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信時潔(詩:清水重道)/歌曲集「沙羅」
丹沢 あづまやの 北秋の 沙羅
鴉 行々子 占ふと ゆめ
畑中良輔(バリトン)
三浦洋一(ピアノ)
録音:1973年
信時潔という名は中学1年の入学後まもなく知った。なぜなら中学の校歌の作曲者だったからである。そして、その校歌は当時の私には、なんとも良い曲であり、歌って心地良くすぐに愛着を感じたからである。
潔の作曲した校歌は巷に溢れているようである。もしかしたら極似の曲もあるかも知れない。
しかし、土岐善麿作詩のその曲は、韻を踏んでいて唱えて心地良く、その言葉から思い描く情景は、教室の窓からの眺めと不思議なほど合致していたのである。
確か、音楽の先生が「この詩は善麿が当地に何日か滞在する中で生まれた」というような意味の話をされたと記憶している。
だから、後の(プチ)クラオタ人生の中で、邦人作曲家の中に「信時潔」の名を見つけると、とかく意識して「聴いてみたい」と思ったものである。
それから4年くらい後に歌曲集「沙羅」を知った。
初めて聴いたのは柳兼子女史のレコードであった。今は千葉でアマ・オケや合唱団の指揮をしているN氏の家で聴かせてもらい、そのまま借りてきてカセットにダビングし、そのテープを繰り返し聴いていた。(当時は、併録されていた高田三郎作品を主に聴いていたのだが・・・)
「丹沢」の色彩感の素晴らしさ。
曲が詩を全然邪魔していない。
邪魔していないどころか、その呼び覚ます情景は、より鮮やかであり、同時にあくまでも慎ましい。
その慎ましい唄を畑中氏は地味だが曲趣にぴったりの歌いっぷりで魅了する。
力みなくソフトであり、語るように歌い静かである。
丹沢
枯れ笹に陽が流れる、背に汗
うらうらと雲さへも、冬なのに
尾根長く檜洞こえて響く澤おと
どの山も崩土の色だけは凍ててゐる
塔のむかふ町並光らせて秦野
見やる天城も明るい草附き
雪の来ぬ冬山のくぼに煙草吸うて見る
ひとり
美しい日本語に美しく作曲された歌について、私なんぞに何の書き様があると言うのだろう。
聴いたことがない人は、まあ聴いてみてください。
そんなことしか言えません。
ほかには例えば、これも慎ましく決して人には聞かせられない、口の中で自分にしか聞こえないようにつぶやいた心情発露みたいな「北秋の」。これも素晴らしい。
畑中氏、名歌手だったのだ。
夢ごヽろ
うつヽ心
たヾひろき
池ばかりなる (「ゆめ」より)
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