昨日の感動を書いとかなくちゃ・・・・忙しいから、半分だけ。
大阪フィルハーモニー交響楽団第430回定期演奏会(2日目)
パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品6
ソリスト・アンコール
イザイ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より第1楽章
バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より“サラバンド”
休憩(20分)
サン=サーンス/交響曲 第3番 ハ短調「オルガン付」作品78
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ
オルガン:室住素子
指 揮:大植英次
ザ・シンフォニーホール
2009年7月29日(水) 19:00開演(18:00開場)
2月のマーラー5番、6月のマーラー9番に続いて、今年3度目の生エイジ。
しかも、三度連続のクワイア席(別に、「そういう」類のファンじゃないんですけどね・・・たまたまです)。
今回のプログラムは2曲とも実演では初聴き。
順番は違うけどサン=サーンスの方から書こう。
生では初めてだけど、今までさんざん聴いてきた曲。
でも、今回の演奏を聴いて、僕は、今まで、一体この曲の何を聴いてきたんだろう?って思った。
やっぱり実演に接しないと、その曲の実体は分からないものだ・・・・そう、あらためて思った、いや、思い知らされた。
しかし、そう思えたのは、単に生で聴けたからだけじゃない。
この日の演奏は、今までに聴いてきた数多の音盤やオンエア音源とは違い過ぎた。
またも、やられてしまった!
エイジ兄ぃに。
この曲は2楽章構成で、その二つの楽章のどちらもが、また2部に分かれていて、それぞれの後半(第二部)の方にオルガンが入る。
二部に分かれた二つの楽章は、それぞれが「動と静」「暗と明」「戦いと勝利」「不安と平安」のような性格的対構成になっており、聴き手は、なんとなく映像的ストーリーを重ねやすい音楽とも言える。
で、この日の演奏は、前回のマーラーほどではなかったが、やはり「遅い目」。
少なくとも、私が今まで聴いた3番「オルガン付き」では聴いたことがないテンポであった。
第1楽章の第1部・・・・弦のさざなみと管のわざとずれた明滅が、遅いテンポによって聴いたことがないような重々しさでもって、寄せては返す。
暗雲たれこめる平原のかなたから黒い竜巻が近づいてくるような恐ろしさ。
そして、眼前を通り過ぎて遠ざかっていく遠近感。
苦悩の幕開けだ。
アクセントはゴツゴツと、まるで楔(くさび)を岩石に打ち付けるようなマエストロの指揮ぶりが体現している、そのまんまの感じ。
弦の音は洗練されており、見事な表情と言うか、デリケートな色合いの変化をよく出していた。
一瞬の静寂をおいて第2部へ・・・・オルガンの音が重ねられていく。
三番目の音であったか?重低音のパイプが鳴り出した時、オルガンのすぐ前に坐っている私は、もう振動の真ん真ん中に。
これ、生オルガンの迫力。
そして、弦の甘美なメロディが思い入れたっぷりに丁寧に歌いだしたとき、今までの音盤鑑賞では弦にマスクされて私は全く感知していなかった、オルガン手鍵盤による素朴ながら極めて霊感に満ちたようなフレーズを聴く。
なんという美しさ。
まるで赤ちゃんの笑顔のような、瞬時にこっちの心の隅まで照らすような、その断片は「ああっ」と惹きつけられた瞬間には、もう終わったが、こんな神がかり的な瞬間が、この曲にあったなんて、恥ずかしながら、この時に初めて知った。
先の第一部が苦悩・迷い・出口を求めてあえぎのたうつ様相であったのに対して、これは、まさに安らぎと祈り。宗教音楽だとも思えた。
以降、マエストロ・エイジの祈りを捧げるかのような指揮により、第二部は慈しみに満ちて連綿と奏でなれた。
第2楽章の開始も独特の遅さ、そしてティンパニの打音も控えて、弦主体の柔かく重い肌触りで開始された。
また、闘いの始まり・・・とでも言うような巨大な怪鳥に化けたスケルツォもどき。
しかし、中間部はプレスト順守して、狂詩曲の如くいろいろな音楽の切れ端や音が飛び交う。
おもちゃ箱をひっくり返した部屋を子ども達が走り回るかのような、束の間の愉悦・・・・。
前後とのコントラストが効いている。
再び暗雲の世界に戻り、弦の透明な風がすぅっと吹き抜けるような経過部分を経て宙に消えると・・・さあ、オルガンの轟音が鳴り響く。
もう、ここからあとの高揚感は、文字化する気力も失せる神々しさ。
ゆっくり進むから、「もっと聴いていたい」というこっちの心とぴったり合って、一つひとつの「オイシイ」局面を、本当にじっくりと味わいつつ進む。
そして、クライマックス。
スターマイン炸裂する花火大会の最後みたいなところから、もう一段上がって終わるっていう最後の数小節手前で、なんか飽和状態になって、いっしょに盛り上がれないのは、作曲者のくどさのせいか、演奏の力配分の難しさなのか、よく分からないが、試合を決めた満塁場外ホームランのあとの地味なソロホームランみたいな感じが、この曲にあると思うのは僕だけか?
でも、まあ、目の前で生まれている生の演奏では、そんな「どーでもええ」個人的な感覚はぶっ飛んで、終結間際のオルガンによる下降音階の輝かしさに「こんなのもあったんか!」と感激のうちに幕となった。
パガニーニやアンコールのこと、それから今回のコンサートに関する諸々は後日に・・・・。
大阪フィルハーモニー交響楽団第430回定期演奏会(2日目)
パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品6
ソリスト・アンコール
イザイ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より第1楽章
バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より“サラバンド”
休憩(20分)
サン=サーンス/交響曲 第3番 ハ短調「オルガン付」作品78
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ
オルガン:室住素子
指 揮:大植英次
ザ・シンフォニーホール
2009年7月29日(水) 19:00開演(18:00開場)
2月のマーラー5番、6月のマーラー9番に続いて、今年3度目の生エイジ。
しかも、三度連続のクワイア席(別に、「そういう」類のファンじゃないんですけどね・・・たまたまです)。
今回のプログラムは2曲とも実演では初聴き。
順番は違うけどサン=サーンスの方から書こう。
生では初めてだけど、今までさんざん聴いてきた曲。
でも、今回の演奏を聴いて、僕は、今まで、一体この曲の何を聴いてきたんだろう?って思った。
やっぱり実演に接しないと、その曲の実体は分からないものだ・・・・そう、あらためて思った、いや、思い知らされた。
しかし、そう思えたのは、単に生で聴けたからだけじゃない。
この日の演奏は、今までに聴いてきた数多の音盤やオンエア音源とは違い過ぎた。
またも、やられてしまった!
エイジ兄ぃに。
この曲は2楽章構成で、その二つの楽章のどちらもが、また2部に分かれていて、それぞれの後半(第二部)の方にオルガンが入る。
二部に分かれた二つの楽章は、それぞれが「動と静」「暗と明」「戦いと勝利」「不安と平安」のような性格的対構成になっており、聴き手は、なんとなく映像的ストーリーを重ねやすい音楽とも言える。
で、この日の演奏は、前回のマーラーほどではなかったが、やはり「遅い目」。
少なくとも、私が今まで聴いた3番「オルガン付き」では聴いたことがないテンポであった。
第1楽章の第1部・・・・弦のさざなみと管のわざとずれた明滅が、遅いテンポによって聴いたことがないような重々しさでもって、寄せては返す。
暗雲たれこめる平原のかなたから黒い竜巻が近づいてくるような恐ろしさ。
そして、眼前を通り過ぎて遠ざかっていく遠近感。
苦悩の幕開けだ。
アクセントはゴツゴツと、まるで楔(くさび)を岩石に打ち付けるようなマエストロの指揮ぶりが体現している、そのまんまの感じ。
弦の音は洗練されており、見事な表情と言うか、デリケートな色合いの変化をよく出していた。
一瞬の静寂をおいて第2部へ・・・・オルガンの音が重ねられていく。
三番目の音であったか?重低音のパイプが鳴り出した時、オルガンのすぐ前に坐っている私は、もう振動の真ん真ん中に。
これ、生オルガンの迫力。
そして、弦の甘美なメロディが思い入れたっぷりに丁寧に歌いだしたとき、今までの音盤鑑賞では弦にマスクされて私は全く感知していなかった、オルガン手鍵盤による素朴ながら極めて霊感に満ちたようなフレーズを聴く。
なんという美しさ。
まるで赤ちゃんの笑顔のような、瞬時にこっちの心の隅まで照らすような、その断片は「ああっ」と惹きつけられた瞬間には、もう終わったが、こんな神がかり的な瞬間が、この曲にあったなんて、恥ずかしながら、この時に初めて知った。
先の第一部が苦悩・迷い・出口を求めてあえぎのたうつ様相であったのに対して、これは、まさに安らぎと祈り。宗教音楽だとも思えた。
以降、マエストロ・エイジの祈りを捧げるかのような指揮により、第二部は慈しみに満ちて連綿と奏でなれた。
第2楽章の開始も独特の遅さ、そしてティンパニの打音も控えて、弦主体の柔かく重い肌触りで開始された。
また、闘いの始まり・・・とでも言うような巨大な怪鳥に化けたスケルツォもどき。
しかし、中間部はプレスト順守して、狂詩曲の如くいろいろな音楽の切れ端や音が飛び交う。
おもちゃ箱をひっくり返した部屋を子ども達が走り回るかのような、束の間の愉悦・・・・。
前後とのコントラストが効いている。
再び暗雲の世界に戻り、弦の透明な風がすぅっと吹き抜けるような経過部分を経て宙に消えると・・・さあ、オルガンの轟音が鳴り響く。
もう、ここからあとの高揚感は、文字化する気力も失せる神々しさ。
ゆっくり進むから、「もっと聴いていたい」というこっちの心とぴったり合って、一つひとつの「オイシイ」局面を、本当にじっくりと味わいつつ進む。
そして、クライマックス。
スターマイン炸裂する花火大会の最後みたいなところから、もう一段上がって終わるっていう最後の数小節手前で、なんか飽和状態になって、いっしょに盛り上がれないのは、作曲者のくどさのせいか、演奏の力配分の難しさなのか、よく分からないが、試合を決めた満塁場外ホームランのあとの地味なソロホームランみたいな感じが、この曲にあると思うのは僕だけか?
でも、まあ、目の前で生まれている生の演奏では、そんな「どーでもええ」個人的な感覚はぶっ飛んで、終結間際のオルガンによる下降音階の輝かしさに「こんなのもあったんか!」と感激のうちに幕となった。
パガニーニやアンコールのこと、それから今回のコンサートに関する諸々は後日に・・・・。
ゆっくり目の演奏でよかったのです。
私の持ってるCDはデュトワのモントリオール交響楽団の名盤なんですが、じっくり聴いてなかったのかなぁ~~動物の謝肉祭などとカップリングだったりで。
親父りゅうさんの文章を読みながら演奏会を思い出しながらまたCDに聞き入っております。
本当に、マエストロのコンサートは期待を裏切りませんね。
デュトアのCD、最近、入手して棚にありますが、まだ聴いてません。きっといいと思います。
ずいぶん前に(もう20年くらい前か?)デュトアがNHK交響楽団を振ったのが印象に残っています。
さて、明日以降にパガニーニその他について、また書きたいと思っています。また、よろしかったら覗いてやって下さい。
背中を向けたオルガン奏者は、どのようにして指揮者を見るのだろうとの疑問も、譜面台(?)の近くに光るもの(小さな鏡でした)を発見して、納得したものでした(笑)…。
サン=サーンスの「オルガン付」。生で聴いてみたい曲です。臨場感溢れる御報告、ありがとうございます。マジで生で聴きたくなってしまいました。
シンフォニーホールには何度も足を運んでいるのに、あのオルガンが鳴ったのを一度も聴いたことが無いです。
特に席が近かったので、今回は360度音に囲まれました。
>鏡
何かのはずみであの鏡が違う方向いちゃったら大変ですよね。
でも、本番とは違いますよね。
「オルガン付き」に限らず、まだ生で聴いていない曲ってのは、やはり、聴きたいものですね。
予定されているカルミナ・プラーナなんかも、曲としては、それほど惹かれる曲ではありませんが、実演に接してみたい曲ではあります。
オルガンが入るので生だと録音とは異なるのはすごくわかります。
僕はバーンスタインの重い演奏で初めて聴いて慣れていたので、ミュンシュの海賊盤ライブのハイスピードの時は驚きました。他の演奏もそうでした。バーンスタインは遅い重い演奏なんです。
なんか、感想読んでいてふとバーンスタイン盤が浮かびました。
(全ての曲ではないてしょうが・・・)
彼はバーンスタインの影響を自ら認めていますが、山田氏の本によると「彼が最も長期間参加したゼミはチェリビダッケのものだった」とありますから、ひょっとすると、チェリの影響もあるかも?と思えてきました。
あの角の取れた、それでいて重く、各パートが明瞭に聞こえるアプローチが似ているなぁって思えました。
今後、要注意です。
バーンスタインのサン=サーンス3番、私は、最初、ミュージック・カセットで買いましたが、確かに遅くて重いですね。
後に、ロイヤルエディション盤をイギリスアマゾンだったかで見つけて買いました。
久しぶりに聴きたくなりましたよ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%8C%87%E6%8F%AE%E8%80%85%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%A4%8D%E8%8B%B1%E6%AC%A1%E2%80%95%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88%E3%80%81%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%BF%E3%80%81%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%80%81%E5%A4%A7%E9%98%AA-%E5%9B%9B%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B9%9F-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E7%9C%9F%E4%B8%80/dp/4871985407
チェリビダッケのレパートリーでない曲でないのがおもしろいですね。
確かに、それは、ご本人も雑誌で語っていたかと思います。
ミネソタ管、あるいはフォンテックのいくつかのレコーディングが「前のスタイル」と思えるのは私だけでしょうか?
チェリの影響云々は、あくまでも私のこじつけ気味な推測ですけど(笑)。