それほどたくさん聴いてきたわけではないけども、今、もし「邦人合唱曲の録音の中でひとつだけ選ぶなら」と聞かれたら迷わずこの演奏(同時に録音された「水のいのち」「薄氷」共々)を選ぶ。
吉野弘作詩、高田三郎作曲/合唱組曲「心の四季」(女声合唱版)
風が
みずすまし
流れ
山が
愛そして風
雪の日に
真昼の星
合唱:聖心女子大学グリークラブ
ピアノ:木下歌子
指揮:木下 保
録音:1977年9月
「心の四季」は全曲、抜粋ともに何度か歌ってきた。
他の演奏も、録音、実演、放送などで(作曲者自身の指揮も含め)いくつか聴いてきた。それらの中で、この木下保指揮の演奏は群を抜いている。圧倒的に素晴らしい。
ここで指揮をしている木下保は、もう空前節後の深みと高みを見せている。私はあちこちで「彼は日本合唱指揮界のムラヴィンスキーだ」と言いふらしてきた。
「上手さ」で言うなら、ここで歌っている聖心女子より上手い合唱団はゴマンとあるだろう。ヴィブラートもやや強い目であり、それが気になる人もいるだろう。
しかし、表面的な虚飾を排して、そっけないような外観にこれほどの深みと説得力を感じさせる演奏がほかにあるだろうか。
全体に速目のイン・テンポでありながら、所々に(詩の内容にかかわって)控えめながらも結晶のように輝く表情付けが散りばめられている。
昨夜、久しぶりに聴いたけども、「風が」からずっと聴いてきて「雪の日に」至って、もう不覚にもボロボロになってしまった。
高校の時から幾度となく歌ってきたけども、今まで、この曲のこの詩の、いったい何が自分に判っていたのだろう?「今なら判っている」という意味では決してないけども、汚されることを承知で生まれ続ける「雪」の在り様に触れて、この詩に託された健気で意地らしい純粋さに震えるほどの共感を覚えた。
そして木下氏の指揮も、ここだけは、このやりきれないくらいに汚されるために降り続く純白の雪を、言葉のいのちを大事にしたじっくりとしたテンポで歌い紡いでいく。
高田三郎氏は合唱曲を書く前はむしろ器楽曲中心に作曲していたと言うが、「心の四季」のピアノ・パートは、なるほど「伴奏」という言葉が不適切なほどの意味深さと詩との関連を感じさせる。
ここでピアノを弾いている木下歌子氏(木下保氏のお嬢さん)は、時に合唱をマスクする程の雄弁さで合唱と対峙しており見事だ。しかも耳煩い感じはまったくない。
形容しがたい説得力で終曲「真昼の星」が歌われ空に消える・・・しばしの空白をはさんで「薄氷」がさわやかに始まる、そのアルバム構成の妙も粋であった。
それにしても、この録音当時、木下氏は74歳!
なんと透徹した指揮ぶりだろうかと驚く。
こんな天才的指揮者が、もう忘れられようとしている(ように思うは私だけか???)ことが寂しく悔しく思われる。
吉野弘の詩については綴る言葉はない。研ぎ澄まされたままに産み出された詩人の言葉について、私なんぞがあれこれ言える訳がない。詩を載せているサイトもあるので、読んで頂いたらいいと思う。
以前、当ブログで吉野氏の違う詩を採りあげたことがあったけど、もともと吉野作品との出会いはこの合唱曲である。詩集も4冊買った。
この演奏は、LP時代に「水のいのち」「薄氷」(合唱は日本女子大学合唱団)とのフィルアップで発売された。合唱仲間で友人でもあるA阪氏がすぐさま購入し、私は、そのレコード借りてダビングしたカセットで長い間愛聴してきた。
数年前に私もそのㇾコートを中古で入手したが、今回やっとCDを入手できた。これ、今は廃盤になっていて入手はあきらめかけていたが、某ネット中古ショップでさりげなく「真昼の星」のように安く売られていたのだ。
木下保氏については、また続編を書きたい。
吉野弘作詩、高田三郎作曲/合唱組曲「心の四季」(女声合唱版)
風が
みずすまし
流れ
山が
愛そして風
雪の日に
真昼の星
合唱:聖心女子大学グリークラブ
ピアノ:木下歌子
指揮:木下 保
録音:1977年9月
「心の四季」は全曲、抜粋ともに何度か歌ってきた。
他の演奏も、録音、実演、放送などで(作曲者自身の指揮も含め)いくつか聴いてきた。それらの中で、この木下保指揮の演奏は群を抜いている。圧倒的に素晴らしい。
ここで指揮をしている木下保は、もう空前節後の深みと高みを見せている。私はあちこちで「彼は日本合唱指揮界のムラヴィンスキーだ」と言いふらしてきた。
「上手さ」で言うなら、ここで歌っている聖心女子より上手い合唱団はゴマンとあるだろう。ヴィブラートもやや強い目であり、それが気になる人もいるだろう。
しかし、表面的な虚飾を排して、そっけないような外観にこれほどの深みと説得力を感じさせる演奏がほかにあるだろうか。
全体に速目のイン・テンポでありながら、所々に(詩の内容にかかわって)控えめながらも結晶のように輝く表情付けが散りばめられている。
昨夜、久しぶりに聴いたけども、「風が」からずっと聴いてきて「雪の日に」至って、もう不覚にもボロボロになってしまった。
高校の時から幾度となく歌ってきたけども、今まで、この曲のこの詩の、いったい何が自分に判っていたのだろう?「今なら判っている」という意味では決してないけども、汚されることを承知で生まれ続ける「雪」の在り様に触れて、この詩に託された健気で意地らしい純粋さに震えるほどの共感を覚えた。
そして木下氏の指揮も、ここだけは、このやりきれないくらいに汚されるために降り続く純白の雪を、言葉のいのちを大事にしたじっくりとしたテンポで歌い紡いでいく。
高田三郎氏は合唱曲を書く前はむしろ器楽曲中心に作曲していたと言うが、「心の四季」のピアノ・パートは、なるほど「伴奏」という言葉が不適切なほどの意味深さと詩との関連を感じさせる。
ここでピアノを弾いている木下歌子氏(木下保氏のお嬢さん)は、時に合唱をマスクする程の雄弁さで合唱と対峙しており見事だ。しかも耳煩い感じはまったくない。
形容しがたい説得力で終曲「真昼の星」が歌われ空に消える・・・しばしの空白をはさんで「薄氷」がさわやかに始まる、そのアルバム構成の妙も粋であった。
それにしても、この録音当時、木下氏は74歳!
なんと透徹した指揮ぶりだろうかと驚く。
こんな天才的指揮者が、もう忘れられようとしている(ように思うは私だけか???)ことが寂しく悔しく思われる。
吉野弘の詩については綴る言葉はない。研ぎ澄まされたままに産み出された詩人の言葉について、私なんぞがあれこれ言える訳がない。詩を載せているサイトもあるので、読んで頂いたらいいと思う。
以前、当ブログで吉野氏の違う詩を採りあげたことがあったけど、もともと吉野作品との出会いはこの合唱曲である。詩集も4冊買った。
この演奏は、LP時代に「水のいのち」「薄氷」(合唱は日本女子大学合唱団)とのフィルアップで発売された。合唱仲間で友人でもあるA阪氏がすぐさま購入し、私は、そのレコード借りてダビングしたカセットで長い間愛聴してきた。
数年前に私もそのㇾコートを中古で入手したが、今回やっとCDを入手できた。これ、今は廃盤になっていて入手はあきらめかけていたが、某ネット中古ショップでさりげなく「真昼の星」のように安く売られていたのだ。
木下保氏については、また続編を書きたい。
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