3月になりました。
それに合わせるかのように「春一番」。
昨夜から大変な強風でした。
隣の老母宅では掃出しの古い建具が風で抜け落ちました。
この時期、思い出すのは4年前のこと。
仕事を辞めて治療に専念せざるをえなくなったのが、4年前の今ごろでした。
ちょっと思い出してまとめておきますと・・・
2014年
2月
23日(日)・・・朝から病院より電話。「明日、朝イチで血液内科受診するように」とのこと
24日(月)・・・血液内科受診。検査の結果「多発性骨髄腫」の判定。「明日から即入院せよ」とのことだったが、家族の実情など話し、とりあえず2泊3日の入院として、週明けから本格入院ということにしてもらう。
25日(火)・・・入院。病院から電話かけまくって三男の転校や妻、家族への支援体制を手配する。
27日(木)・・・退院。
28日(金)・・・午前中、最後の出勤。夕方、三男のスクールバス(最後の)迎え。
3月
1日(土)・・・入院や、三男の転校の準備、確定申告など。
2日(日)・・・同上
3日(月)・・・午前中、三男をKリハビリセンターに連れて行き、先生や職員さんに託して昼前に離脱。午後、血液内科病棟に入院。
センターに放り込んだ1週間ほど後に、三男は無事「転校」「措置入所」の手続きが済んで、そして今日に至っています。
あの頃と今とでは多発性骨髄腫についての世間の認識も多少違ってきています。当時、ネット等でいろいろ調べたときは「平均余命3年」、「予後不良」などの記載がいくつも見られました。発症してしまうと、基本的には「助からない病気」と言う感じでした。
数日間、入院のことはブログでも触れずにいましたが、こんな性格なものですから、3月9日にばらしました。
その後は病室からせっせと更新していました。
あのとき強く思っていたことは「三男の高等部卒業まではなんとかして生き延びる(生き延びたい)」ということでした。
でも、東京オリンピック(2020年)は、たぶん観られないだろうな、なんてことも思っていました。
そんなことで、最初の入院(3週間ほど)が済んで通院治療に移行したころは、やたらと家の中を片づけたり不要な書籍を何度もブックオフに運び込んだりしていました。
妻は、そんな「身辺整理をしている」私を見て余計に不安定になったようでした。
その後、ベルケイドによるBD療法や造血細胞の自家移植、サレド服用による維持療法などが(今のところ)功を奏して、腫瘍量は抑えられたままに治療5年目に入っています。
来週の8日(木)は、いよいよ三男リュウの卒業式です。
それに合わせるかのように「春一番」。
昨夜から大変な強風でした。
隣の老母宅では掃出しの古い建具が風で抜け落ちました。
この時期、思い出すのは4年前のこと。
仕事を辞めて治療に専念せざるをえなくなったのが、4年前の今ごろでした。
ちょっと思い出してまとめておきますと・・・
2014年
2月
23日(日)・・・朝から病院より電話。「明日、朝イチで血液内科受診するように」とのこと
24日(月)・・・血液内科受診。検査の結果「多発性骨髄腫」の判定。「明日から即入院せよ」とのことだったが、家族の実情など話し、とりあえず2泊3日の入院として、週明けから本格入院ということにしてもらう。
25日(火)・・・入院。病院から電話かけまくって三男の転校や妻、家族への支援体制を手配する。
27日(木)・・・退院。
28日(金)・・・午前中、最後の出勤。夕方、三男のスクールバス(最後の)迎え。
3月
1日(土)・・・入院や、三男の転校の準備、確定申告など。
2日(日)・・・同上
3日(月)・・・午前中、三男をKリハビリセンターに連れて行き、先生や職員さんに託して昼前に離脱。午後、血液内科病棟に入院。
センターに放り込んだ1週間ほど後に、三男は無事「転校」「措置入所」の手続きが済んで、そして今日に至っています。
あの頃と今とでは多発性骨髄腫についての世間の認識も多少違ってきています。当時、ネット等でいろいろ調べたときは「平均余命3年」、「予後不良」などの記載がいくつも見られました。発症してしまうと、基本的には「助からない病気」と言う感じでした。
数日間、入院のことはブログでも触れずにいましたが、こんな性格なものですから、3月9日にばらしました。
その後は病室からせっせと更新していました。
あのとき強く思っていたことは「三男の高等部卒業まではなんとかして生き延びる(生き延びたい)」ということでした。
でも、東京オリンピック(2020年)は、たぶん観られないだろうな、なんてことも思っていました。
そんなことで、最初の入院(3週間ほど)が済んで通院治療に移行したころは、やたらと家の中を片づけたり不要な書籍を何度もブックオフに運び込んだりしていました。
妻は、そんな「身辺整理をしている」私を見て余計に不安定になったようでした。
その後、ベルケイドによるBD療法や造血細胞の自家移植、サレド服用による維持療法などが(今のところ)功を奏して、腫瘍量は抑えられたままに治療5年目に入っています。
来週の8日(木)は、いよいよ三男リュウの卒業式です。
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