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待望のコンサート。
マーラーの8番を聴いた。
「歌詞の意味がどうのこうのより、ソナタ形式の楽曲として」何の予備知識がなくても十分に楽しめる第1部。
「谷底から天上へ、ただ高みへと向かう」「永遠に女性的なるもの(いかなる被造物も、道端の石ころでさえもが、絶対の確信を持って自らの中心と感じているもの・・・愛)こそが神秘の力を持って、私たちを導き上らせる」第2部。
ここんところの自己スタディで、どんどん曲に惹かれていたけど、今回の演奏会は本当によかった。
指揮者の大谷さんのマーラーへの傾倒は尋常でない。
今までの演奏曲を見ても、この三重の地方オーケストラ(「歴史」のページ参照)にしては、異例とも言えるマーラーの演奏回数である。
この日も、この大曲を暗譜で明快に指揮。470余名の奏者達をぐいぐいと引っ張った。
演奏に先立って、ミニ解説があった。
曲に馴染みの薄い地方の聴衆に「こんな曲ですよ」って教えてあげるようなものではなく、生で「一千人」の世界に浸るという、この得がたい時間を少しでも豊かにしたいという願いが、マーラーの愛の超越性、永遠性の祈りを共感し合いたいという強い思いがこめられたレクチャーだった。平凡な楽曲解説は無く、その大部分は第2部のテキストとなっている「ファウスト」(ゲーテ)の粗筋に充てられた。
そして聴衆は、今から聴く「一千人」の第2部が、実はその長大な「ファウスト」の物語の最終場面であること。そこでは主人公ファウストはすでに死んでおり、彼の亡骸が愛の力によって地獄に落ちるところを天に引き上げられる場面であることを知った上で演奏を聴くことになる。
途中で登場する「法悦の教父」「瞑想の教父」「マリア崇拝の博士」三人の懺悔する女性や「栄光の聖母」などについてのシンプルながら的確な解説と関連部分の演奏によって、「谷底から天上へ」「高みを目指し」、ついには「『言い表し難きものが、ここに成し遂げられる』(神秘の合唱)」第2部の素晴らしさが伝えられた。
そして、本番。
予想以上の聴き応え。
アマ・オケだからいろいろと不備はあるけども、ディスクでは到底味わえない圧倒的な曲の存在感。
満足!
合唱メンバーには知人多く、懐かしい顔もちらほら。
3階バルコニーから降りそそいだ「栄光の聖母」はmeguさんだった。ホントに聖母の声が降って来たみたいだった。
「生まれてすぐ昇天した天使たち」の合唱を聴いていると、かつて、そっちに行きかけて連れ戻した三男のことなども思われる。
編成は大規模だが「水増し」「空虚」な感じは全くなく、ディスクで聴く時よりかなりデリケートな面も感じられた。
マーラーは決して必要以上に肥大した楽曲を作ったのではないと感じた。
この曲についても、私の中では「発展途上」。まだまだ新しい発見の連続である。
この日までに既所持の18種の演奏を全て聴き返す予定だったが、それは叶わなかった。
食傷気味まではほど遠く、まだ聴き続けたいと思っている。
注・・・種々の引用は、伊勢管弦楽団HPや当日のプログラムから拝借しております。
(リンクをしたらトラックバックに…拙い感想ですが、よろしくお願いします。)
三重県の方とお見受けしますが、おそらくめったに聴けない名演奏だったと思います。本当に素晴らしい演奏会でしたね。
坂田先生が天上から…という話を聞いて2階ボックス席から聴いたのですが、ものの見事に反対側でした・・・残念です。
コメント、ありがとうございます。
そうです、三重県在住です。
指揮者さんやmeguさんとは、少なからず顔見知りです。
伊勢管は設立当時からのファンです。
いつも、アマチュアながら「何か一味違う」ものを残してくれるオケですね。
指揮者さんの深い譜読みとお人柄、それに惹かれるメンバーさん達の熱意があのような演奏を実現しているのでしょうね。
またお越し下さい。
追記・・・私は2階席二列目のやや左寄りでしたのでmeguさんの姿は見えず、「天上の声」のみが降り注いできました。
この曲は、あのように実際にその場に居合わせることで、よりマーラーの意図を感じることができるのですね。