日曜日は子どもが寝るまでパソコンに向かえない。はぁ~、やっと出来ました。昨日のコンサートの感想文。
下野竜也さんの指揮を初めて聴きました。でも、生「下野」は初めてじゃありません(?)今年の初め、某演奏会のロビーでお見受けし、その後某音楽ライターさんと並んで客席にて鑑賞されているのを目撃しておりますので・・・。で、そんときの指揮者さんと楽屋からお二人揃ってタクシーにかけこんでいかれましたなぁ・・・。まあ、それはそれとして、ディスクや放送では耳にしていましたが、下野さんの指揮を生で聴く機会を心待ちにしておりました。昨日、それがやっと実現しました。そして、その演奏会はとてつもなく素晴らしいものでした。
名古屋フィルハーモニー交響楽団 第331回定期演奏会(2日目)
指揮:下野 竜也
曲目:ブルックナー/交響曲第5番 変ロ長調(原典版)
2006.12.16 4:00PM 愛知県芸術劇場コンサートホール
これは本当に素晴らしい演奏会だった。私が今まで聴いたブルックナーの生演奏の中では疑いも無く最高のものだった。今まで聴いたブルックナー・・・チェリビダッケの4番も8番も、朝比奈さんで聴いた0、3、5、6、7、8(3回)、9番も、小澤さんの2番も、ブロムシュテットの5番も、マズアの3番も、十束さんの8番も・・・まだ、あったかな???・・・それら全てを超える感動を与えてくれた。
下野さん、指揮台に登り、やや上体をかがめて暫しの沈黙・・・この時感じたなんとも言えない「気」のようなもの、殺気。そして曲が始まる。
ああっ!もう確信した。今日の演奏は絶対に良いってこと。
ブルックナーの5番・・・すごい曲だ。
彼の交響曲の中でも、自分のツボが最も多いのではないだろうか。
ちっぽけな自分に寄り添ってくれるかのような優しさや祈りもあれば、断崖絶壁に立たされて決断を迫られるような厳しさもある。かと思えば、ブルックナーにしては珍しく、人をおちょくったようなユーモア、パロディ精神も垣間見える曲だ。
昨日は聴きながら、この曲の持つ、そういう多様な魅力がどんどん入ってきて頭の先からつま先まで揺さぶられた。
(まあ、昨日は尋常でないほど演奏に集中せざるをえない状況があったのも事実。そのことはここでは触れないが・・・・)
第1楽章序奏部、低弦のピッチカートにビオラ、ヴァイオリンが重なると、いつのまにか、見上げるほど高い天井を持つ大聖堂へと続く回廊にたたずむ風情。そして、あの間の取り方、のっけからいきなり金縛りだ。
1楽章が終わって、遅れてきた客がざわざわと入ってくる。最後の一人が席に着くまで仁王立ちでじっと見つめる下野さん。ちょっと恐い感じ。
そして始まった第2楽章。連綿と歌うところは、もったいぶらず吹き上げるようにむせかえるように歌が溢れた。
第3楽章は、さながら容赦なく襲い掛かる落雷に見舞われるブルックナー版「雷と嵐」。途中、晴れ間もあり、いっとき楽しく踊るのだが、それは束の間。再び激しい雷雨の中に・・・。ベートーヴェンみたいにすぐに収まらないから、ひたすら逃げ惑う。
第4楽章の冒頭、ベートーヴェンの第9よろしく前楽章の回想をした後に始まるのは「歓喜の歌」ではなく、延々と続く山登りのフーガ。途中、中腹まで来て一息つくところのなんと美しかったことか!
そして、ラストの咆哮。頂上にたどり着いた者が見たのは、眼前に立ちふさがる新たな絶壁。さらに高みへと登ることを要求される非情さと厳しさ、しかし、ひるむことはなく前進し続けることができそうな気もする。そんな、ベートーヴェンの交響曲よりも勇気を貰えるようなフィナーレは、第4番と第8番のコーダを足して2をかけたような素晴らしさ。
コントラバスが舞台最後部の高台に横一列に並んだ対抗配置。
名古屋フィル、いいなぁ!バルシャイの時以来だけど、さらにまたよくなっている感じ。
コンマス後藤さん、最後は第2の指揮者よろしく楽器と体を上下に揺すぶってのリード。(コンマス氏のパフォーマンス的演奏は最近流行りなのだろうか?)
熱い拍手に応える下野さん、最後はブル5のスコアを両手で頭上にかざし、次いで指揮台の上に立てかけ、「偉いのはこっちですよ」のポーズ。気のせいか涙目の下野さんに楽員も気持ちよい拍手を送っていた。
来年の10月に、また名フィルの指揮台に上がられるのだが、聴きたいなぁ。
ブログラムや会場ロビーには、10月下旬から11月にかけてのアジア・ツアー(すべて下野竜也指揮)の写真があった。
数少ない私のコンサート通い、これが今年の聴き納めだったわけだが、ブルックナーの素晴らしい世界に浸らせてくれた下野さんと名古屋フィルには感謝したい気持ちでいっぱいだ。
会場階下のアートプラザでは武満徹資料展をやっていて、ちょっと覗いてきた。
ノヴェンバーステップスや映画「どですかでん」の音楽の自筆譜、たくさんの自筆書簡や、闘病中に描いた料理のレシピなど、いろいろと展示されていた。もちろんたくさんの写真も。
やっぱり、仕事ってのは「きちんと」やらないといけないな、丁寧さと細やかさは絶対必要だなって、彼のそれ自体が芸術作品であるかのように思える筆跡や楽譜を見ていて、思った。
それからピースうさぎさんの所属されてみえる合唱団のコンサートやワークショップ(今日だったんですよね)のポスターやチラシもあった。1月の武満コンサート聴きたいな。でも、無理かなぁ。
今日も名古屋まで行って「トンボ返り」でした。
(9月の京都も11月の大阪もそうでした。)
音楽ってホントにいいもんですね。聴いて「何もかも満たされる」ってことはないけど、つらいことや嫌なことを我慢する気持ちを後押ししてくれることは確かだね。
下野竜也さんの指揮を初めて聴きました。でも、生「下野」は初めてじゃありません(?)今年の初め、某演奏会のロビーでお見受けし、その後某音楽ライターさんと並んで客席にて鑑賞されているのを目撃しておりますので・・・。で、そんときの指揮者さんと楽屋からお二人揃ってタクシーにかけこんでいかれましたなぁ・・・。まあ、それはそれとして、ディスクや放送では耳にしていましたが、下野さんの指揮を生で聴く機会を心待ちにしておりました。昨日、それがやっと実現しました。そして、その演奏会はとてつもなく素晴らしいものでした。
これは本当に素晴らしい演奏会だった。私が今まで聴いたブルックナーの生演奏の中では疑いも無く最高のものだった。今まで聴いたブルックナー・・・チェリビダッケの4番も8番も、朝比奈さんで聴いた0、3、5、6、7、8(3回)、9番も、小澤さんの2番も、ブロムシュテットの5番も、マズアの3番も、十束さんの8番も・・・まだ、あったかな???・・・それら全てを超える感動を与えてくれた。
下野さん、指揮台に登り、やや上体をかがめて暫しの沈黙・・・この時感じたなんとも言えない「気」のようなもの、殺気。そして曲が始まる。
ああっ!もう確信した。今日の演奏は絶対に良いってこと。
ブルックナーの5番・・・すごい曲だ。
彼の交響曲の中でも、自分のツボが最も多いのではないだろうか。
ちっぽけな自分に寄り添ってくれるかのような優しさや祈りもあれば、断崖絶壁に立たされて決断を迫られるような厳しさもある。かと思えば、ブルックナーにしては珍しく、人をおちょくったようなユーモア、パロディ精神も垣間見える曲だ。
昨日は聴きながら、この曲の持つ、そういう多様な魅力がどんどん入ってきて頭の先からつま先まで揺さぶられた。
(まあ、昨日は尋常でないほど演奏に集中せざるをえない状況があったのも事実。そのことはここでは触れないが・・・・)
第1楽章序奏部、低弦のピッチカートにビオラ、ヴァイオリンが重なると、いつのまにか、見上げるほど高い天井を持つ大聖堂へと続く回廊にたたずむ風情。そして、あの間の取り方、のっけからいきなり金縛りだ。
1楽章が終わって、遅れてきた客がざわざわと入ってくる。最後の一人が席に着くまで仁王立ちでじっと見つめる下野さん。ちょっと恐い感じ。
そして始まった第2楽章。連綿と歌うところは、もったいぶらず吹き上げるようにむせかえるように歌が溢れた。
第3楽章は、さながら容赦なく襲い掛かる落雷に見舞われるブルックナー版「雷と嵐」。途中、晴れ間もあり、いっとき楽しく踊るのだが、それは束の間。再び激しい雷雨の中に・・・。ベートーヴェンみたいにすぐに収まらないから、ひたすら逃げ惑う。
第4楽章の冒頭、ベートーヴェンの第9よろしく前楽章の回想をした後に始まるのは「歓喜の歌」ではなく、延々と続く山登りのフーガ。途中、中腹まで来て一息つくところのなんと美しかったことか!
そして、ラストの咆哮。頂上にたどり着いた者が見たのは、眼前に立ちふさがる新たな絶壁。さらに高みへと登ることを要求される非情さと厳しさ、しかし、ひるむことはなく前進し続けることができそうな気もする。そんな、ベートーヴェンの交響曲よりも勇気を貰えるようなフィナーレは、第4番と第8番のコーダを足して2をかけたような素晴らしさ。
コントラバスが舞台最後部の高台に横一列に並んだ対抗配置。
名古屋フィル、いいなぁ!バルシャイの時以来だけど、さらにまたよくなっている感じ。
コンマス後藤さん、最後は第2の指揮者よろしく楽器と体を上下に揺すぶってのリード。(コンマス氏のパフォーマンス的演奏は最近流行りなのだろうか?)
熱い拍手に応える下野さん、最後はブル5のスコアを両手で頭上にかざし、次いで指揮台の上に立てかけ、「偉いのはこっちですよ」のポーズ。気のせいか涙目の下野さんに楽員も気持ちよい拍手を送っていた。
来年の10月に、また名フィルの指揮台に上がられるのだが、聴きたいなぁ。
ブログラムや会場ロビーには、10月下旬から11月にかけてのアジア・ツアー(すべて下野竜也指揮)の写真があった。
数少ない私のコンサート通い、これが今年の聴き納めだったわけだが、ブルックナーの素晴らしい世界に浸らせてくれた下野さんと名古屋フィルには感謝したい気持ちでいっぱいだ。
会場階下のアートプラザでは武満徹資料展をやっていて、ちょっと覗いてきた。
ノヴェンバーステップスや映画「どですかでん」の音楽の自筆譜、たくさんの自筆書簡や、闘病中に描いた料理のレシピなど、いろいろと展示されていた。もちろんたくさんの写真も。
やっぱり、仕事ってのは「きちんと」やらないといけないな、丁寧さと細やかさは絶対必要だなって、彼のそれ自体が芸術作品であるかのように思える筆跡や楽譜を見ていて、思った。
それからピースうさぎさんの所属されてみえる合唱団のコンサートやワークショップ(今日だったんですよね)のポスターやチラシもあった。1月の武満コンサート聴きたいな。でも、無理かなぁ。
今日も名古屋まで行って「トンボ返り」でした。
(9月の京都も11月の大阪もそうでした。)
音楽ってホントにいいもんですね。聴いて「何もかも満たされる」ってことはないけど、つらいことや嫌なことを我慢する気持ちを後押ししてくれることは確かだね。
資料展も見ました~。自筆譜を見て本当に感激しました。
ワークショップでは「小さな空」の「いたずらが過ぎて叱られて泣いた 子供の頃を憶いだした」のフレーズは何度歌っても泣きます。
泣きながら歌える曲は私には武満しかいません。
祝!下野さんの音楽初聴き♪
下野さんの世界が
音楽となって表現されると
凄い迫力で迫ってきますよね。
それと、スコアを掲げる仕草って素敵ですよね。
最後ちょっと前のセンプレ・ピアノでエコーのように歌うところは、何度やってもゾクゾクしますね。
ところで団名にもなっている「ノース」とは、やはりご出身高校の名から由来しているのでしょうね?
いいですねぇ~。
やっぱり指揮者は指揮台でのお仕事ぶりを見なきゃ(聴かなきゃ)ですね。
ブルックナーの素晴らしさを存分に伝えてくれました。
今も残像(エコー)が脳裏で響いてます。
さて、私も下野指揮名フィルのコンサートに2日とも足を運びました。初日の演奏も素晴らしかったのですが、テンポがやや早く、2日目に比べると若々しい演奏でした。しかし、やはり2日目の方がゆったりとしたテンポで、より心に響くブルックナーでした。
因みに、演奏時間は
初日 Ⅰ20'06" Ⅱ16'53" Ⅲ13'26" Ⅳ22'21"
2日目 Ⅰ20'31" Ⅱ18'10" Ⅲ13'45" Ⅳ23'11"
と、全ての楽章で明らかに演奏時間が長かったようです。
かつて朝比奈さんが、『良いオケほどテンポを遅くする』と言っておられました。実際シカゴで同曲を振ったときはテンポがかなり遅く、特に2日目の演奏では最長不倒の遅さながら破綻のない、素晴らしい演奏でした(録音で聴いただけですが・・・)。
10年ほど前、名フィルを聴いた際にその演奏レベルの低さにがっかりし、その後聴く気にもならなかったのですが、下野の(2日目の)テンポにも何とか崩れず、思いの外素晴らしい演奏でした。
また機会があったら、彼のブルックナーを是非聴いてみたいと思います。
二日間とも聴かれたのですね。
しかも、時間の計測までされてみえるとは!
やっぱり同一プロで続けて演奏されると、それぞれに変化進化があるようで、それは、とても興味深いものがありますね。
私は2日目だけですから、2楽章など「ちょっと速いかな?」って思ったくらいです。もっともふだん家で聴いているのが遅い演奏が多いせいでもあるでしょうが・・・。
下野さんの指揮はブルックナーに限らず、いろいろと聴いたみたいとの思いを更に強くした次第です。
コメントありがとうございました。
下野さんはまだまだ若いので、試行錯誤をしながら指揮をしている段階であると思いますが、将来が本当に楽しみです。
ところで、先日アーノンクール/VPOのモーツァルト後期三大交響曲演奏会を聴きに行ってきましたが、これも予想に反して(?)素晴らしい演奏でした。
アーノンクールのモーツァルト交響曲のCDは持っているのですが、はっきり言って私の好みの演奏とはかけ離れておりました。
(未だに過去にFMで放送されたベーム/BPOの41番を好んで聴いています。)
しかし、この日の演奏はCDよりはるかに重厚な演奏で、普段は手抜きをしがちなVPOのメンバーも、何故か大変気合いが入っておりました。
無理して聴きに行った甲斐がありました。
話は変わりますが、最近ノロウイルスによる感染が多発しているようです。
吐瀉物の取り扱いには十分ご注意下さい。
時節柄お体ご自愛下さい。
それでは、失礼いたします。
人間的に失格じゃないですか?
そんな人に美しい音楽を作ることなど、ちょっと考えられません。
「出て行け!」と名指しされ出て行った生徒。
すごく傷ついているだろうなと思います。
ある意味、今はやりのいじめと一緒じゃないですか。
横柄な性格の持ち主だと思いました。
ふさわしくなければ削除して下さい。
最初にお断りしておきますが、自己紹介にも書いてありますようにここは「議論の場」ではありません。まず、そのことをご承知置きください。
ですから、お二人のコメントについて、私なりに思うことはあったとしても、ここでは書きません。書かないつもりです。否定も肯定もしないつもりですが、文章に不快な表現が出てしまったとしたらご勘弁ください。
さて、その件については、直接、練習に参加していた別の方から聞いています。
あくまでも人伝では、ありますが。
私はその場に直接居合わせていない者であるならば、物事の断片を切り取って、そこから前後や周囲のことまで言及し何某かの価値判断を下すこと、つまり「一人歩き」を促すことは避けたいと考えます。
私達はいろんな人と出会っているわけですが、私自身について言えば、人について「こんな人」「あんな人」とただちに断言できるほど、その人のことについて語れるものではないと思っています。
また、安易に語るべきではないとも思っています。
ですから、音楽以外のことについては話題にとり上げてこなかったつもりだし、これからもそうです。
今回のことについて、私が知りえた(やはり断片ではありますが)経緯を見る限りでは、思うところありますが、やはり、それはあえてここでは書きません。
風空さんが限られた情報から「横柄な性格」「今はやりのいじめと一緒」と思われるのも自由ですし、そう思うことを否定するものではありません。
(「いじめ」が「今」「はやっている」という認識は私にはありませんが・・・)
ある知人のオケ・マンは「指揮者にいい性格の人って、まあいないですよ」って言っていました。でも、それは「当然のこと」というようなニュアンスを持って語られていました。
大勢の様々な人たちを束ねて音楽を創っていく、その責任を背負う中でのこと。プロではないアマの人たちの中に「音楽を舐めている」「なぜ、ここに来ているの?」と思わざるをえない人たちを、私もたくさん見てきましたから、下野さんの気持ちも分からないではない。一応、大学という「学び」の場での出来事であります。何を「学ばねばならぬのか」それは下野さんも重々承知された上でのことではないかと勝手に推察しています。「傷つく」ことも含めて・・・。
上述のとおり、議論の場ではありませんので皆様、こういうことの是非を論じたい方は今後はどこか他所でお願いいたします。
アントンさん、削除はいたしませんので悪しからず。
ただ、私が聴いたブルックナーは素晴らしかった。
これは私が出会いそして感じた「事実」です。
それと、これは個人的な考えですが、音楽の練習で指揮者が叱りとばすのは、別にいいんじゃないかとも思っています。そうしないで、あっち向いてる人まで包み込む魔法みたいな術を持っているのなら別ですが・・・。