静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

辻井伸行~心の目で描く「展覧会の絵」~

2010年05月28日 23時59分59秒 | オンエア
 さっきまでTVで辻井伸行の番組を観ていた。「音楽のチカラ」という3回シリーズの3回目、1回目「松本隆」と2回目「スーザン・ボイル」は、台所の小さい画面で別仕事しながらのチラ見で、全部はまだ観ていないが、今日の辻井さんの回は、最初から最後まで観た。
 彼は新たなレパートリーとして「展覧会の絵」に取り組み、今春、アメリカ・ツアーでメインの曲として採り上げた。この曲をやろうとした動機として、辻井さんは「あるピアニスト(実はキーシン)の演奏を聴いて、惹かれたから」というような意味のことを仰っていた。
 しかし、曲は一週間ほどで憶えたものの、なかなか楽曲を「自分のもの」と出来ず苦悩する日々が続くことになる。横山幸雄、田部京子、下野竜也らが、彼のもとを訪れアドバイスを送るが、いずれも「(曲に対する)自分のイメージができていないのでは?」「どう表現したいのか?」というようなものだった。
 そして、曲のイメージがつかめぬままアメリカへ経つ日を迎える。画面からは、アメリカに行ってからも苦悩する辻井さんの様子が伺えた。(番組では、特に終曲「キエフの大きな門」をどう描けばいいのか悩みあぐねている辻井さんの様子を伝えていた)
 しかし、コンクールで競い合った韓国人ピアニストと再会し、彼女の演奏を聴いた時から変化があり、喉のつかえが取れたかのように、彼の練習に生気が戻った。
 そして、(たぶん)彼なりに「自分のもの」として演奏できる見通しが持てた時に、この曲を選んだ本当の(もうひとつの)理由をスタッフに初めて語りだした。それは、こういうことだった・・・・


「目が見えないという理由で表現できない音楽は無い」ということを伝えたかった。


 それは、私には「盲目のピアニスト」というレッテルへの、彼の静かな抵抗と思えた。「抵抗」とは穏やかでない?そんなキツイ意思としては、ひょっとしたら彼は持っていないかも知れない。「そうじゃないんですよ。ぼくは、あくまでも『一人の音楽家』『ピアニスト』として認められたいのです。」・・・例えば、そんなふうに思ってみえるのかも知れない。
「絵」という、視覚をテーマとした楽曲にこだわり、逆に視覚的イメージにとらわれ過ぎたのかも知れないが、「誰が何と言おうと、自分の思うように弾く」と吹っ切れた彼の笑顔がよかった。
 そして、アメリカ公演最終日(だったかな?)、「ババ・ヤーガの小屋」から次曲へと移行する、あの速くて激しいパッセージの最後を、ふっとスピード・ダウンして、空に吸い込まれるようなアプローチで弾き、次の「キエフの大きな門」がなんとも柔らかく澄んだ響きで始まったのを聴いた時、不覚にも涙が出てしまった。彼の描く「キエフの大きな門」の開始部は、見上げるような威容ではなく、美しくて聖なる光を放つ門が澄んだ青空を背景に雲間から現れたかのように聴こえた。

 番組のサブタイトル「心の目で・・・」という件(くだり)は、だから無くてもよかったかな。


(記憶に頼って書きましたので、引用した言葉等が番組中で語られた言葉と微妙に違うかと思いますがご容赦下さい。)


・・・・・・29日午後3時40分、少し修正。


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