静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

69回目の広島の日、「カラーでよみがえる第1次世界大戦」(BS1)を観る

2014年08月06日 20時32分39秒 | オンエア
 今週と来週の「BS世界のドキュメンタリー」(NHK BS1)ではシリーズ 世界大戦と人間ということで、なかなか中身のある番組をやっています。
 4日(月)、5日(火)の放送分(カラーでよみがえる第1次世界大戦 第1回、第2回)を録画で観ました。
 第1次世界大戦について、第2次世界大戦ほどには知らない私にとって、これは大変興味深いドキュメントです(今夜、第3回が放送されますが、深夜なので、明日観るつもりです)。
 残された実写フィルムに最新の技術で着色したものと再現フィルムを組み合わせて、淡々と客観的に、当時の戦闘や人々の暮らしを伝えていました。

第1次大戦において、「最前戦」は、多くは塹壕(ざんごう)戦であり、そこは「生き地獄」でありました。
 そんな「人間性が喪失されていく」ような状況の中で、私が印象的だったのはクリスマスの停戦のエピソードです。
 敵味方双方の上官が「一発の弾丸も発してはならぬ」と命じたその夜、どちらの塹壕からも歌声や演奏が聞えました。
 互いに相手の歌声に拍手を送ったり合図を送っているうちに、塹壕から這い上がって敵陣の方へ歩み出す兵士が現れました。
 塹壕と塹壕の間の、ふだんは互いが「相手を殺すために」弾が飛び交う、その場所で、束の間の交流をする敵味方の兵士たち。
 そんな「自主的な停戦」が各地で30ほどもあったことが分かっているそうです。
 しかし、兵士たちは互いの陣地に戻り、上官の「攻撃開始」の合図を機に、ふたたび「殺し合い」は始まったのでした。

 このエピソードから思うことは、まだ、うまく言い表せません。

 それから、この大戦が、これほど長く続き、こんなにも多くの犠牲者を出そうとは、開戦時、ほとんどの人が思ってもみないことでした。
 人は、誰でも無意識に都合の悪い方向にモノゴトは進まないものだと思い込む(思いたい)のでしょう。
 そこに権力者の意図的な「情報操作」が入り込むことの恐ろしさの、これはひとつの例だと思いました。


そして・・・・


 今日は69回目の「広島の日」でもありました。
 TVでは「被爆者の数が20万人を切った」と報じていました。
 記念式典の首相の言葉は、私には全く空疎に響きました。
 とても、嫌な気分になりました。
 私は、彼がオリンピック誘致のプレゼン・スピーチで「(汚染水は)完全にコントロールされている」と平然と言い放った時から、顔を見るのもイヤなくらいの嫌悪を感じるようになっています。
 支持者も多いので申し訳ないですか、本当にイヤなんです。
 被爆者団体との懇談での態度も(TVニュースで観た限りでは)とても真摯に応えているとは思えず、典型的な「木で鼻をくくったような」感じでした。


 そんなことで、嫌な気分を払しょくしようと自室で「戦争レクィエム」(ブリテン作曲)を全曲聴きました。
 あったはずの作曲者指揮のCDがどうしても見つからず(レコードもあるのですが・・・)、仕方なく(?)小澤さん指揮のニューヨーク・ライヴの演奏で聴きました。
 これもなかなかの演奏です。
 ふだんはめったに聴かない曲です。
 しかし、今日のように、「この曲を聴く日」は必ずあるのです。
 そして、やっぱり「リベラ・メ」から幕切れまでに圧倒されました。
 今日は、当然のように、上に書いたドキュメントの映像が重なって、大変なリアリティを感じさせられました。







 以下は二男のシュートステイのことについて書いた前回の補足です。








 昨日、二男のショートステイ利用のために、また新たな施設との契約を済ませました。
 正確には「新たな施設」ではなく、その施設はいくつかの(利用者の障がいの程度に応じた)寮があり、大きくは同じ施設内なのですが、前回契約を交わした寮とは別の寮と契約を交わしたのです。

 これで、とりあえず、私の入院中の二男の施設利用計画が決まりました。
 前にも書きましたが、市役所の担当者さんや計画相談支援の担当者さんには、大変お世話になりました。
 1日(金)に電話して、その日のうちにほぼ態勢ができたことは、本当にありがたかったです。
 そのおかげで、昨日、契約に出向くこともできたのです。

 8月15日の入院以降、二男は、月~金の五日間を「Kの丘」施設で過ごし、土日は「I園」で過ごすことになります。
 金曜、日曜は自宅に帰ることになります。
 週二日ならば、妻も「なんとか踏ん張れそう」とのこと。

 今日、二男は初の二泊三日のショート利用に出かけています。


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