静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

病院にて

2012年05月20日 18時57分29秒 | Dialy
さっき、伊勢管弦楽団の定演から帰宅。
素晴らしかった。
その感想文は後ほど。

今日は、先週書きかけて放置してた記事をとりあえずアップ。




16日(水曜日)のこと。




 これは朝の外宮前通り。
 職場に着く直前の信号待ちで、緑が美しかったので一枚撮りました。

 そして、仕事を終えて病院へ。
 血圧を中心に、月一で診てもらっている医院です。
 この日は混んでいました。
 一組の母子3人連れが待合いにいました。
 子どもは二人とも男の子。
 上の子は小学校高学年か中一くらい。
 下の子は小1か就学前でしょうか。
 下の子は、所謂「知的しょうがい」の子のようでした。
 多動で、大きな(おそらくは母親には内容が判る)「奇声」を何度も発し、静かな待合いに響き渡っていました。
 お母さんの診察か検査のために来院されたようで、子どもたちは(たぶん)連れて来ざるをえなかったのでしよう。
 待っているのが苦痛なのか動き回り大声を発するその子を抑えなだめるのに、そのお母さんはずいぶんと労力を費やしていました。
 近くのご老人が、小さく舌打ちをしました。その子の声が大きくてテレビの相撲解説が聞き取れないか、集中して見れないことへの苛立ちかな、と思いましたが、本当のところはわかりません。
 誰も、文句は言いませんでしたし、ニコニコと見守ってくれる女性もいましたが、たぶん、あのお母さんは、無言のプレッシャーを全身に感じていらしたことでしょう。
 検査(診察)が終わり、その親子は病院を出て行きました。
「終わった」と分かった時、気のせいか、その子の声のトーンがいく分か和らいだように聞こえました。

 その親子がいる間、私は強い共感の思いで、その様子をチラ見したり、子どもの声を聞いたりしていました。
 たしかに、ちょっと「やかましい」声でした。ウチの子もそうですが、気持ちそのままに声を発しますからね。

「いっしょゃなぁ」

 ウチの妻も、元気な時は毎日、こうやって2人の子を連れて病院へ行ったり、買い物に行ったり、長男の塾送迎に行ったりと、日々東奔西走していました。
 私は、そんなに仕事熱心ではありませんでしたが、それでも「時間は無限にある」みたいな感覚で、家事や子どものことのほとんどを妻に任せていました。

 そんなことをあらためて思い知った病院でのひと時でした。


 病院を出て、歩いてすぐの所にある老母の店へと向かいました。

 商店街の裏口から入りました。



 隣の神社へ抜けるナイショの通り道。




 用を終えて、宇治山田駅の前を通り・・・





 その向かい側は伊勢市観光文化会館。



 たこやき屋さん「美福」の前を通って車に戻りました。








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6 コメント

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Unknown (モト)
2012-05-20 20:01:44
沢村榮治生誕の地ですか。

東京はより世知辛いので、電車内等での寛容さが不足しています。
大泣きしている子と母親に負の感情が向けられることがあります。
舌打ちするような人は、会社で嫌な思いをしているのかな、家庭がうまくいっていないのかな、お金に困っているのかなとつい思ってしまいます。
気にすることはないんですよと母親に言う人が増えるといいですね。社会の中にも、家庭の中にも。
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病院での出来事 (sawyer)
2012-05-20 21:28:22
とても心にしみる話でした。
世の中にはこのような家族が少なくありません。
多くは奇異な目で見るか、犬がなくのを飼い主のせいにするような目で見がちです。
たぶん自閉症だと思いますが、病名と症状を知るという事は大事なことだと思います。
無知と怖さが差別意識の通じるのが人の常でしょうから。健常者はそれなりの知識を持って身障者やその家族への思いやりを学ぶべきでしょう。
病院に通院している人でも、そういう目で見るのはひじょうに残念なことです。
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>モトさん (親父りゅう)
2012-05-21 17:46:10
>舌打ちするような人は、会社で嫌な思いをしているのかな、家庭がうまくいっていないのかな、お金に困っているのかなとつい思ってしまいます。

そうですね。
許容できない人、寛容でない人(その人がいつもそうだという訳ではないでしょうが)は、その人自身にも何かあるのですね。そういうケースは多いと思います。自分にも心当たりがありますから・・・。
本当に、世の中、みんな「他者感覚」を豊かにしたいものです。もちろん、自分もですが。

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>sawyerさん (親父りゅう)
2012-05-21 17:51:25
そうですね。

「無知」から来る「誤解」「偏見」が差別心と切っても切れない関係にあると思います。
私自身も、子どもとの生活などがなかったら、たぶん知りえなかったことはたくさんあります。

それにしても、この母子や私たち家族は、例えば被災して体育館に寝泊りする事態になった時は、やはり気を遣うでしょうね。
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つらい話ですね (ぱんだ)
2012-05-21 21:15:20
うちの子の最初についた障がい名は多動症候群による重度発達障害です。
なのでその様子が身にしみて目に浮かびます。

今は、好奇な視線を浴びても
「関心を持ってくれてありがとう。なんならうちの子のことご説明しましょうか」と思えますが
この視線を乗り越えるのは並大抵ではないです。

ところで懐かしい写真がいっぱいで
つい見入ってしまいました(笑)

昨日はありがとうございました。
大変な感動をいただきました。
そして子どもの事やいろいろと楽しいお話ができて良かったです。
とても親父りゅうさんが身近に感じました。
また機会があればご一緒させてください
よろしくお願いいたします。
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>ぱんださん (親父りゅう)
2012-05-21 21:45:36
昨日は、こちらこそお世話になりました。
私の好きな伊勢管弦楽団の「命をかけたような」演奏を共に味わうことができてとても嬉しいです。
また次の機会も楽しみです。

ところで、病院でのことは本当に身に滲みますね。
でも、やっぱり臆することなく「当然の如くに」「普通に」振舞っていきたいですね。それが「当たり前」なのですから。

ぼくが、ひとつだけ気に入らなかったのは、そのお母さんは叱り過ぎてたということです。本人のためというより体裁のため、とボクには思えました。
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