今日はフルトヴェングラーの命日ということで、昨日から今日にかけてブルックナーの5番を聴いていました。
1942年録音、いわゆる「戦中録音」のひとつです。
ブルックナー/交響曲第5番
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
録音:1942年10月
フルトヴェングラーのブルックナーは、いつの間にかめったに聴かなくなっていますが、つい先日、4番「ロマンティック」(キングレコード盤)を聴き返したところであり、ちょっと連続聴きっぽい感じもあります。
中高生、大学生のころはフルトヴェングラーのブルックナーも「手当たり次第」気味に聴き漁っていて、いずれもけっこう好きでした。
しかし、年(歳)と共にこっちの嗜好も変化してきて、今の私が好むブルックナーの演奏とはずいぶんとかけ離れてしまったと思っています。
でも、こうやって聴き返してみると、なつかしさもあり肯定的に聴けてしまうのですね。
戦中録音の数々はいずれもが凄まじく、強烈な印象を受ける演奏がほとんどですが、この5番も然りです。
私はいつのころからか、フルトヴェングラーの、聴き手を熱狂させる(デーモニッシュな?)面だけでなく、「普通に美しい」面、細やかな美意識みたいなものにより惹かれるようになっていて、この演奏でも、例えば第2楽章の弦がまるで天上から降り注ぐかのようなシークエンスを奏でるところなど、本当に美しいと感じました。
前後とのコントラストの鮮やかなこと!
随所で聴かれる管のソロはデリカシーとニュアンスに満ちていて、これを現代の最新の録音で聴いたら、いったいどんな響きだろうか?
などと無いものねだりの憧憬さえ覚えます。
42年と言えば、既にベルリン空襲も始まっていたかと思いますが、市民たちは会場で、あるいはラジオを通して、いったいどのような気持ちでこの演奏に耳を傾けていたのでしょうか?
オーケストラの面々は、どのような心持ちで演奏していたのでしょうか?
そんなバイアスを自らの心にかけて聴いていると、それこそ、一見さりげないフレーズのどれもが稀有な光を発しているかのように思われます。
この曲の最後の部分は、私は普段から強く感銘を受けることが多いです。
それはまるで、長い長い上り坂を昇りつめたら、また行く手には新たな絶壁が立ちはだかっていて、しかも、それに向かって行かざるをえないような厳しい状況でありながらも、覚悟を決めて前進していける「力」を与えてくれる、そんな音楽だと思っています。
このフルトヴェングラーの指揮では、その燃え上がるような様は本当に圧倒的であり、当時の人たちだけでなく70年以上を経てスピーカーの前に座している一日本人をもそんな気持ちにさせてくれる演奏でした。。
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Symphony No. 5-Live 1942 | |
A. Bruckner | |
Testament UK |
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