昨日の夏空から一転して、今日は未明から雨が断続的に降っています。
だんだん勢いを増してきて、大雨警報、暴風警報も出た当地です。
エリア・メールも何度も届いています。
今夕、伊勢で予定されている音楽宅急便「クロネコファミリーコンサート」の開催は大丈夫でしょうか?
「あめつちのうた」(作詩:林 望/作曲:上田真樹)を伊勢少年少女合唱団、松阪少年少女合唱団、皇学館中学校合唱同好会の合同で(名古屋フィルとの共演で)演奏されるのですが・・・。
昨日、合唱の子どもたちは名古屋までオケ合わせに出向いていたとのことで、なんとか開催してもらいたいと思っています。
ただ、台風の進路やその影響いかんで私が聴きに行けるかどうかも微妙なところです。
さて、昨日は津リージョンプラザに出向き、「平和のための音楽会2017」を聴いてきました。
以下、例によって漠っとした感想です。
(すみませんが、全てのステージについて触れているわけではありません。)
ちょっと遅れてしまったので、会場に着いたときは最初の津児童合唱団の終わりごろでした。
チケットはAさんにもらっていたのですが、「当日券完売」の張り紙に驚き、一番後ろのドアから恐る恐る入ってみたら、もう、ドアのすぐ前まで人が立っていて、ドアが開かない状態。
でも、察知して移動してくれたのでなんとか中に入れました。
子どもたちの美しい合唱を聴いて、「あぁ~、これは最初からちゃんと聴くべきだった!」と後悔しました。
すばらしい合唱でした。
次のプログラムまでの間に空席を探し、前の方のほとんど左端近くに座りました。
鈴木みづ絵さん(ソプラノ)の歌った外山雄三作品は、プログラムによると「1987年作曲の未発表のもの」とのことでした。
詩が聴き取りやすく、なかなか聴き応えある作品でした。
谷篤さん(バリトン)は興味深い3曲を歌いました。
「セー」とはロワール川にかかる4つの橋のことで、戦時中はドイツ軍との激戦の舞台になったところ、とのことです。
カザルスでお馴染みの「鳥の歌」は、もともと「イエス生誕を祝うカタロニア民謡」(プログラムによる)とのことですが、例の国連コンサートでのカザルスのスピーチ以来、今日のように「平和」の象徴として扱われることもあるのかも知れませんね。
3曲目はエドウィン・カストロの詩に林光が作曲した「告別」。
政治犯として捕えられ銃殺された詩人が獄中から息子に宛てた手紙がベースになっているとのこと。
悲痛な雰囲気がありました。
最後のステージは「平和のための合唱団」による4曲。
ムスタキの「ヒロシマ」と林光作品2曲、最後は武満の「死んだ男の残したものは」(作曲者オリジナルではなく林光編曲のピアノ・パート付きのもの)でした。
それにしてもなんとなく林光の出番が多いコンサートでした。
「平和」「反核」→「林光」という繋がりでしょうか。
私は、実は林光作品は苦手です。
東混の新しいCDも買ったけど、結局手放してしまいました。
しかし、この日の眼前での演奏にはかなり惹きつけられました。
このように、生身の人間が目の前で声を発する、そういう状況でこそ、その力を発揮する作品なのだ(少なくとも私にとっては)、そう感じました。
合唱は年齢層幅広く、三重バッハのメンバーの方と思しき方も数名いらっしゃったような。
私の知人も2名歌っていました。
チケットをくれたAさんはそのひとり。
合唱は、声やリズムにばらつきもあり、やや勢いで押し切った部分もありましたが、メンバーの真摯な歌いっぷりと決して独りよがりではない「熱さ」が感じられて、とてもよかったです。
最後に「みなさん、いっしょに歌いましょう!」のコーナーがありました。
だいたい、こういうときは「ふるさと」とか「花は咲く」などが定番でしょうが、この日は「ヒロシマ」(G・ムスタキ曲)。
こういうところが、この音楽会らしいところでいいんじゃないですか。
会場内は、たぶん知らない人がほとんど、ということなのか、第1部の終わりに練習(歌唱指導)もありました。
「ステージで歌いたい人はどうぞ」と声がかかると、けっこうな人が舞台に上りました。
一体感のあるフィナーレでした。
会場を出て、お隣で開催されている「戦争展」を観て帰りました。
だんだん勢いを増してきて、大雨警報、暴風警報も出た当地です。
エリア・メールも何度も届いています。
今夕、伊勢で予定されている音楽宅急便「クロネコファミリーコンサート」の開催は大丈夫でしょうか?
「あめつちのうた」(作詩:林 望/作曲:上田真樹)を伊勢少年少女合唱団、松阪少年少女合唱団、皇学館中学校合唱同好会の合同で(名古屋フィルとの共演で)演奏されるのですが・・・。
昨日、合唱の子どもたちは名古屋までオケ合わせに出向いていたとのことで、なんとか開催してもらいたいと思っています。
ただ、台風の進路やその影響いかんで私が聴きに行けるかどうかも微妙なところです。
結局、7日のお昼過ぎに「中止」と決まりました。 (17時58分追記)
さて、昨日は津リージョンプラザに出向き、「平和のための音楽会2017」を聴いてきました。
以下、例によって漠っとした感想です。
(すみませんが、全てのステージについて触れているわけではありません。)
ちょっと遅れてしまったので、会場に着いたときは最初の津児童合唱団の終わりごろでした。
チケットはAさんにもらっていたのですが、「当日券完売」の張り紙に驚き、一番後ろのドアから恐る恐る入ってみたら、もう、ドアのすぐ前まで人が立っていて、ドアが開かない状態。
でも、察知して移動してくれたのでなんとか中に入れました。
子どもたちの美しい合唱を聴いて、「あぁ~、これは最初からちゃんと聴くべきだった!」と後悔しました。
すばらしい合唱でした。
次のプログラムまでの間に空席を探し、前の方のほとんど左端近くに座りました。
鈴木みづ絵さん(ソプラノ)の歌った外山雄三作品は、プログラムによると「1987年作曲の未発表のもの」とのことでした。
詩が聴き取りやすく、なかなか聴き応えある作品でした。
谷篤さん(バリトン)は興味深い3曲を歌いました。
「セー」とはロワール川にかかる4つの橋のことで、戦時中はドイツ軍との激戦の舞台になったところ、とのことです。
カザルスでお馴染みの「鳥の歌」は、もともと「イエス生誕を祝うカタロニア民謡」(プログラムによる)とのことですが、例の国連コンサートでのカザルスのスピーチ以来、今日のように「平和」の象徴として扱われることもあるのかも知れませんね。
3曲目はエドウィン・カストロの詩に林光が作曲した「告別」。
政治犯として捕えられ銃殺された詩人が獄中から息子に宛てた手紙がベースになっているとのこと。
悲痛な雰囲気がありました。
最後のステージは「平和のための合唱団」による4曲。
ムスタキの「ヒロシマ」と林光作品2曲、最後は武満の「死んだ男の残したものは」(作曲者オリジナルではなく林光編曲のピアノ・パート付きのもの)でした。
それにしてもなんとなく林光の出番が多いコンサートでした。
「平和」「反核」→「林光」という繋がりでしょうか。
私は、実は林光作品は苦手です。
東混の新しいCDも買ったけど、結局手放してしまいました。
しかし、この日の眼前での演奏にはかなり惹きつけられました。
このように、生身の人間が目の前で声を発する、そういう状況でこそ、その力を発揮する作品なのだ(少なくとも私にとっては)、そう感じました。
合唱は年齢層幅広く、三重バッハのメンバーの方と思しき方も数名いらっしゃったような。
私の知人も2名歌っていました。
チケットをくれたAさんはそのひとり。
合唱は、声やリズムにばらつきもあり、やや勢いで押し切った部分もありましたが、メンバーの真摯な歌いっぷりと決して独りよがりではない「熱さ」が感じられて、とてもよかったです。
最後に「みなさん、いっしょに歌いましょう!」のコーナーがありました。
だいたい、こういうときは「ふるさと」とか「花は咲く」などが定番でしょうが、この日は「ヒロシマ」(G・ムスタキ曲)。
こういうところが、この音楽会らしいところでいいんじゃないですか。
会場内は、たぶん知らない人がほとんど、ということなのか、第1部の終わりに練習(歌唱指導)もありました。
「ステージで歌いたい人はどうぞ」と声がかかると、けっこうな人が舞台に上りました。
一体感のあるフィナーレでした。
会場を出て、お隣で開催されている「戦争展」を観て帰りました。
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