大晦日ですね。
今年は暮れに3泊4日の検査入院があったりして、いつも以上に「季節感希薄」(?)な年の暮れを過ごしています。
入院中にかなり楽になった首・肩の痛みは、帰宅後なんやかんやと動いているうちに、また痛みが戻ってきました(涙)。
仕方ないですね。
昨日は、そんな重い首を掌で持ち上げながら、奥の院(鑑賞部屋)のブルーレイ・プレーヤーにネット・ケーブルを引っ張ってきて繋ぎました。
youtubeをいつでも大きな画面で観られるようにしたかったのが主な理由ですが、べルリン・フィル・デジタル・コンサート・ホールも簡単に観られるようでしたので、早速ログインしてみました。
「視聴開始後7日間無料」ということで、アーカイヴをいろいろ覗いてみました。
そんな中から、小澤征爾が2016年4月に7年ぶりに指揮をしたライヴを「ちゃんと」観ました。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ベートーヴェン作曲
序曲「エグモント」
合唱幻想曲(※)
※ピアノ:ピーター・ゼルキン
※合唱:ベルリン放送合唱団
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:小澤征爾
収録:2016年4月、ベルリン・フィルハーモニー・ホール
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
この2曲に先立って、指揮者なしでモーツァルトの「グラン・パルティータ」が演奏されていますが、それは後に回して後半の2曲と小澤氏のインタビュー(聞き手:樫本大進)を観ました。
「エグモント」では、冒頭の和音が鳴った瞬間から、何か尋常でない空気が広がり、「これは、すごい演奏になる!」と感じさせました。
その予感は的中。
重心の低い、鳴り始めから消え際まで(俗っぽい言い方ですが)「魂がこもっている」音に貫かれた演奏。
オーケストラ・メンバーの表情にも何か特別なものを感じる。
今、現在のベルリン・フィルの見通しの良い響きとフルトヴェングラーやフリッチャイのディスクから聴こえてくるベルリン・フィルの響きとが融合しているような圧巻のコーダ。
合唱幻想曲でのピーター・ゼルキンのピアノは、まるで、あちこちぶつかりながら先に進む苦悩の音楽のようでした。
ゼルキンは、かつて小澤さん60歳記念コンサートでも合唱幻想曲で共演していました。
私は、あの時の切れ味鋭いタッチでビートを効かせてぐんぐん進む演奏を同曲のほぼベストだと思っているのですが、今回の演奏は、こっちが戸惑うほどに違いました。
ゼルキンは不調なのか?
最初はそう思ってしまうほどの、ごつごつして意図的に立ち止まるようなピアノ。
それはまるで、病気と闘い、そして再び指揮台に戻ってきた小澤氏の今までを振り返るかのような共感に満ちた足取りの音楽でした。
オケが入ってきても、音楽は遅く重く祈るように進む。
ここでもオケ面々の表情はハンパない集中を感じさせる。
終始厳しい表情の小澤氏が、声楽の入りの時だけ、ふっと柔和な笑顔を見せたのが印象的でした。
第九やミサ・ソレムニスと同等の重みと奥深さを感じさせるほどの聴き応えでした。
樫本大進によるインタビューでも、ベルリン・フィル団員の小澤氏へのリスペクトぶりと全身全霊で演奏した旨が語られていました。
ああ、それにしても合唱幻想曲の終結部、合唱が終わってオケとピアノだけの部分の聴き手をさらなる高みへと引き上げてくれるカッコよさ崇高さはたまらない!
このサイトのアーカイヴを覗くと観たい聴きたいものがいっぱい。
この1週間はベルリン・フィル・ウィークになること必至です。
それでは皆様、よいお年を。
今年は暮れに3泊4日の検査入院があったりして、いつも以上に「季節感希薄」(?)な年の暮れを過ごしています。
入院中にかなり楽になった首・肩の痛みは、帰宅後なんやかんやと動いているうちに、また痛みが戻ってきました(涙)。
仕方ないですね。
昨日は、そんな重い首を掌で持ち上げながら、奥の院(鑑賞部屋)のブルーレイ・プレーヤーにネット・ケーブルを引っ張ってきて繋ぎました。
youtubeをいつでも大きな画面で観られるようにしたかったのが主な理由ですが、べルリン・フィル・デジタル・コンサート・ホールも簡単に観られるようでしたので、早速ログインしてみました。
「視聴開始後7日間無料」ということで、アーカイヴをいろいろ覗いてみました。
そんな中から、小澤征爾が2016年4月に7年ぶりに指揮をしたライヴを「ちゃんと」観ました。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ベートーヴェン作曲
序曲「エグモント」
合唱幻想曲(※)
※ピアノ:ピーター・ゼルキン
※合唱:ベルリン放送合唱団
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:小澤征爾
収録:2016年4月、ベルリン・フィルハーモニー・ホール
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
この2曲に先立って、指揮者なしでモーツァルトの「グラン・パルティータ」が演奏されていますが、それは後に回して後半の2曲と小澤氏のインタビュー(聞き手:樫本大進)を観ました。
「エグモント」では、冒頭の和音が鳴った瞬間から、何か尋常でない空気が広がり、「これは、すごい演奏になる!」と感じさせました。
その予感は的中。
重心の低い、鳴り始めから消え際まで(俗っぽい言い方ですが)「魂がこもっている」音に貫かれた演奏。
オーケストラ・メンバーの表情にも何か特別なものを感じる。
今、現在のベルリン・フィルの見通しの良い響きとフルトヴェングラーやフリッチャイのディスクから聴こえてくるベルリン・フィルの響きとが融合しているような圧巻のコーダ。
合唱幻想曲でのピーター・ゼルキンのピアノは、まるで、あちこちぶつかりながら先に進む苦悩の音楽のようでした。
ゼルキンは、かつて小澤さん60歳記念コンサートでも合唱幻想曲で共演していました。
私は、あの時の切れ味鋭いタッチでビートを効かせてぐんぐん進む演奏を同曲のほぼベストだと思っているのですが、今回の演奏は、こっちが戸惑うほどに違いました。
ゼルキンは不調なのか?
最初はそう思ってしまうほどの、ごつごつして意図的に立ち止まるようなピアノ。
それはまるで、病気と闘い、そして再び指揮台に戻ってきた小澤氏の今までを振り返るかのような共感に満ちた足取りの音楽でした。
オケが入ってきても、音楽は遅く重く祈るように進む。
ここでもオケ面々の表情はハンパない集中を感じさせる。
終始厳しい表情の小澤氏が、声楽の入りの時だけ、ふっと柔和な笑顔を見せたのが印象的でした。
第九やミサ・ソレムニスと同等の重みと奥深さを感じさせるほどの聴き応えでした。
樫本大進によるインタビューでも、ベルリン・フィル団員の小澤氏へのリスペクトぶりと全身全霊で演奏した旨が語られていました。
ああ、それにしても合唱幻想曲の終結部、合唱が終わってオケとピアノだけの部分の聴き手をさらなる高みへと引き上げてくれるカッコよさ崇高さはたまらない!
このサイトのアーカイヴを覗くと観たい聴きたいものがいっぱい。
この1週間はベルリン・フィル・ウィークになること必至です。
それでは皆様、よいお年を。
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