静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

三男「りゅう」一泊して帰る

2014年06月15日 20時42分12秒 | 家族(こども・しょうがい・学校・介護他)
このカテゴリーも長らく「こども」(しょうがい・学校・介護等)としてきましたが、「こども」と言っても三男「りゅう」以外は「成人」していますし、この際、「家族(こども・しょうがい・学校・介護等)」と変更しました。
さて、昨日から帰宅していた三男も昼過ぎにセンターに送り届けてきました。
以下は、毎度の親バカな記事です。











 今日は朝から忙しかった。
「2月までの我が家の休日」と同じだった。
 昨日から「りゅう」が帰省していて、朝は5時からお目覚め。
 昨夜は10時頃に寝入ったのを確認しているけど、やはり自分の家ということで早くからエンジン全開だった。
 で、妻にいろいろと手遊びや歌遊びを要求。
 これが、妻も元気な時なら楽しんで応じられるのだが、ここんところの不調からまだ十分に脱していないので、けっこう辛かったようだ。
「りゅう」の歌遊びはマニアックで、例えば、ある歌のメロディと歌詞をずらして歌うとか、歌詞の一部をお気に入りの動物の名前に差し替えるとか、いろいろある。
 やらされる方は「頭の体操」に取り組まされているみたいな疲労感に襲われる(ことがある)。
 その他、朝の会や帰りの会の「決まり文句」を何度も言うとか、とにかく言葉と歌を使う遊びがほとんど。
 CD、DVD鑑賞も、同じ曲、同じ場面の反復再生や画面のズーム、スロー再生、逆回しなど、様々な「ヘン再生」を好む。
 リモコンを差出して、「ああして、こうして」と要求が頻繁にある。
 以前なら、「これ(普通の再生)で観ていなさい」とか、強く拒否もしていたが、「措置入所」で入れてもらった施設は、DVD観れないし、持ち込みCDも「10枚以内」という決まりがあり、ヘッドフォン再生しか認められていない毎日なので、帰宅した時くらいは好きなようにさせてやろうという親バカ心情も働いてしまう。

 そんなことで、家にいてもやかましいので、午前10時くらいからお昼まで、二男もいっしょに連れてドライヴに出かけた。
 これも、以前は毎週のようにやっていたこと。
 近鉄、JRの踏切をジグザグに何度も横断する経路を辿りつつ、明和町の斎宮あたりでUターン。
 帰りは国道一直線だった。
 斎宮ではイベントをやってて賑わっていたけど、そんなところで降車することもなく通過。
 どこかの麦畑と貯水タンクの横で、水筒のお茶と持参したオヤツを摂らせて帰宅した。
 昼食は、二男はヘルパーさんと外食。
 三男は、私が作ったピザトーストをペロリ。
「足りない」と訴えるので、目の前にあったメロンパンを半分あげた。
(残りは私がつまみ食い)
 食後の「りゅう」は、しばらくはご機嫌でDVDを観たり好きな歌を聞いたりしていたが、私が帰り支度を始めたのを横目で見ると、明らかに表情に変化が。
 帰る時は、今日は今までで以上に渋った。
 妻が、以前、登校時によくやってあげた特別なスキンシップをした時だけは笑顔になったが、それが済むとまた同じ。

 それでも、玄関前に車を停め、「さあ、いこか!」と何度か声をかけると、しぶしぶ玄関に這い出してきた。
 駄々をこねることは、もう随分前から見ない。
 諦めが早いと言うか、切り替えが早いと言うか・・・。
 行くのが明らかに嫌そうな「りゅう」が渋々靴を履かされているのを見ていた老母は泣いていたらしい。

 帰りの車内では、お気に入りの歌の時は顔を上げてニコニコしていたが、全体には伏目がちであり、(たぶん)私たちが離れ離れになってからするようになったジェスチャーを繰り返していた。
 センターについても同じで、前回の「笑顔のお別れ」とは隋分違った。
 3週間ぶりだったからなぁ・・・・。
 仕方ない。

「りゅう」が帰ってくると、本当に我が家は大変だ。
 だが、居なかったら居なかったで、家の中になんかポッカリと穴が空いているのだ。
 寄宿舎に居て毎週末帰って来てた頃は、そんなに感じなかったが、今はその感覚が強い。
 病気の妻は、まだその感覚が弱くて、今は、やはり「母業」をこなすことは重荷だ。
 20年以上、それをしっかりやってきたのだから、今は、ゆっくり休めばいい。

「父の日」に「父親」の仕事をさせてくれた「りゅう」に感謝しなければいけないな。

 
 
 明後日は「りゅう」の定期的な受診日なので、私も同行する予定だ。






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