静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

「ふつう」の障がい者家族

2017年07月31日 20時35分41秒 | つぶやき(カテゴはっきりしない雑文)
 相模原の障がい者殺傷事件から1年経って、NHKの「亜由未が教えてくれたこと」バリバラでの特集を観た。
 いろいろと思うことが湧き出てくるのだが、まだうまく言葉(文章)にできない。

 こういう番組がどれだけの人に観られているのか分からないけれども(前にも書いたことがあることだが)世間の「障がい」(障がい者)に対する理解や認知は、少しずつではあるけど深まっていることに貢献はしているのだろう。

 ただ、ウチの子どもたちのような「知的障がい」や「精神障がい」に対するそれは、他の「障がい」(「身体障がい」「視覚障がい」「聴覚障がい」「自閉症スペクトラム」を含む「発達障がい」全般など)へのそれに比べると、やや遅れているのではないか、という実感を持っている。
あくまでも私の実感だが。
メディアに取り上げられるのはいいことだけども、「なんとか障がいとは、こういうこと」などとネーミング(レッテル)先行、知識先行であってはいけないと思う。
 これも前に書いたことだが、私たち当事者は「理解よりもふれあいを」と思う。少なくとも私はそう思っている。


 また別の話・・・・・自分の子に何かしら才能があったり持てる能力を最大限に発揮したり、ということを願うのは、これは「健常者」「障がい者」関係なく、親として当たり前みたいなこと。
 それから、特にそういう才能や能力の発揮が見られなくても、その子の生き方や表情、こだわりなどが大事にされ、本人なりの成長があり、本人が「幸せ」を感じて日々を生きていればいい、というのも、これまた同じ。

 ヘンにストーリー性を強調したTV番組や書籍などの影響で「障がい者=がんばっている人」とか「障がい者の多くには何か特別な能力や才能がある」などと錯覚している人もいる(ようだ)が、我が家のように、(他との比較では)特に秀でた才能を発揮していることもなく、親も特に努力もせずに、なんとなくダラリと「ふつうに」過ごしている「障がい者の家族」もいるってことを、もっと知って欲しい。


 ホンマにねぇ・・・

 3人の子どものうち二人が「最重度の知的障がい」、母親は3級の「精神障がい」、父親は生涯二度目のがん治療(多発性骨髄腫3a期)で「余命宣告ちう」という、書きようで24時間TVや福祉ドキュメントに仕立てられるネタはわんさかある家庭なのだが、なんか全然違うのよ、そういう番組の空気とは。

 でも、そんなのが「ふつう」であり多数なのではないだろうか。

 もちろん、我が家での「ふつう」が「普通じゃない」「とても大変」と感じる人もいるだろうけど。

 ・・・う~ん、なんか、言いたいことがうまく書けなかったなぁ。誤解を招くかも???
  
 まあええか



 昨日は三男を連れ帰らなかった。
 妻が少し疲れ気味だったので事前回避した。
 昼食を含む2時間のドライブをしてセンターに帰した。
 前回、家に連れ帰らなかったときは、センターで車から降りるのを嫌がったが、今回は(始めに言い聞かせたからか)ニコニコ顔で戻っていってくれた。
 上の写真はそのときのもの。


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