今日10月3日は誕生日でした。64歳になりました。
無事に(無事でもないか?)今年も誕生日を迎えることができました。
昨日と同じく気持ちよい晴天で、午前中はカミさんと買い物等してきました。病病夫婦珍道中でした。私が車椅子生活になって以来、介助、看護の立場が夫婦で逆転してしまっています。大型店に入っただけで「目が回る」と言っていた妻が、カートを押して店内をうろちょろしているのですから、そりゃ疲労は相当なものでしょう。腰痛持ちで、一年に何度もギックリ腰や座骨神経痛に悩まされている妻が、私を連れ出すときは荷台の車椅子の出し入れをしなくてはなりません。実は先週まで3週間ほど整骨院のドクターから「車椅子持ち運び禁止」を言い渡されていたところです。今日は、腰に違和感もなく無事に(?)帰宅しましたが、頻度を十分考えないといけません。
午後は、おやつにケーキ(老母からのプレゼント)を少し食べ、夕食はデリバリーのビザにしました。宅配ピザなんて何十年ぶり?って感じでした。
夕食のあと、大河ドラマ「青天を衝け」(BS)を18分遅れの追っかけ再生で観て、そして、ストラヴィンスキーの「春の祭典」をメータ指揮ロス・フィルのディスクで聴きました。この演奏のレコード、中2の誕生日(1971年)にプレゼントで買ってもらったものです。
そして、録画してあるドラマ「ライオンのおやつ」の第4話、第5話を観ました。このドラマ、今の妻にはちょっと見せられませんが、私にはとても「意味のある」ドラマです。最終話まで観たら、また感想など書くかもしれません。
さて、話は変わって・・・・
私のこの病気が発覚して7年と半年になります。治療開始当時は、こんなに長く生きられるとは思っていませんでした。主治医は「5年生存率40パーセント以下」と教えてくれました。ネットなでは「生存中央値3年」とか目にしました(今は「6年」と言われています)。だから7年前の4月、治療開始と同時に、CDや書籍を売り払ったり、ブログの書籍化をしたりと、「終活」らしきことをざわざわっとやり始めていたようです。それを見てカミさんが余計に不安定になったりしていたようです。
その後、末梢血幹細胞自家移植などを経て、治療の効果がまずまず確かめられ、そんな、当初思っていたように明日、明後日にどうこうなることはない、とわかって以降は、「終活」みたいなことは自然とやめてしまいました。そして、翌春からは仕事に戻りました。週9時間の非常勤講師でした。治療ブログの方も、そんなわけで病状のことよりも、むしろ抗がん剤やレナデックスの副作用のことを、ちょっとふざけて書いてきたと思います。
この病気に罹って、ネット上には同病の方や癌と闘っている方がたくさんいることを知りました。特に親密に交流することはなくロム専がほとんどですが、今でも(ブログやツィッターで)読ませていただいています。この7年半の間に旅立たれた方も何人もみえました。それは、近い将来、私にも訪れることであると分かっていましたが、どこか、まだ遠い先の話だと勝手に思っていたようでした。
しかし、この数か月間のうちに、その状況は大きく変わりました。
私にも、いよいよ、その時が近づいていることを実感することになりました。
そのあたりのことは別ブログに(それほど詳しくはないですが)綴っていますので、気が向いたら見てください。
音盤生活について言えば、ついこの前までは「ライブラリーは全部聴いていなくても必要なときに手が届くところにあるのが大事」などと、箱買いに勝手な理屈をつけて未聴盤の山を築いていましたが、今は、今後、限られた時間に何を聴きたいか、どんな時間を過ごすのか、ということが頭を離れません。本当に聴きたいもの、手元に残したいものと、別に無くてもさほど困らないものを仕分けして、ぼちぼちと断捨離をし始めています。
何カ月も前に予約してあったフルトヴェングラーのBOXと以前から欲しかったコリン・デイヴイスのRCAボックスが先日相次いで届きましたが、おそらく、もう箱モノは買わないでしょう。「今(今日)聴きたい曲」、「今(今日)聴きたい演奏」をチョイスし、心から味わう、そんな時間を過ごしていきたいと思っています。
無事に(無事でもないか?)今年も誕生日を迎えることができました。
昨日と同じく気持ちよい晴天で、午前中はカミさんと買い物等してきました。病病夫婦珍道中でした。私が車椅子生活になって以来、介助、看護の立場が夫婦で逆転してしまっています。大型店に入っただけで「目が回る」と言っていた妻が、カートを押して店内をうろちょろしているのですから、そりゃ疲労は相当なものでしょう。腰痛持ちで、一年に何度もギックリ腰や座骨神経痛に悩まされている妻が、私を連れ出すときは荷台の車椅子の出し入れをしなくてはなりません。実は先週まで3週間ほど整骨院のドクターから「車椅子持ち運び禁止」を言い渡されていたところです。今日は、腰に違和感もなく無事に(?)帰宅しましたが、頻度を十分考えないといけません。
午後は、おやつにケーキ(老母からのプレゼント)を少し食べ、夕食はデリバリーのビザにしました。宅配ピザなんて何十年ぶり?って感じでした。
夕食のあと、大河ドラマ「青天を衝け」(BS)を18分遅れの追っかけ再生で観て、そして、ストラヴィンスキーの「春の祭典」をメータ指揮ロス・フィルのディスクで聴きました。この演奏のレコード、中2の誕生日(1971年)にプレゼントで買ってもらったものです。
そして、録画してあるドラマ「ライオンのおやつ」の第4話、第5話を観ました。このドラマ、今の妻にはちょっと見せられませんが、私にはとても「意味のある」ドラマです。最終話まで観たら、また感想など書くかもしれません。
さて、話は変わって・・・・
私のこの病気が発覚して7年と半年になります。治療開始当時は、こんなに長く生きられるとは思っていませんでした。主治医は「5年生存率40パーセント以下」と教えてくれました。ネットなでは「生存中央値3年」とか目にしました(今は「6年」と言われています)。だから7年前の4月、治療開始と同時に、CDや書籍を売り払ったり、ブログの書籍化をしたりと、「終活」らしきことをざわざわっとやり始めていたようです。それを見てカミさんが余計に不安定になったりしていたようです。
その後、末梢血幹細胞自家移植などを経て、治療の効果がまずまず確かめられ、そんな、当初思っていたように明日、明後日にどうこうなることはない、とわかって以降は、「終活」みたいなことは自然とやめてしまいました。そして、翌春からは仕事に戻りました。週9時間の非常勤講師でした。治療ブログの方も、そんなわけで病状のことよりも、むしろ抗がん剤やレナデックスの副作用のことを、ちょっとふざけて書いてきたと思います。
この病気に罹って、ネット上には同病の方や癌と闘っている方がたくさんいることを知りました。特に親密に交流することはなくロム専がほとんどですが、今でも(ブログやツィッターで)読ませていただいています。この7年半の間に旅立たれた方も何人もみえました。それは、近い将来、私にも訪れることであると分かっていましたが、どこか、まだ遠い先の話だと勝手に思っていたようでした。
しかし、この数か月間のうちに、その状況は大きく変わりました。
私にも、いよいよ、その時が近づいていることを実感することになりました。
そのあたりのことは別ブログに(それほど詳しくはないですが)綴っていますので、気が向いたら見てください。
音盤生活について言えば、ついこの前までは「ライブラリーは全部聴いていなくても必要なときに手が届くところにあるのが大事」などと、箱買いに勝手な理屈をつけて未聴盤の山を築いていましたが、今は、今後、限られた時間に何を聴きたいか、どんな時間を過ごすのか、ということが頭を離れません。本当に聴きたいもの、手元に残したいものと、別に無くてもさほど困らないものを仕分けして、ぼちぼちと断捨離をし始めています。
何カ月も前に予約してあったフルトヴェングラーのBOXと以前から欲しかったコリン・デイヴイスのRCAボックスが先日相次いで届きましたが、おそらく、もう箱モノは買わないでしょう。「今(今日)聴きたい曲」、「今(今日)聴きたい演奏」をチョイスし、心から味わう、そんな時間を過ごしていきたいと思っています。
それですよ、それ。
自分でも意外なほど、「えっ、これ?」と思う曲(作曲家)に突如惹かれることがあります。
WF55CDは、持っている盤と比べるのも面白いですよ。
春の祭典は、やはりこの録音に戻ってきます。
そして64歳おめでとうございます。
そして、是非聴きたいCDは買って聴いてください。
好みは毎日変わるわけですから、明日は絶対聞かないと思っていた曲、演奏に手が伸びるかもしれませんよ(笑)
しばらくは、例の55枚組がありますね。