この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

お墓なんかいらない

2024-12-02 08:02:00 | つれづれ記
「所さん!事件ですよ」(11/30放送)葬祭場が走る!?を見た。
そのなかで「直葬」が近年多くなっているということで妄想が膨らんだ。
長寿になって友人や知人も先に亡くなっていて、勢い近親者だけの葬儀となり、大げさな葬儀がなくなったという。
確かに父は10年に及ぶ寝たきり入院の後、87歳で亡くなった。同級生はほぼなくなっている。少ない友人の内、村田何某が通夜の席に押しかけて、死亡広告の87歳とは何事か!と怒られた。
沖縄では(本土でもそうかもしれないが)数え歳にして、少しでも長生きしたようにサバを読む風習があるが、これは88歳と表記すべきだったと怒られたのだ。

それはともあれ、大典寺という大手の葬儀場で盛大に葬儀を行ったが、幸い300人以上の弔問者が訪れて、赤字にならなくてすんだ。
沖縄の葬儀は広く薄くという習慣で、香典代は少ないのが当たり前。
兄の葬儀(昭和52年)の時は500円が大半だった。母の時(平成14年)も千円が主流だった。
長らく寝たきりだった父の葬儀だったが、一応、功成りを遂げた人だったから、赤字は覚悟で立派な葬式を上げてやりたかったのだ。
退任して長かったが、元の会社や公職先に死亡広告をお願いして華やかした。おかげでかつての教え子や仕事関係の人もかけつけてくれた。

父は元家(むーとやー)のお墓から分墓して祖父たちの墓を作った。そこが都市計画か何かでひっかかって立ち退きを食らい、母方のお墓が移る跡を買って、移転補償金をすべてつぎ込んで立派な墓を作った。約一千万!?
御影石でできた立派な墓の前で、未来永劫続く住処だと自慢していた。
今そこに納まっている。
ところが、わたしには長女(39)と長男(34)のふたりの子どもがいるが、どちらも伴侶を持たない。
お墓は頑丈でずっと続く可能性はあるが、子孫が続かない恐れがあるのだ。

問題は葬儀のことばかりではない。
日本全国、無縁墓ばかりになっていくのではないだろうか?
わたしは豪華な墓はいらない。ちいさな墓石のむこうにコンクリートで囲んだ一角の土の中に骨を埋めて欲しいと思う。先祖の骨と一緒に。
長い年月をかけてバクテリアがその骨を分解して土に戻してくれるだろう。
そこに桜か何かの木を植えておいて、栄養をもらいながら大きく育ってくれたら、なを嬉しい。
何百年か経って、子孫も絶え果てて、うっそうとした森の中にぽつんと石碑が立っていて、彫られた氏名から、「ああ、誰かのお墓なんだな」と分かってくれるだろう。

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