もう5日前のことになりますが・・・・
松阪の第九に無事出演することができました。
今は、とにかく参加できたことの喜びをかみしめています。
まだまだ暑くてエアコンばんばんの9月から涼しい10月を経て、ちょっと体調下降を自覚しながらも練習に参加してきました。
当日はほぼ満員。
第1部の「オペラ・アリアへのお誘い」は、私たち合唱団員はゲネ・プロを聴かせていただきました。
(本番時は最終練習~舞台裏への移動と重なり、舞台裏でほんの一部を聴くことができました)
最初に歌われた稲葉さんは、実は次男が週一回お世話になっている福祉施設で働いてみえる方です。
今年の「みえ音楽コンクール声楽部門一般の部」で第一位に輝いておられます。
声楽部門トータルでも県知事賞を受賞されており、前々から聴きたいと思っていたところでした。
リハ(ゲネ・プロ)だけ聴いて感想を書くのもどうかと思いますが、清らかで凛とした歌声のモーツァルトがホールに響いていました。
他の方もいずれも素晴らしく、5曲五様、5人五様の華やかなステージであったと思います。
(ゲネ・プロより)
第九では、私たち合唱団は第1楽章から舞台の上でした。
私の位置は8列中の7列目(上から2列目)のほぼ中央でした。
この位置から見るオーケストラは、ザ・シンフォニーホールのクワイア席から見ていた眺めとよく似ていてなんか懐かしかったです。
ということで、出番の第4楽章までは聴衆のような気持ちで曲に集中して聴いていました。
バリトン独唱の直前に起立することになっていましたので、立ちくらみとかしないように、目立たないよう気を付けながら時々足を動かしたり太ももを揉んだりしながら聴いていました。
(なにしろ、前日のリハーサルでは、短時間待っていただけなのに立ち上がったときにふらついたので・・・)
伊勢管は、さすがに定期の時の安定感には一歩及ばず、ハラハラドキドキの様相もありましたが、大谷さんの直向きな指揮に導かれて熱のこもった演奏を展開していきました。
私は、第九でのトロンボーンの出番は終楽章だけだと思っていましたが、本番前にトロンボーンのMさんから「第2楽章にも少しありますよ」と聞いていたので、今回、その箇所は特に注意して聴いていました。
なるぼと中間部の後半でトロンボーンが加わり、全体の響きに厚みと温かみが増して柔和な気分が高まったのがよく分りました。
こういう微妙な色合いの変化は、知らないで聴いていたら、たぶん聴き過ごしてしまうようなところだと思います。
奏者の人たちは、このように、私たちたちの知らないところや気づきにくいところでも気を配り練習しているのだと、今更のように思いました。
第3楽章開始後数分間の弦の音は素晴らしく、合唱席で思わず姿勢を正されるようでした。
そして第4楽章。
ちょっと心配していた「起立」も、上手にゆっくり立ち上がって(笑)うまくいきました。
バリトンの中川宗晴さんは、もうリハのときから安定の歌声。
惚れ惚れしましたよ。
(後の打ち上げ会で御本人に、そのことを話したのですが、彼は高校の先生だとのことでした!)
合唱は、(自分で言うのもアレですが)一週間前とは別団体かと思うほどの充実ぶりで、反響板を背にして歌っていると女声もビンビン響いてきました。
バリトン以外のソリストさん達もリハーサルを上回る素晴らしさ。
私自身も、本番が一番気持ちよく調子よく、そして(それなりに)ちゃんと歌えました。
第九の終楽章は、曲調がめまぐるしく変わり(前にも書いた記憶がありますが)ベートーヴェンはきっと書き直してさらに完成度を高めたかったに違いない、と思っていましたが、これはこれで、言いたいことが次々と直接的に表現されている音楽であると実感しました。
特に中間部のアンダンテ・マエストーソ~アダージョ・マ・ノン・トロッポ、そして二重フーガをはさんで四重唱が入る前までの部分については、大谷さんの一単語、1フレーズにまで渡る丁寧な表情付けがあり、ディスクで聴いている時とはまるで別次元の説得力を感じたものです。
指揮者の要求する響きや表情を実現するのは困難を極め、本番でも、どこまで実現していたのか、歌っていた側としては分かりませんが、あとで大谷さんは「今までの(三回の)松阪第九で、今回の合唱が一番よかった」と仰っていたので、まあ合格点だったのではないかと思っています。
第九は不思議な曲です。
前にも書きましたが、私はいわゆる「年末は第九」という風習には賛同しない気持ちがあります。
しかし、今回41年ぶりに第九の合唱に参加して、その気持ちがちょっと変わったようです。
たしかに、安易に演奏すべきではない特別な音楽だと思うし、合唱のメンバーが「第3楽章までは退屈で・・・」なんて言ってるのを聞くとムカッときたりします。
各パートともに音域が高く、これを「ちゃんと」歌いこなすことはかなりの技量が必要でもあります。
私の場合、テノールとのユニゾン部分などファルセットで対応せざるをえません。
しかし、しかし・・・やはり、こうやって実演で聴くと、なんとも言い難い感動というか高揚感に見舞われる楽曲なんですね。
ここにはベートーヴェンの、生々しい叫びや祈り、希望など、言葉にするとありきたりであるけども本当に切実なものが、やや荒削りな感触ながらもストレートに出ていると思います。
そしてスタイル的に見ても、圧倒的な音響と人を惹きつけるノリ(リズム)の良さも持ち合わせていて、そんなことからも万人の心に響く特別なものがあるのではないでしょうか。
最後の音が弾けて拍手が起こり、コンサートマスター氏が座るのを見て、座った時には恥ずかしながら一瞬感極まりました。
隣はアルト・パートで高校生でした。
思わず、
「良かったですね。」
と、声をかけてしまいました。
聞くと、第九は今回が初めてとのことでした。
私が、
「自分も高校のときに3回歌ったけど、もう40年以上前のことですよ。」
と言うと、
「40年先のことなんて、想像もできないです。」
と言われました。
そうですよね。自分だってそうでした。
彼女の第九初舞台も、この先ずっと記憶に残っていくだろうな、それは素晴らしいことだな、なんて思いました。
打ち上げ会では、楽しいお話がいろいろ聞けましたが、三重バッハ合唱団でいつも素晴らしい歌唱を聴かせてくれているソプラノの佐波真奈巳さんとも直接お話ができたりして、とてもうれしかったです。
抗がん剤休薬中に、ひとつでも「やりたいこと」をやっておこうということで参加した第九合唱でしたが、10月半ば頃から体調降下してきて、本番が近づくにつれて、どんどん悪くなっていました。
一週間前からは、今まで経験したことのない酷い肩こり・首こりに見舞われていて、前々日の練習は休まざるをえませんでした。
念願だった大谷=伊勢管との共演が実現して本当によかった。
実は、一週間前のオケ合わせとか前日リハとか、私はもう、ほとんど中高生のようにワクワクしていました。
無事に出演できてほっとしています。
これで年末に予定している入院も心置きなく行ってくることができます。
中日新聞より
2014年「松阪の第九」
2012年「松阪の第九」
松阪の第九に無事出演することができました。
今は、とにかく参加できたことの喜びをかみしめています。
まだまだ暑くてエアコンばんばんの9月から涼しい10月を経て、ちょっと体調下降を自覚しながらも練習に参加してきました。
当日はほぼ満員。
第1部の「オペラ・アリアへのお誘い」は、私たち合唱団員はゲネ・プロを聴かせていただきました。
(本番時は最終練習~舞台裏への移動と重なり、舞台裏でほんの一部を聴くことができました)
最初に歌われた稲葉さんは、実は次男が週一回お世話になっている福祉施設で働いてみえる方です。
今年の「みえ音楽コンクール声楽部門一般の部」で第一位に輝いておられます。
声楽部門トータルでも県知事賞を受賞されており、前々から聴きたいと思っていたところでした。
リハ(ゲネ・プロ)だけ聴いて感想を書くのもどうかと思いますが、清らかで凛とした歌声のモーツァルトがホールに響いていました。
他の方もいずれも素晴らしく、5曲五様、5人五様の華やかなステージであったと思います。
(ゲネ・プロより)
第九では、私たち合唱団は第1楽章から舞台の上でした。
私の位置は8列中の7列目(上から2列目)のほぼ中央でした。
この位置から見るオーケストラは、ザ・シンフォニーホールのクワイア席から見ていた眺めとよく似ていてなんか懐かしかったです。
ということで、出番の第4楽章までは聴衆のような気持ちで曲に集中して聴いていました。
バリトン独唱の直前に起立することになっていましたので、立ちくらみとかしないように、目立たないよう気を付けながら時々足を動かしたり太ももを揉んだりしながら聴いていました。
(なにしろ、前日のリハーサルでは、短時間待っていただけなのに立ち上がったときにふらついたので・・・)
伊勢管は、さすがに定期の時の安定感には一歩及ばず、ハラハラドキドキの様相もありましたが、大谷さんの直向きな指揮に導かれて熱のこもった演奏を展開していきました。
私は、第九でのトロンボーンの出番は終楽章だけだと思っていましたが、本番前にトロンボーンのMさんから「第2楽章にも少しありますよ」と聞いていたので、今回、その箇所は特に注意して聴いていました。
なるぼと中間部の後半でトロンボーンが加わり、全体の響きに厚みと温かみが増して柔和な気分が高まったのがよく分りました。
こういう微妙な色合いの変化は、知らないで聴いていたら、たぶん聴き過ごしてしまうようなところだと思います。
奏者の人たちは、このように、私たちたちの知らないところや気づきにくいところでも気を配り練習しているのだと、今更のように思いました。
第3楽章開始後数分間の弦の音は素晴らしく、合唱席で思わず姿勢を正されるようでした。
そして第4楽章。
ちょっと心配していた「起立」も、上手にゆっくり立ち上がって(笑)うまくいきました。
バリトンの中川宗晴さんは、もうリハのときから安定の歌声。
惚れ惚れしましたよ。
(後の打ち上げ会で御本人に、そのことを話したのですが、彼は高校の先生だとのことでした!)
合唱は、(自分で言うのもアレですが)一週間前とは別団体かと思うほどの充実ぶりで、反響板を背にして歌っていると女声もビンビン響いてきました。
バリトン以外のソリストさん達もリハーサルを上回る素晴らしさ。
私自身も、本番が一番気持ちよく調子よく、そして(それなりに)ちゃんと歌えました。
第九の終楽章は、曲調がめまぐるしく変わり(前にも書いた記憶がありますが)ベートーヴェンはきっと書き直してさらに完成度を高めたかったに違いない、と思っていましたが、これはこれで、言いたいことが次々と直接的に表現されている音楽であると実感しました。
特に中間部のアンダンテ・マエストーソ~アダージョ・マ・ノン・トロッポ、そして二重フーガをはさんで四重唱が入る前までの部分については、大谷さんの一単語、1フレーズにまで渡る丁寧な表情付けがあり、ディスクで聴いている時とはまるで別次元の説得力を感じたものです。
指揮者の要求する響きや表情を実現するのは困難を極め、本番でも、どこまで実現していたのか、歌っていた側としては分かりませんが、あとで大谷さんは「今までの(三回の)松阪第九で、今回の合唱が一番よかった」と仰っていたので、まあ合格点だったのではないかと思っています。
第九は不思議な曲です。
前にも書きましたが、私はいわゆる「年末は第九」という風習には賛同しない気持ちがあります。
しかし、今回41年ぶりに第九の合唱に参加して、その気持ちがちょっと変わったようです。
たしかに、安易に演奏すべきではない特別な音楽だと思うし、合唱のメンバーが「第3楽章までは退屈で・・・」なんて言ってるのを聞くとムカッときたりします。
各パートともに音域が高く、これを「ちゃんと」歌いこなすことはかなりの技量が必要でもあります。
私の場合、テノールとのユニゾン部分などファルセットで対応せざるをえません。
しかし、しかし・・・やはり、こうやって実演で聴くと、なんとも言い難い感動というか高揚感に見舞われる楽曲なんですね。
ここにはベートーヴェンの、生々しい叫びや祈り、希望など、言葉にするとありきたりであるけども本当に切実なものが、やや荒削りな感触ながらもストレートに出ていると思います。
そしてスタイル的に見ても、圧倒的な音響と人を惹きつけるノリ(リズム)の良さも持ち合わせていて、そんなことからも万人の心に響く特別なものがあるのではないでしょうか。
最後の音が弾けて拍手が起こり、コンサートマスター氏が座るのを見て、座った時には恥ずかしながら一瞬感極まりました。
隣はアルト・パートで高校生でした。
思わず、
「良かったですね。」
と、声をかけてしまいました。
聞くと、第九は今回が初めてとのことでした。
私が、
「自分も高校のときに3回歌ったけど、もう40年以上前のことですよ。」
と言うと、
「40年先のことなんて、想像もできないです。」
と言われました。
そうですよね。自分だってそうでした。
彼女の第九初舞台も、この先ずっと記憶に残っていくだろうな、それは素晴らしいことだな、なんて思いました。
打ち上げ会では、楽しいお話がいろいろ聞けましたが、三重バッハ合唱団でいつも素晴らしい歌唱を聴かせてくれているソプラノの佐波真奈巳さんとも直接お話ができたりして、とてもうれしかったです。
抗がん剤休薬中に、ひとつでも「やりたいこと」をやっておこうということで参加した第九合唱でしたが、10月半ば頃から体調降下してきて、本番が近づくにつれて、どんどん悪くなっていました。
一週間前からは、今まで経験したことのない酷い肩こり・首こりに見舞われていて、前々日の練習は休まざるをえませんでした。
念願だった大谷=伊勢管との共演が実現して本当によかった。
実は、一週間前のオケ合わせとか前日リハとか、私はもう、ほとんど中高生のようにワクワクしていました。
無事に出演できてほっとしています。
これで年末に予定している入院も心置きなく行ってくることができます。
中日新聞より
2014年「松阪の第九」
2012年「松阪の第九」
松阪第九で合唱を歌われていたんですね。
私も歌わせていただいていましたがお気づきでしたか?
前回も前々回も伊勢第九の都合でお手伝いすることはできませんでしたが今回は3年ぶりに歌わせていただきました。
松阪の第九も今回の大谷さんの指揮により合唱団が表現するように少しずつ変わってきたように感じました。
大谷さんは第九も単に歌わせることではなくベートーベンのこの曲に対する意思、思想を要求し表現しようと努力していたんですね。
松阪の第九はこれからも続いて行くのでどの指揮者、オーケストラであっても大谷さんから受けた曲に対する心をさらに深めて行かれるように私は期待しています。
打ち上げも出させていただいたことを付け加え、親父りゅうさんがお身体を大切にされて音楽に対するいろいろなお話をお聞かせいただけるよう心よりおいのりしています。
伊勢の トムボーヤ より
「伊勢から歌いに来ている」という声をあちこちで時折耳にしていましたので、その方たちの中にトムボーヤさんがいるのだろうな、とは思っていましたが、お声をかけるタイミングもつかめないままに本番を迎えてしまいました。
打ち上げにもおみえになったのですね。代表で挨拶されていた方でしょうか?
話しかけていればよかったですね。
私は、主に三男の元担任の先生とかと喋っておりました。
「本来の」病気治療に加えて違う治療の必要も出てきて、練習のころからその予感もあり、「伊勢の第九」の方は出るのを断念しました。
まだ非公式ながら、もしかしたら次々回の「松阪第九」は、また伊勢管が請け負ってくれるかもしれないとのことで、そのときは条件が許せばまた挑戦したいと思っています。そのときは、ぜひトムボーヤさんもご一緒に!
一度それとわかってお話をさせていただけたら幸いです。
再来年は伊勢管でのコンサートになりますね。
大谷さんの音楽で第九もいろいろ勉強させていただきました。
伊勢での新人指導の時に本当に役に立たせていただきました。
次の機会にお会いしましょう。