静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

手術から一年

2010年12月05日 01時52分49秒 | 健康や病気の話
 今日(4日)は、所用で県外まで車を走らせた。往復220キロほど。三男は「日中一時支援」でK介護施設へ預けた。二男は、一昨日の下痢でダウンして快復途中ということでカミさんと自宅。2月以来のカミさんの病状は、春から初夏にかけて順調に快復し、7月にあることをきっかけに急降下。その後は苦しみながらも、ゆっくりゆっくり回り道しながら立ち止まりながらも、じわじわと上へと登ってきている。11月からのヘルパー導入は、カミさんにも私にも、ずいぶんと心身ともにゆとりをもたらしてくれた。年の瀬を迎えて、今、また夏前の好調な感じになっているが、焦らず無理せず行きたいものである。「早く治りたい」・・・そういう本人の切なる願いをいろんな場面で感じるのであるが、こればかりは思うようにはならない。

 さて、早いもので、私が直腸ガンの手術をしてから丸一年が過ぎた。6月に手術から半年という記事を二つあげたきり、そのあとが続かないうちに一年が過ぎてしまった。(もうひとつはこっち
 手術直後から病室から記事をあげたりしていたが、入院生活や病気のことはあまり書いていなかった。(読み手限定のミクシィ日記には、けっこう詳しく書いたりしてたのだが・・・)
 以下は、毎日書いている日記の写し。大方の人にはただの露悪趣味でしかないだろうけど、共感を持っていただいたり何かの参考になる方もいるかと思う。なお、腸の手術ゆえ、当然のことながら排泄や便のことにも触れている。そういうのを読みたくない人はここでお引取り下さい。








2009年12月1日(火)
10時にT病院へ。昼前に病室に上がる。同室はTさん。食道と胃をガンで切って、もう40日以上入院している。
昼から何度か検温。担当看護士との面談などある。毛も剃った。下剤を飲んで17時以降は何度もトイレに行く。M(カミさん)、何度か家と病院を行き来する。
A(長男)が帰ってくるらしい。18時、点滴(栄養)入る。ATRAC-CDは圧縮しすぎて音良くなく残念。



12月2日(水)
手術の日。昼前に手術衣に着替え、リラックス(?)させる薬を注入され、ベッドのまま手術室へ。その後は、出てきて回復室に入る時まで記憶無し。回復室の一夜は長かった。(5日記)



12月3日(木)
長い長いICUでの一晩が終わり、体に繋がっていたいくつかの管を抜いてもらい、何度か口を拭いてもらい、11時に病室へ戻る。
車椅子で戻った。もう「どんどん歩け」などと言う。しかし、トイレまで歩くのがやっと。音楽を聴く気にもならず。(5日記)



12月4日(金)
3日の昼間はうとうとしていた。そのせいで夜は眠れず。廊下を少し行き来してみる。ガス、便出る。水分OKということでジュースetc.を飲む。まだ音楽はさほど聴きたいとは思えず。(5日記)



12月5日(土)
(この日以降は、一日遅れで日記を記すようにしていた)
また、少し楽になった。ガスもよく出る。一日、雨。ヤフオクのLP落札者からクレームめいた伝言が入っていた。
ちょっと理不尽な感じであり腹が立ったが、このさいなので言うようにすることにした。
夜、Mさんよりメール。Hさん明日結婚とのこと。さっそく祝メール送る。チェリの「第9」聴く。



12月6日(日)
今朝から食事始まる。三分粥。昼食前から夕食後にかけて7~8回、トイレに行く。便の色は黒っぽい茶色。回を追うごとに色は薄くなっているようである。昼過ぎTさん夫妻がお見舞いに来てくれる。
読書、CDの時間がけっこう増えてきた。夜、NHK「真珠湾のなぞ」を興味深く観る。



12月7日(月)
外は寒そうだった。昼から五分粥。尿採取もしなくていいようになった。Mは昼頃に来た。二男Kは休ませたらしい。午後、AとOが来た。



12月8日(火)
回診のとき、腹部の管と袋を取る。朝、日の出を見に行った。午後は同室のTさんといろいろと話す。というよりも彼の興味深い話を聴かせていただく。
18時半ころ、M島、Y形、K下の3人が見舞いに来てくれる。20時までサロンにて話す。主治医先生「土曜日に退院」とのこと。また病理検査の結果も問題なし。



12月9日(水)
半分抜糸。点滴も終了。かなり身軽になり開放感ある。食事は全粥。階段を1階から6階まで昇るのは、ちょいとしんどかった。夕食後、Sさん、Tさん、Fさん、Iさんが見舞いに来てくれる。
便は出ず。「月下の恋人」読み終え、「蝉しぐれ」読み出す。


以下、略。




 術後は順調に回復し12日に退院した。手術後10日で退院できたのは腹腔鏡手術のため切開部分が小さかったことによる。しかし、術後、便意や便の出方が以前とは全く違い、まるで下半身だけ別人のものを借りてきたような感じであった。今はもうすっかり慣れたが、頻便は相変わらずである。便秘にはなりにくいが下痢になると大変である。
 退院後は1月いっぱいまで自宅療養し2月から職場復帰したのだが、入れ替わるようにカミさんが心身消耗状態になってしまった。4月下旬まではなんとかだましだまし乗り切っていたが、4月19日の神経科受診で私が介護休暇をとることに決めた。 その後は、ブログにぼちぼちと書いている通り。












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