今日は妻の定期的な通院日でした。
私の運転で伊勢まで行ってきました。
上の写真は、今日の昼過ぎの伊勢の空です。
さて、先日の伊勢管弦楽団定期演奏会の感想です。
伊勢管弦楽団 第33回定期演奏会
マーラー/交響曲第4番
R.シュトラウス/明日の朝(アンコール)
ソプラノ:平松英子
― 休憩 ―
ヤナーチェク/シンフォニエッタ
ファンファーレ隊:京都ファインアーツブラス
管弦楽:伊勢管弦楽団
指揮:大谷正人
2014.5/18 14:00開演 三重県文化会館大ホール
今回は、余裕を持ってホールに到着。
まずは恒例のプレトークは、前半はソプラノ独唱の平松さんを迎えて、後半は例によってピアノ演奏を用いた楽曲解説でした。
平松さん、伊勢管の印象や18年前にマーラーの「復活」で共演されたときのことなどを話されました。
楽曲解説は、指揮者大谷さんの解説文をベースにしたもので、マーラーの方では、第4楽章に出てくる主題が第1楽章や第3楽章に関連づけられていることを中心に、いつもながら「聴きたくさせる」レクチャーでした
今回も昨年と同じように、かなり前列の方で浴びるように聴かせてもらいました。
マーラーもヤナーチェクも、お馴染みの曲ながら実演に接するのは初めてでした。
今回、感じたことは、マーラー4番は、ディスクなどて聴いていた印象よりも、ずっと「人生肯定的」(?)と言うか、「陽」の部分が強く押し出された音楽であったということです。
その最もたる部分のひとつは、第1楽章の262小節からの極めて情熱的な部分。
まずは第2ヴァイオリン以下の弦と管楽器が目一杯のエスブレッシーヴォでテーマを奏で、それに第1ヴァイオリンが呼応するところは、対向配置の効果も相まって、大いに心を動かされました。
他楽章でも、そういう「前向き」「平穏」な曲調が主流と思われ、今まで、なんとなく「謎かけ」っぽく思っていたイメージは、あれはなんだったんだろう?って言うくらい、迷いなく、これは、「生」や「生命」に関して肯定的に捉えている音楽だと感じました。
もちろん、どの楽章にも「死」を想起させる部分はありますし、最後も空虚な和音で閉じられるのですが、聴いていて、自分が感じたのはそういうことです。
あまり「深読み」と言うか「頭聴き」してもねぇ・・・・。
文で読んだり、ディスク聴きで時に感じた「暗」の部分は、それは一部の「見えている景色」みたいなものでした。
伊勢管の音は、出だしこそ、ちょっと音色がくぐもって感じられましたが、その後は、テクニック的なことに気を取られることもなく、安心して聴いていられました。
平松さん、指揮者に促されて、何度目かのカーテンコールでアンコール。
R.シュトラウスの「明日(明日の朝)」でした。
実は、先のプレトークで、すでにアンコールでこの曲を歌うとバラしてくれていたのですが、たぶん、素朴な拍手をする地元の聴衆がマーラーのあとすぐに拍手を止めてしまうことを回避するための「予告」だったのかもしれません。
この曲はいいですね。以前、ちょこっとだけ記事書いていました。
冒頭のヴァイオリン・ソロからメロメロになってしまいました。
幸せで明るい「明日の朝」を歌っているのてすが、私には、過ぎ去った幸せの日々を歌っているかのようにも思われました。
「シンフォニエッタ」の冒頭は、ブラス隊(京都ファインアーツブラス)の、抑制された柔らかなアンサンブルで始まり、ティンパニも控えめでした。
単純な迫力指向ではなく、ハーモニーを重視しつつ抑揚を丁寧に作っていて、荘重で輝かしい開始でした。
最後にファンファーレが再登場するまでの間は、前半がマーラーだったせいもあって、なんかトントン拍子で曲が進んでいく感じで、短いながらも(たぶん)難しいパッセージの入り混じった変化に富んだ曲を楽しみました。
最後も、冒頭と同様、徒に煽らず、打楽器の音色やバランスにも細かに気を配りつつ、しだいに荘厳な雰囲気が高まって、劇的でありながら、どこか祈るような気分も感じさせて終わりました。
拍手の最中に会場を抜け出し、近くで待ち合わせていたヘルパーさんから二男を引き取って帰宅の途につきました。
(だから、あのあとアンコールがあったのかどうかは知りません)
最近は、このパターンです。
私の外出時には二男をヘルパーさんに託すか施設預けにするのですが、「連れ出し支援」の場合は3時間が限度なので、自宅発着だと、どうしても私よりも早い帰宅になります。
このように会場近くでの引き渡しだと、家にいる妻の負担が無くていいのです。
今年も三重バッハと伊勢管の両方の演奏会を無事に聴くことができました。
これでしばらくは、コンサートに行く予定はありません。
「ありません」と言うより予定が立てられません。
今の治療(BD療法)が7月の半ばでいったん終わると、次は末梢血幹細胞採取、自家造血幹細胞移植、大量化学療法と、あらたな段階が待っています。
期間は、たぶん7月下旬から9月前半にかけてになるでしょう。
その後の自分はどうなっているか?
そのことを考えるのは、今はまだ早いと思います。
でも、できれば10月の半ば以降に、今度は大阪か名古屋のコンサートに出向くことができたらなぁって思っています。
私の運転で伊勢まで行ってきました。
上の写真は、今日の昼過ぎの伊勢の空です。
さて、先日の伊勢管弦楽団定期演奏会の感想です。
伊勢管弦楽団 第33回定期演奏会
マーラー/交響曲第4番
R.シュトラウス/明日の朝(アンコール)
ソプラノ:平松英子
― 休憩 ―
ヤナーチェク/シンフォニエッタ
ファンファーレ隊:京都ファインアーツブラス
管弦楽:伊勢管弦楽団
指揮:大谷正人
2014.5/18 14:00開演 三重県文化会館大ホール
今回は、余裕を持ってホールに到着。
まずは恒例のプレトークは、前半はソプラノ独唱の平松さんを迎えて、後半は例によってピアノ演奏を用いた楽曲解説でした。
平松さん、伊勢管の印象や18年前にマーラーの「復活」で共演されたときのことなどを話されました。
楽曲解説は、指揮者大谷さんの解説文をベースにしたもので、マーラーの方では、第4楽章に出てくる主題が第1楽章や第3楽章に関連づけられていることを中心に、いつもながら「聴きたくさせる」レクチャーでした
今回も昨年と同じように、かなり前列の方で浴びるように聴かせてもらいました。
マーラーもヤナーチェクも、お馴染みの曲ながら実演に接するのは初めてでした。
今回、感じたことは、マーラー4番は、ディスクなどて聴いていた印象よりも、ずっと「人生肯定的」(?)と言うか、「陽」の部分が強く押し出された音楽であったということです。
その最もたる部分のひとつは、第1楽章の262小節からの極めて情熱的な部分。
まずは第2ヴァイオリン以下の弦と管楽器が目一杯のエスブレッシーヴォでテーマを奏で、それに第1ヴァイオリンが呼応するところは、対向配置の効果も相まって、大いに心を動かされました。
他楽章でも、そういう「前向き」「平穏」な曲調が主流と思われ、今まで、なんとなく「謎かけ」っぽく思っていたイメージは、あれはなんだったんだろう?って言うくらい、迷いなく、これは、「生」や「生命」に関して肯定的に捉えている音楽だと感じました。
もちろん、どの楽章にも「死」を想起させる部分はありますし、最後も空虚な和音で閉じられるのですが、聴いていて、自分が感じたのはそういうことです。
あまり「深読み」と言うか「頭聴き」してもねぇ・・・・。
文で読んだり、ディスク聴きで時に感じた「暗」の部分は、それは一部の「見えている景色」みたいなものでした。
伊勢管の音は、出だしこそ、ちょっと音色がくぐもって感じられましたが、その後は、テクニック的なことに気を取られることもなく、安心して聴いていられました。
平松さん、指揮者に促されて、何度目かのカーテンコールでアンコール。
R.シュトラウスの「明日(明日の朝)」でした。
実は、先のプレトークで、すでにアンコールでこの曲を歌うとバラしてくれていたのですが、たぶん、素朴な拍手をする地元の聴衆がマーラーのあとすぐに拍手を止めてしまうことを回避するための「予告」だったのかもしれません。
この曲はいいですね。以前、ちょこっとだけ記事書いていました。
冒頭のヴァイオリン・ソロからメロメロになってしまいました。
幸せで明るい「明日の朝」を歌っているのてすが、私には、過ぎ去った幸せの日々を歌っているかのようにも思われました。
「シンフォニエッタ」の冒頭は、ブラス隊(京都ファインアーツブラス)の、抑制された柔らかなアンサンブルで始まり、ティンパニも控えめでした。
単純な迫力指向ではなく、ハーモニーを重視しつつ抑揚を丁寧に作っていて、荘重で輝かしい開始でした。
最後にファンファーレが再登場するまでの間は、前半がマーラーだったせいもあって、なんかトントン拍子で曲が進んでいく感じで、短いながらも(たぶん)難しいパッセージの入り混じった変化に富んだ曲を楽しみました。
最後も、冒頭と同様、徒に煽らず、打楽器の音色やバランスにも細かに気を配りつつ、しだいに荘厳な雰囲気が高まって、劇的でありながら、どこか祈るような気分も感じさせて終わりました。
拍手の最中に会場を抜け出し、近くで待ち合わせていたヘルパーさんから二男を引き取って帰宅の途につきました。
(だから、あのあとアンコールがあったのかどうかは知りません)
最近は、このパターンです。
私の外出時には二男をヘルパーさんに託すか施設預けにするのですが、「連れ出し支援」の場合は3時間が限度なので、自宅発着だと、どうしても私よりも早い帰宅になります。
このように会場近くでの引き渡しだと、家にいる妻の負担が無くていいのです。
今年も三重バッハと伊勢管の両方の演奏会を無事に聴くことができました。
これでしばらくは、コンサートに行く予定はありません。
「ありません」と言うより予定が立てられません。
今の治療(BD療法)が7月の半ばでいったん終わると、次は末梢血幹細胞採取、自家造血幹細胞移植、大量化学療法と、あらたな段階が待っています。
期間は、たぶん7月下旬から9月前半にかけてになるでしょう。
その後の自分はどうなっているか?
そのことを考えるのは、今はまだ早いと思います。
でも、できれば10月の半ば以降に、今度は大阪か名古屋のコンサートに出向くことができたらなぁって思っています。
音楽を聴くときに、予備知識とか「背景」みたいなことを知っていると、より楽しめることは事実ですが、同時に、先入観抜きで聴く楽しみも大事にしたいですよね。
治療のことは、主治医先生からだいたいの予定を聞いていますが、今のところ「現在の治療の効果は出ている」とのことで、計画通り進められるようです。
ありがたいことだと思っています。
マーラーの交響曲第4番の件、私も同じように感じます。「死の想念」を先入観として「頭聴き」してしまうと、本来の肯定的な面が薄れてしまうのかも。
予定されている治療が順調に進みますように。そして、遠い将来より明日の楽しみですね。