21年前の昨日はバーンスタインのマーラーを聴いた日。そのことを思い出して書いてみよう。といってもほとんど当時の日記を写すだけ・・・。
マーラー:交響曲第9番
指揮:レナード・バーンスタイン
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
sept.3.1985 大阪フェスティバルホール
大学を卒業した1980年の春に二晩続けてチェリビダッケ指揮LSOを聴いて以来、5年ぶりの大阪だった。当時は休みを取り難い地方の職場だったが強引に半日休暇を取り、久しぶりの大阪にかけつけた。
以下は、お恥ずかしいのだが、その時の日記から(当日は書く暇がなかったらしく翌日の日付である)・・・・・
9.4(水) 晴れ一時雨
きのう、半日休暇をもらってバーンスタインcond.イスラエル・フィルを聴きに行った。
このことを詳しく書いておかなければいけない。
マーラーのsym.No.9。
フェス。
バーンスタインは7時15分頃ステージに現れた。少し聴衆をじらした後、ゆっくりとした、やや重い足取りで指揮台に向かった。11年前の、あの名古屋で、楽員の肩をポンとたたいてはずむように出てきた時とは全く違う登場だった。
演奏は本当に見事だった。
マーラーの9番がこんなに美しいなんて!出だしの弦の小さい動きに、もう涙がにじむ。
いくつかおとずれるクライマックスは言いようのない緊張を感じた。
曲の進行が体験したことのないような必然性を持って描かれる。
2mvt.のレントラーの生々しさも今までに聴いたどのレコードやtapeも顔色なからしめるインパクトだった。
3mvt.の壮絶さは、めったに味わえるものではなかった。ワルターのレコードなど、これに比べたらまったく老けている。バーンスタインの天才的と言える棒!
そして、あのフィナーレが来た。私は十二分に堪能した。
弦合奏の素晴しさ!アタックの気迫。シンバルの決まり。
終結部の密度は、身動きから生じるどんなわずかの物音さえも許さない。
バーンスタインの動きは、1974年の時よりもむしろ若々しいとさえ思えた。
彼の没入の激しさがポーズなのか真実なのか分からないが、不自然さはかけらも無い。響いてた音が真実である。
終了後、いくらか青ざめてさえ見えたバーンスタインは、なかなか笑顔を見せず、祈るように出入りをくり返した。
会場には吉田秀和氏もいた。
この巨匠の生の姿に再び接することができたのは幸福であり、(注・・・あまりにお恥ずかしいのでこの部分はカットします。)だった。
余談・・・ワルツ堂でエニグマval.(バーンスタイン)のCDを、ヤマハで、そのスコアと「スコットランド」のスコアを買う。
ホンマに恥ずかしい文章だが、記憶をたどって書くより事実や当日の私の心情には忠実だと思う。
私は、実は悪いことをして、本来の席から二階下手側端のボックスに移動。あの芳醇な音響効果満点の特等席にてこの演奏を聴いた。なぜか、あの席はいつも空いてることが多くて・・・・ごめんなさい。もう時効でしょ。以後、このような不正行為はしてません。
マーラーの後期交響曲の中で9番と「大地の歌」は例外的に早く出会っていた曲。このコンサートは、本当に、どうにかなってしまうくらいのインパクトだった。
大学を卒業した1980年の春に二晩続けてチェリビダッケ指揮LSOを聴いて以来、5年ぶりの大阪だった。当時は休みを取り難い地方の職場だったが強引に半日休暇を取り、久しぶりの大阪にかけつけた。
以下は、お恥ずかしいのだが、その時の日記から(当日は書く暇がなかったらしく翌日の日付である)・・・・・
9.4(水) 晴れ一時雨
きのう、半日休暇をもらってバーンスタインcond.イスラエル・フィルを聴きに行った。
このことを詳しく書いておかなければいけない。
マーラーのsym.No.9。
フェス。
バーンスタインは7時15分頃ステージに現れた。少し聴衆をじらした後、ゆっくりとした、やや重い足取りで指揮台に向かった。11年前の、あの名古屋で、楽員の肩をポンとたたいてはずむように出てきた時とは全く違う登場だった。
演奏は本当に見事だった。
マーラーの9番がこんなに美しいなんて!出だしの弦の小さい動きに、もう涙がにじむ。
いくつかおとずれるクライマックスは言いようのない緊張を感じた。
曲の進行が体験したことのないような必然性を持って描かれる。
2mvt.のレントラーの生々しさも今までに聴いたどのレコードやtapeも顔色なからしめるインパクトだった。
3mvt.の壮絶さは、めったに味わえるものではなかった。ワルターのレコードなど、これに比べたらまったく老けている。バーンスタインの天才的と言える棒!
そして、あのフィナーレが来た。私は十二分に堪能した。
弦合奏の素晴しさ!アタックの気迫。シンバルの決まり。
終結部の密度は、身動きから生じるどんなわずかの物音さえも許さない。
バーンスタインの動きは、1974年の時よりもむしろ若々しいとさえ思えた。
彼の没入の激しさがポーズなのか真実なのか分からないが、不自然さはかけらも無い。響いてた音が真実である。
終了後、いくらか青ざめてさえ見えたバーンスタインは、なかなか笑顔を見せず、祈るように出入りをくり返した。
会場には吉田秀和氏もいた。
この巨匠の生の姿に再び接することができたのは幸福であり、(注・・・あまりにお恥ずかしいのでこの部分はカットします。)だった。
余談・・・ワルツ堂でエニグマval.(バーンスタイン)のCDを、ヤマハで、そのスコアと「スコットランド」のスコアを買う。
ホンマに恥ずかしい文章だが、記憶をたどって書くより事実や当日の私の心情には忠実だと思う。
私は、実は悪いことをして、本来の席から二階下手側端のボックスに移動。あの芳醇な音響効果満点の特等席にてこの演奏を聴いた。なぜか、あの席はいつも空いてることが多くて・・・・ごめんなさい。もう時効でしょ。以後、このような不正行為はしてません。
マーラーの後期交響曲の中で9番と「大地の歌」は例外的に早く出会っていた曲。このコンサートは、本当に、どうにかなってしまうくらいのインパクトだった。
バーンスタインとイスラエル・フィルの来日公演は、NHKホールのほうに行きました。確か、9/8だったかと思います。なにもかもが強烈で、忘れがたいコンサートでした。
凄かったよね、あのコンサート。
レニー、疲れきってサイン会が無かったんですよ、マーラーの夜は。
ちょっとこちらを紹介♪
http://battenhongkong.hp.infoseek.co.jp/concert/1985090304.html
はじめまして。ようこそお越しくださいました。
東京の方もとてもよかったと、いくつかの評を読んだ記憶があります。
もう、あんなすごい体験は出来ないのかナァ~って思いますね。
>ばってんさん
ばってんさんとはいくつか同じコンサート会場に居たんですよね。
やっぱりバーンスタインは疲れていたんですよね。
すごい感情移入でしたから・・・。
それにしても、「広島平和」も行かれて、9月のIPOも2日間聴かれたんですね!
人生の宝でしょう。