(現在のウクライナ、モルドバ、ルーマニアあたり。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている)に住んでいた。3万9000年前にイタリアで火山の大噴火が起きた。3万年前頃から、食料となるマンモスを追って東に進み、バイカル湖畔を経由して約2万年前に寒冷化による南下を始め、アムール川、沿海州を通って、氷河期は海面が140メートル低く陸続きとなっていた樺太や北海道(この辺りまでマンモスが生息)に南下した。約1万4000年前、凍った津軽海峡を渡って東日本縄文人となった。ヨーロッパ南部(+バルカン半島・北欧系I-P19・0.4%、ロマンス諸語)→西シベリア南部(+ゲルマン系R-M207・0.4%、約2万5000年前頃、ゲルマン諸語)→バイカル湖畔(+トルコ系C-M217*・3万年前・1.9%、約2万年前、アルタイ諸語)→アムール川(+タタール系Q-P36・0.4%、インディアン語族)→沿海州(+北方ツングース系ウリチC-M86・1.2%)→樺太→北海道(約2万年前、残留組がアイヌ)→東日本(約1万4000年前)と移り住んだ。計39.1%。主に関東に住んでいた東日本縄文人は、3500年前頃、寒冷化に伴い、西日本(人口が東日本の10分の1だった)に広がり、日本海沿岸、太平洋沿岸、東シナ海沿岸、沖縄に移り住んだ。
 縄文文明(紀元前1万4000年~紀元前1000年頃、ウラル語族)と遼河文明(紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN、ウラル語族)は関係が深かったことから、遼河文明人も縄文文明人の金髪碧眼を受け継いだ。遼河系先住日本人(ハプログループN、ウラル語族)=遼河文明(ハプログループN、ウラル語族)系匈奴であり、日本の古墳は匈奴由来である。縄文時代(紀元前1万4000年から紀元前1000年頃まで)、黄河文明人(紀元前7000年~紀元前1600年、ハプログループO2=旧O3系統、シナ・チベット語族)に侵略された長江文明人(約2万8300年前に古長江で旧O2a系と旧O2b系に分かれた旧O2b系O-SRY465*・7.7%、紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、ベトナム系言語)が沖縄の陸橋を渡って逃げてきた。ナウマンゾウが住んでいた瀬戸内海は約1万年前に海水が入り込み、陸地から内海に変わった。日本列島がステップ気候から森林に変わると、太平洋の島々(最南端はパラオ、グアム)の人々(約2万8300年前に古長江で旧O2a系と旧O2b系に分かれた旧O2a系O-M95*・1.9%もしくは0.8%)も日本列島に移り住み、その言語(オーストロアジア語族)も取り込まれた。旧O2a系O-M95系統は中国南部、東南アジア、インド東部など、特にオーストロアジア語族に属す言語を話す民族に多い。計9.6%。オーストロネシア語族のO1a(旧O1)も1.3%(もしくは3.4%)いるという統計もある。オーストロネシア語族は台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。これに先住日本人、北から来た者を合わせると日本人の80.0%になる。
 志那大陸は3000年前から春秋戦国時代となり、大勢の華北人(旧O3系)が周辺国に逃げたが、そのうち東シナ海を渡って日本に逃げた華北人(黄河文明系の旧O3系O-LINE1・3.1%、O-M122*・6.6%、O-M134・10.4%、シナ・チベット語族)は日本人の20.1%(もしくは19.1% or16.7%)にも及んだ。華北人(旧O3系)が東シナ海を渡って北九州から侵入し、主に瀬戸内海沿岸に住み、在来の日本人と混血した。
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