梅雨明けから9日過ぎて、まだ7月17日だけども、真夏真っ盛りの当地。我が家の裏の木には、もう蝉の抜け殻が2つ認められた。昨日と今日は祇園まつりであり、市内のあちこちで「チョーサヤ、チョーサヤ」の掛け声が聞こえていた。昨日は友から美味しいお寿司も届いたりして、本当にありがたいことであった。
毎日暑いが、夏は暑く冬は寒いもの。季節それぞれ風情があって、どの季節も好きだ(暑過ぎ寒過ぎは困るけど・・・)。台風が近づいていて、ニュースでは「猛暑は今日が一応ピーク」とか言っているが本当かな。
さて、暑い時に熱いものを食らふのを好む人もいるようだが、暑い時に「暑苦しい」音楽を聴くのも、またよろしいもの。で、今日、休日仕事から帰宅して子どもたちが介護事業所から帰るまでの束の間に鳴らしたのは、この曲。
ブロッホ/シェロモ~チェロと管弦楽のためのヘブライ狂詩曲~
チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
管弦楽:フランス国立管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン
録音:1976年
ぐたぐたと煮込みきった肉料理に熱く濃厚なソースをたんまりかけて熱々の食器に盛り付け、飲み物は沸点すれすれのお茶だけ・・・と言う感じの曲であるが、その粘っこいフレーズは暑さ寒さに関係なく、切々と胸をかきむしる。特に、この曲を愛好しているわけではないが、レコードで聴いて以来、時々、思い出したように聴いてきた曲。過去40年間に10回ほどは聴いただろうか???だとしたら、今日が11回目かな???よく分からん。
「ブロッホの音楽は旧約聖書の精神を示現しようとした独特のジャンル」(三浦淳史氏の解説より)らしい。「旧約聖書の精神」が如何なるものか、さっぱり知らないけども、この曲は全編憂いに満ちて常に暗く、怨念・情念が渦巻く幾万年の歴史を感じさせる、と言えば、そう思える音楽である。チェロ独奏とオーケストラとの対話という設定には、こういうシチュエーションがぴったしであり、あんまり明るくあっけらかんとした曲は(古典派以前は別として)意外に少ないのではないか。
この演奏は映像もある。髭面期のバーンスタインが(当時、所謂「スランプ」みたいだったようだが)、ここでは強烈なシンパシーでもって、この曲に没入している。まるで望郷の念が噴出したかのように・・・。ヴィザ期限切れ半年前のロストロポーヴィチ共々、ここでは、何かにすがるかのような曲趣に輪をかけて、音符一つ残らず舐め尽すかのようでもある。そう言えば、若きレニーが、この曲を大声で呻きながら指揮する映像もあった。彼にとって、「ああいう所に連れられてしまう」曲でもあるのだろう。
スラヴァって、こんな場面にも登場しているし、何かと不器用で直線的な人みたいだけど、小澤さんともよく共演してるし、カラヤンともよくやってたし、意外に「器用」な感じもするのは認識違いかな?
毎日暑いが、夏は暑く冬は寒いもの。季節それぞれ風情があって、どの季節も好きだ(暑過ぎ寒過ぎは困るけど・・・)。台風が近づいていて、ニュースでは「猛暑は今日が一応ピーク」とか言っているが本当かな。
さて、暑い時に熱いものを食らふのを好む人もいるようだが、暑い時に「暑苦しい」音楽を聴くのも、またよろしいもの。で、今日、休日仕事から帰宅して子どもたちが介護事業所から帰るまでの束の間に鳴らしたのは、この曲。
ブロッホ/シェロモ~チェロと管弦楽のためのヘブライ狂詩曲~
チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
管弦楽:フランス国立管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン
録音:1976年
ぐたぐたと煮込みきった肉料理に熱く濃厚なソースをたんまりかけて熱々の食器に盛り付け、飲み物は沸点すれすれのお茶だけ・・・と言う感じの曲であるが、その粘っこいフレーズは暑さ寒さに関係なく、切々と胸をかきむしる。特に、この曲を愛好しているわけではないが、レコードで聴いて以来、時々、思い出したように聴いてきた曲。過去40年間に10回ほどは聴いただろうか???だとしたら、今日が11回目かな???よく分からん。
「ブロッホの音楽は旧約聖書の精神を示現しようとした独特のジャンル」(三浦淳史氏の解説より)らしい。「旧約聖書の精神」が如何なるものか、さっぱり知らないけども、この曲は全編憂いに満ちて常に暗く、怨念・情念が渦巻く幾万年の歴史を感じさせる、と言えば、そう思える音楽である。チェロ独奏とオーケストラとの対話という設定には、こういうシチュエーションがぴったしであり、あんまり明るくあっけらかんとした曲は(古典派以前は別として)意外に少ないのではないか。
この演奏は映像もある。髭面期のバーンスタインが(当時、所謂「スランプ」みたいだったようだが)、ここでは強烈なシンパシーでもって、この曲に没入している。まるで望郷の念が噴出したかのように・・・。ヴィザ期限切れ半年前のロストロポーヴィチ共々、ここでは、何かにすがるかのような曲趣に輪をかけて、音符一つ残らず舐め尽すかのようでもある。そう言えば、若きレニーが、この曲を大声で呻きながら指揮する映像もあった。彼にとって、「ああいう所に連れられてしまう」曲でもあるのだろう。
スラヴァって、こんな場面にも登場しているし、何かと不器用で直線的な人みたいだけど、小澤さんともよく共演してるし、カラヤンともよくやってたし、意外に「器用」な感じもするのは認識違いかな?
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