少し前にTVで秋山和慶指揮広島交響楽団の演奏でベートーヴェンの「エグモント」序曲を聴きました。
それからしばらくして、なぜか突然、また「エグモント」が聴きたくなり、2日間に渡り、いくつか聴いてみました。
主にカラヤンの指揮で。
ベトーヴェン/「エグモント」序曲
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音:1985年
カラヤン指揮の「エグモント」序曲は正規録音が3つ(他に正規映像も2つあります)。
1953年 フィルハーモニア管
1969年 ベルリン・フィル
1985年 ベルリン・フィル
「エグモント」序曲を初めて聴いたのは1971年で、FMから流れてきたカラヤン指揮のものでした。
その時の演奏がフィルハーモニア管のものであったことは、ずっと後でCDを入手して分かりました。
私のCDの入手順は、最初に85年盤(写真)、次いで69年盤(「エグモント」全曲として)、そしてフィルハーモニア盤(EMIのコンプリート箱)と、録音とは逆の順でした。
演奏スタイルは、3つともだいたい同じです。
69年盤は木管を中心にオケの美音が際立っており、けっこうな迫力がありながらもクライマックスでも決して度を越さない「抑制」みたいなものが感じられました。
53年のフィルハーモニア盤は、重々しく引きずるような序奏が、初めて聴いた時はものすごいインパクトでした。
その時は、演奏のというより私にとっては楽曲のインパクトであったわけですが・・・。
これが「エグモント」序曲の刷り込みとなり、しばらくは毎日のように聴いていた中2の私でした。
そのころは、この曲にかなり惹かれていて、私が初めて買ったスコアはこの曲とモーツァルトの40番の2冊でした。
当然、レコードも欲しくなり、セル指揮の17㎝盤を買ったのですが、そのあまりにも違うアプローチにスピーカーの前でひっくり返るくらい驚きました。
カラヤンの指揮では、出だしの音の出し方もずぅぃぃ~んと微妙にずれていて独特の丸みと重みがあり、そのあとに続く和音はいずれも、ずぅぅぅぅ~っと尾を引いて引き延ばされ、正に「悲劇の始まり」にぴったりな感じでした。
今回の再聴でも、その印象は変わらず、50年代のカラヤンは颯爽としていながらも、このような後年を凌ぐような重厚なアプローチもけっこうしていたことが分かります。(まだ後年のスタイルが確立されていなかったとも言えるでしょう)
ところが、セルの指揮で聴く「エグモント」は、出だしもパッと揃っていて、続く和音も力感は充分ながらスパッと断ち切られていました。
演奏者によってこうも違う曲に仕上げられるのか、ということを実感した瞬間でした。
しかし、私はセルの演奏にも惹かれました。
唸り声交じりの熱い演奏は、これまた繰り返し聴いたものでした。
独特のホルン強奏にはけっこうシビれましたね。
何よりB面の「コリオラン」序曲は、このセル盤が初聴きだったわけで、後に、これも2番目に聴いたフルトヴェングラー盤(1943年)でまたまた驚かされることになります。
さて、カラヤン指揮1985年盤の「エグモント」ですが、これが3種の中で一番「ライヴっぽく」生々しい演奏だと感じました。
カラヤン最後のベートーヴェン録音(80年代)全般に感じられるのは、それ以前のベートーヴェン・セッション録音に比べて、悪く言えば「やや大味になった」、よく言えば(曲にもよりますが)「時には破綻を恐れないくらいの生命力がある」ということです。
このディスクのメインである「英雄」など、まさにそんな演奏でした。
3種の演奏ともに主部のテンポはほぼ同じように思いますが、85年盤では序奏部で前2種ほど「引きずって」いないこともあり、3つの中で最も演奏時間が短くなっています。
(写真のディスクF35G20018では、演奏時間がミスプリで“10:00”となっていますが実際は“8:00”です)
細かな演出よりも全体を貫く太い流れを大事にしているようで、そんなことから「ライヴ的」と思わされるのでしょう。
久しぶりに聴いて、やっぱりいいなと思いました。
このディスクは発売早々に購入したものの、一時期「ちょっと合わないなぁ」と感じたこともあって放出。
その後、「英雄」は箱モノで再入手したのですが、その箱には序曲は60年代のものが収められていて、80年代に録音された序曲4曲(あと3曲は8番にフィルアップ)はしばらく手元にありませんでした。
先日、中古で再入手したところです。
それからしばらくして、なぜか突然、また「エグモント」が聴きたくなり、2日間に渡り、いくつか聴いてみました。
主にカラヤンの指揮で。
ベトーヴェン/「エグモント」序曲
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音:1985年
カラヤン指揮の「エグモント」序曲は正規録音が3つ(他に正規映像も2つあります)。
1953年 フィルハーモニア管
1969年 ベルリン・フィル
1985年 ベルリン・フィル
「エグモント」序曲を初めて聴いたのは1971年で、FMから流れてきたカラヤン指揮のものでした。
その時の演奏がフィルハーモニア管のものであったことは、ずっと後でCDを入手して分かりました。
私のCDの入手順は、最初に85年盤(写真)、次いで69年盤(「エグモント」全曲として)、そしてフィルハーモニア盤(EMIのコンプリート箱)と、録音とは逆の順でした。
演奏スタイルは、3つともだいたい同じです。
69年盤は木管を中心にオケの美音が際立っており、けっこうな迫力がありながらもクライマックスでも決して度を越さない「抑制」みたいなものが感じられました。
53年のフィルハーモニア盤は、重々しく引きずるような序奏が、初めて聴いた時はものすごいインパクトでした。
その時は、演奏のというより私にとっては楽曲のインパクトであったわけですが・・・。
これが「エグモント」序曲の刷り込みとなり、しばらくは毎日のように聴いていた中2の私でした。
そのころは、この曲にかなり惹かれていて、私が初めて買ったスコアはこの曲とモーツァルトの40番の2冊でした。
当然、レコードも欲しくなり、セル指揮の17㎝盤を買ったのですが、そのあまりにも違うアプローチにスピーカーの前でひっくり返るくらい驚きました。
カラヤンの指揮では、出だしの音の出し方もずぅぃぃ~んと微妙にずれていて独特の丸みと重みがあり、そのあとに続く和音はいずれも、ずぅぅぅぅ~っと尾を引いて引き延ばされ、正に「悲劇の始まり」にぴったりな感じでした。
今回の再聴でも、その印象は変わらず、50年代のカラヤンは颯爽としていながらも、このような後年を凌ぐような重厚なアプローチもけっこうしていたことが分かります。(まだ後年のスタイルが確立されていなかったとも言えるでしょう)
ところが、セルの指揮で聴く「エグモント」は、出だしもパッと揃っていて、続く和音も力感は充分ながらスパッと断ち切られていました。
演奏者によってこうも違う曲に仕上げられるのか、ということを実感した瞬間でした。
しかし、私はセルの演奏にも惹かれました。
唸り声交じりの熱い演奏は、これまた繰り返し聴いたものでした。
独特のホルン強奏にはけっこうシビれましたね。
何よりB面の「コリオラン」序曲は、このセル盤が初聴きだったわけで、後に、これも2番目に聴いたフルトヴェングラー盤(1943年)でまたまた驚かされることになります。
さて、カラヤン指揮1985年盤の「エグモント」ですが、これが3種の中で一番「ライヴっぽく」生々しい演奏だと感じました。
カラヤン最後のベートーヴェン録音(80年代)全般に感じられるのは、それ以前のベートーヴェン・セッション録音に比べて、悪く言えば「やや大味になった」、よく言えば(曲にもよりますが)「時には破綻を恐れないくらいの生命力がある」ということです。
このディスクのメインである「英雄」など、まさにそんな演奏でした。
3種の演奏ともに主部のテンポはほぼ同じように思いますが、85年盤では序奏部で前2種ほど「引きずって」いないこともあり、3つの中で最も演奏時間が短くなっています。
(写真のディスクF35G20018では、演奏時間がミスプリで“10:00”となっていますが実際は“8:00”です)
細かな演出よりも全体を貫く太い流れを大事にしているようで、そんなことから「ライヴ的」と思わされるのでしょう。
久しぶりに聴いて、やっぱりいいなと思いました。
このディスクは発売早々に購入したものの、一時期「ちょっと合わないなぁ」と感じたこともあって放出。
その後、「英雄」は箱モノで再入手したのですが、その箱には序曲は60年代のものが収められていて、80年代に録音された序曲4曲(あと3曲は8番にフィルアップ)はしばらく手元にありませんでした。
先日、中古で再入手したところです。
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