10月に入った。
10月は私と長男の誕生日の月であり、バーンスタインが没した日がある月である。
10月に入ると、日に日に空気が透明になっていく、そんな感じを子どもの頃から持っていた。
半ばになると伊勢では「大祭り」というのがある。今は土日に実施され「いせまつり」と称しているようだが、自分が子どもの頃は日が決まっており、3日間、盛大に行われた。学校の授業は2限打ち切りと休日で3日目だけは限定された地域だけが休みになっていた(らしい)。(詳しくは知らないので知ってる人はご訂正下さい。)
この頃から11月下旬にかけての期間が、一年で一番好きな季節である。
子どもの頃済んでいた家はサッシ窓などなかったから、風があると窓や障子がカタカタと鳴った。その音の透明感と、朝の室内のひんやりとした感じ、その何とも言えない気持ちよさは今でもはっきりと憶えている。
さて、昨日、妻は定期的な通院日であったが、昨年2月の発症以来初めて「ひとりで」病院まで出かけていった。
家から駅までは従姉の車で送ってもらったが、松阪から伊勢までは自分で電車に乗り、向こうの駅から病院までも歩いていったらしい。
私は、「一人で行く」と聞いた時に「無理するな」と言っておいた。駅で時刻表を見上げたり、「料金はいくらか」と探したりしてるうちに頭がクラクラしてくることは大いに予想された。無事に切符が買えたとしても、ホームまでの階段の昇り降りやホームで人と人との間に居ることなどで、ひどく疲れるだろうと思っていた。
しかし、そういう心配していたようなことは無く、「ちゃんと」診察も受けてきた。さすがに帰りは義母の迎えを頼んでいたようだが・・・。
先を急がず、主治医先生の言葉を借りれば「ぼちぼちと」やっていったらいい。慌ててはいけない。「治りたい」という自身の焦りとも闘うことが必要だと思う。
音盤は相変わらず聞いているヒマほとんどないが、いくつか心に残るものはあった。コンビチュニーの「グレート」、ムーティのベートーヴェン「田園」など・・・。また、ヒマがあったら愚感想を書こう。
ああ、しかし・・・またまた不義理なことをやっちまった。
いかんなぁ・・・多忙と言っても、する時間はあったはずだ。自分の意識が低かった。
こうやって人の期待を裏切っていくんだな。後悔先に立たず。
10月は私と長男の誕生日の月であり、バーンスタインが没した日がある月である。
10月に入ると、日に日に空気が透明になっていく、そんな感じを子どもの頃から持っていた。
半ばになると伊勢では「大祭り」というのがある。今は土日に実施され「いせまつり」と称しているようだが、自分が子どもの頃は日が決まっており、3日間、盛大に行われた。学校の授業は2限打ち切りと休日で3日目だけは限定された地域だけが休みになっていた(らしい)。(詳しくは知らないので知ってる人はご訂正下さい。)
この頃から11月下旬にかけての期間が、一年で一番好きな季節である。
子どもの頃済んでいた家はサッシ窓などなかったから、風があると窓や障子がカタカタと鳴った。その音の透明感と、朝の室内のひんやりとした感じ、その何とも言えない気持ちよさは今でもはっきりと憶えている。
さて、昨日、妻は定期的な通院日であったが、昨年2月の発症以来初めて「ひとりで」病院まで出かけていった。
家から駅までは従姉の車で送ってもらったが、松阪から伊勢までは自分で電車に乗り、向こうの駅から病院までも歩いていったらしい。
私は、「一人で行く」と聞いた時に「無理するな」と言っておいた。駅で時刻表を見上げたり、「料金はいくらか」と探したりしてるうちに頭がクラクラしてくることは大いに予想された。無事に切符が買えたとしても、ホームまでの階段の昇り降りやホームで人と人との間に居ることなどで、ひどく疲れるだろうと思っていた。
しかし、そういう心配していたようなことは無く、「ちゃんと」診察も受けてきた。さすがに帰りは義母の迎えを頼んでいたようだが・・・。
先を急がず、主治医先生の言葉を借りれば「ぼちぼちと」やっていったらいい。慌ててはいけない。「治りたい」という自身の焦りとも闘うことが必要だと思う。
音盤は相変わらず聞いているヒマほとんどないが、いくつか心に残るものはあった。コンビチュニーの「グレート」、ムーティのベートーヴェン「田園」など・・・。また、ヒマがあったら愚感想を書こう。
ああ、しかし・・・またまた不義理なことをやっちまった。
いかんなぁ・・・多忙と言っても、する時間はあったはずだ。自分の意識が低かった。
こうやって人の期待を裏切っていくんだな。後悔先に立たず。
「インチキくさかった」と言うよりほとんどインチキだった(笑)のですが、みんな承知で楽しんでいましたね。中には、「ヘビを食いちぎる」インチキではない芸もありましたが・・・。
あと、なんと言っても「鼓笛パレード」が、いまだに続いていて、あれは裏「無形文化財」見たいなモノですね。
松阪でも初午祭の時に岡寺さんで同じような事やってました。
マイクで流れてる口上や看板の絵が印象深かったです。見るとたいした事がないと言うか、インチキくさかったですよね(笑)でもお化け屋敷は子ども心に怖かったです。
ほんとにゾクゾク。ワクワクでしたね(笑)
私は小学生の時に大名行列の助六(だったかな)で参加しました。
当時はいろんな団体が参加していて、私は某海洋少年団として参加しました。市の行事だったので「公欠」扱いで、みんなより早く学校を離れて、なんか優越感ありました。実際はパンツが見える恥ずかしい衣装だったのですが・・・。
ほかには、祭り期間中だけ公園で催されるお化け屋敷と見世物小屋が印象深いです。
見世物小屋の方は、もう、今やあんなのはどこにも無いでしょうね。って言うか、今だったら人権問題になるような「見世物」でした。
タコ人間の美女とか、人魚とか、蛇を頭から食う男とか・・・。当時の祭りには、今よりも、もっと危うく妖しく、ゾクゾクするような異次元的魅力もありましたね。
高校の時は実力テストの時期と重なっていましたが勉強せず見に行ってました。なので大学に行けませんでした(笑)