12月。巷では「第9」、そして「メサイア」のシーズン(なんでしょうね、やっぱり)。という訳でもないのだが、いつもこの頃になると通勤退勤時の自家用車内でメサイアを一度は聴く。今年は、めずらしくちゃんと奥の院にて聴いた。
ヘンデル/オラトリオ「メサイア(救世主)」
指揮:レナード・バーンスタイン
アデル・アディソン(S)、ラッセル・オベーリン(CT)、ディビッド・ロイド(T)、ウィリアム・ウォールフィールド(Br)、ウェストミンスター合唱団
ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1956年12月31日
ユニークなメサイアだと思う。
これは1956年の12月27、28、30日にカーネギーホールにてコンサートが行われた後、大晦日の一日だけでセッション録音されたもの。
大晦日にこんな大曲を一気に録ってしまうのにも驚きだが、欧米のレコーディングデータには、時折、元旦とかの録音もあるから、日本とは年末年始の感覚が違うのだろうな。まあ西洋には「盆も正月もない」のが当たり前か?
ここでバーンスタインは曲順をかなり入れ替え、また大幅に曲をカットして、本来の三部構成ではなく第1部「降誕(クリスマス)編」第2部「復活編」の二部構成に再編成している。
また、当時としては珍しくアルト・ソロにカウンターテナーを配したり、よく判らないが所々に管楽器を用いたりと、テンポだけでない「バーンスタイン版メサイア」へのこだわりを見せている。そのへんの経緯にいては、ライナーノートに彼自身が詳しく書いているようだ。
「ようだ」というのは、英文だから拙者にはほとんど判らないから・・・。
で、演奏だが・・・・
まず、序曲の恐ろしいほどに遅く重く暗い序奏部分に驚く。近頃のピリオド古楽系の演奏と比すると倍以上遅い。どの音符も、その持てる表情を目いっぱい表出しつつ引きずりながら立ち止まりそうになったりしながら歩む。
冒頭から、まるで晩年のバーンスタインがもうそこに居るみたいな錯覚。
これ、1956年(レニー38歳!)の録音なんだけど!
次ぐ主部は厚ぼったく、やや混沌とした響きの弦が、鈍重と言うよりは、どこか厳粛な空気を持ちつつ進んでいく。
その後に続く「本編」は・・・ソリストも合唱も、ちょっと下手っぽいところが耳につくし、オケの音も洗練味は今一歩と言う感じ。
それでも、この、なんと言いましょうか、幾度かの実演と練習を経て出来上がったのであろう生命感溢れる響き。ライヴ感覚いっぱいの演奏は魅力ありますな。
ヘンデルが泣きながら作曲したらしい「He was despised」などはレニーのアプローチがぴったんこ、はまってますなぁ。
通常は女声にて歌われる(ことが多い?)ナンバーをテノール・ソロに歌わせ、まるでエヴァンゲリストみたいにしてみたり、「I know that my Redeemer liveth」のアリアなどはヴァイオリン・パートを独奏にしたりして、まるで受難曲みたい。
曲カットによって出来た新しい繋がりは、特に第二部「復活編」後半ではたたみかけるような緊張と鮮やかなコントラストであり、一気に最後の合唱に突入する。そして、「アーメン」の速くビートの効いたピチピチした演奏!
諸々の指揮者さんよりもテンポを落とすタイミングを早く取り、劇的な終結。
これ、おそらくカーネギーホールで聴いた当時の聴衆は熱狂しただろうな。
でも、一般リスナーには決して受けはよろしくない、あくまでも贔屓の引き倒し、アバタも笑窪のレニー・ファンが勝手に熱狂した演奏だとお考え下さいませ。
演奏会記録については iwalin さんのHPを参考にさせていただきました。
アデル・アディソン(S)、ラッセル・オベーリン(CT)、ディビッド・ロイド(T)、ウィリアム・ウォールフィールド(Br)、ウェストミンスター合唱団
ユニークなメサイアだと思う。
これは1956年の12月27、28、30日にカーネギーホールにてコンサートが行われた後、大晦日の一日だけでセッション録音されたもの。
大晦日にこんな大曲を一気に録ってしまうのにも驚きだが、欧米のレコーディングデータには、時折、元旦とかの録音もあるから、日本とは年末年始の感覚が違うのだろうな。まあ西洋には「盆も正月もない」のが当たり前か?
ここでバーンスタインは曲順をかなり入れ替え、また大幅に曲をカットして、本来の三部構成ではなく第1部「降誕(クリスマス)編」第2部「復活編」の二部構成に再編成している。
また、当時としては珍しくアルト・ソロにカウンターテナーを配したり、よく判らないが所々に管楽器を用いたりと、テンポだけでない「バーンスタイン版メサイア」へのこだわりを見せている。そのへんの経緯にいては、ライナーノートに彼自身が詳しく書いているようだ。
「ようだ」というのは、英文だから拙者にはほとんど判らないから・・・。
で、演奏だが・・・・
まず、序曲の恐ろしいほどに遅く重く暗い序奏部分に驚く。近頃のピリオド古楽系の演奏と比すると倍以上遅い。どの音符も、その持てる表情を目いっぱい表出しつつ引きずりながら立ち止まりそうになったりしながら歩む。
冒頭から、まるで晩年のバーンスタインがもうそこに居るみたいな錯覚。
これ、1956年(レニー38歳!)の録音なんだけど!
次ぐ主部は厚ぼったく、やや混沌とした響きの弦が、鈍重と言うよりは、どこか厳粛な空気を持ちつつ進んでいく。
その後に続く「本編」は・・・ソリストも合唱も、ちょっと下手っぽいところが耳につくし、オケの音も洗練味は今一歩と言う感じ。
それでも、この、なんと言いましょうか、幾度かの実演と練習を経て出来上がったのであろう生命感溢れる響き。ライヴ感覚いっぱいの演奏は魅力ありますな。
ヘンデルが泣きながら作曲したらしい「He was despised」などはレニーのアプローチがぴったんこ、はまってますなぁ。
通常は女声にて歌われる(ことが多い?)ナンバーをテノール・ソロに歌わせ、まるでエヴァンゲリストみたいにしてみたり、「I know that my Redeemer liveth」のアリアなどはヴァイオリン・パートを独奏にしたりして、まるで受難曲みたい。
曲カットによって出来た新しい繋がりは、特に第二部「復活編」後半ではたたみかけるような緊張と鮮やかなコントラストであり、一気に最後の合唱に突入する。そして、「アーメン」の速くビートの効いたピチピチした演奏!
諸々の指揮者さんよりもテンポを落とすタイミングを早く取り、劇的な終結。
これ、おそらくカーネギーホールで聴いた当時の聴衆は熱狂しただろうな。
でも、一般リスナーには決して受けはよろしくない、あくまでも贔屓の引き倒し、アバタも笑窪のレニー・ファンが勝手に熱狂した演奏だとお考え下さいませ。
演奏会記録については iwalin さんのHPを参考にさせていただきました。
うぅぅぅん、ちょっと違うかも知れませんが、例えば・・・最近の文句のつけようの無い洗練されたピリオド演奏に投げつけた汚物の爆弾みたいなもんでしょうか?
爽快ですワ。
レニーは「感情移入」の激しい人ですよね。
これ聴いたヨーロッパの同業者達は冷笑したのと違うかな?
でも、好きですよ。
たぶん、また聴くでしょう。
と思うでしょうね。
僕も「ハレルヤ」を一番最初にまず聞いたときに、言葉がなくなりました。下手すぎ。
バーンスタインのCDではハズレという、他の人には聴かせられない演奏。
56年だからノリノリだと思ってはいけないのだ。
NYPOとのバーンスタインの録音は、テンポが速いと勘違いする人も多いが、オケが重く暗い音なのでクライバーみたいなことを期待したら驚く人が多いと思う。
この超スローなテンポの「ハレルヤ」を聴いたときにまず思ったのは、「では、オーソドックスなCDが欲しいな…」でした。
しかし、いまだに買ってないですけどね。
なのでうちの「メサイヤ」は重たいですよ(笑)
ハズレ演奏を文句言いながら聴くのが、レニーファンなのかも。