昨日は地元のホールで中部フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴きました。
家から歩いて10分足らずの会場ですが・・・・車で行きました(笑)。
中部フィルを聴くのは初めて、下野さんを実際に聴くのは2008年以来でした。
中部フィルハーモニー交響楽団第52回定期演奏会
(松阪公演第9回)
【プログラム】
ドヴォルザーク
序曲「謝肉祭」
チェロ協奏曲
(チェロ:横坂 源)
交響曲第7番
(アンコール)スラヴ舞曲第15番(op.72-7)
管弦楽:中部フィルハーモニー交響楽団
指揮:下野竜也
クラギ文化ホール(旧称:松阪市民文化会館)
2016.10.08 15:00開演
自由席でしたので2時過ぎから並びました(開場2時15分)。
前から6列目、舞台に向かって中央よりやや左より、第1ヴァイオリン2列目の正面くらいの席に座りました。
開演5分前くらいに指揮者の下野氏によるプレトークがありました。
登場後、「みなさん、こんばんは。」と語りかけて、すぐに気付かれて、
「やり直します。」
と、ちょっと戻って再入場。
「みなさん、こんにちは!」と呼びかけられました。
「すみません、夜行性なもので・・・。」
とか仰られて会場を和ませておられました。
トークには氏の「ドヴォルザーク愛」がそこここに滲み出ていました。
いくつかクイズ形式というか聴衆への問いかけを挟みながら、たとえば・・・・
S「みなさん、実際に会ってみたい作曲家っていますか?」
聴衆「・・・・・。」
S「私はロッシーニと、今日演奏するドヴォルザークです。」
S「このオーケストラのプリンシパル・コンダクターである秋山和慶先生とドヴォルザークの共通点と言えば?」
聴衆「・・・・・。」
S「2人とも、ものすごい鉄道マニアなんです。」
・・・というふうに。
会ってみたい理由(らしきもの)は、ロッシーニはとても料理が上手だったこと、ドヴォルザークは、どの伝記を読んでも悪いことが出てこない、本当に人柄がすばらしかった、とのことです。
地方のコンサートでは指揮者や関係者がプレトークや曲間でトークをすることがよくあります。プログラムについての解説が中心になることが多いのですが、下野氏はそういうことには特に触れず、しかし、ドヴォルザークという作曲家への関心と「聴きたい」意欲を掻き立てるものでした。
これで始まるのかと思ったら、市長さんの挨拶がありました。中部フィルの松阪公演が続けられているのには松阪市の努力もあるわけで、(財政的に苦しい中であっても)「文化と教育」には長期的な投資を惜しまない、というスタンスには共感します。挨拶も短くて、まあよかったです。私、現市長になってから実際の声を聞かせてもらったの初めてでした。
さて、コンサートが始まりました。
年に数回(それも地元アーティスのコンサートを含む)の演奏会しか聴いていない私ですが、それでも、全部の曲のほとんどすべての音符を味わい尽くせるようなコンサートとなるのは稀です。でも昨日は、そんな稀なコンサートでした。
序曲「謝肉祭」作品92
伊勢管の定期でも圧倒されたのが記憶に新しいところですが、今回も冒頭全力疾走で、一気に引き込まれ、それこそカーニバルの真っ只中に放り込まれたようでした。この華やかな冒頭部の音に埋もれていて、何故かもう涙が出そうになってきました。
座席が前の方で第1Vnの正面だったので、最初はヴァイオリンの音(音符と音質)の微妙なバラつきみたいなのが感じられましたが、曲が進むにつれていつの間にやら解消していました。
弾けるような快活な部分と抒情的な部分が短い周期で交錯し、後半はパーカッション群のキレのある音が花を添えて、あっという間に幕。
「ブラボー」の声も飛んでいました。
とても興奮させられました。
チェロ協奏曲作品104
ソリストの横坂源さんは、今回、初めて聴きます。ホームページでの風貌とは、髪型などちょっと違っていて、ステージ上の所作もゆったりとされておりました。
演奏中も、ひたすら楽曲に没入されており、たぶん全体の4分の3くらいは目を閉じて弾かれておりました。
派手な感じはなく絶えず楽曲と対話しているような印象を受けました。
この曲を生で聴くのはまだ3回目だけど、今回が最も味わえたと思いました。
第1楽章後に、拍手が起こりましたが、これは自然な感じでした。アメリカでの古いライヴ録音などでもよく聞かれますね。
途中、ヴァイオリン・ソロとの掛け合いなどでは当然、アイコンタクトをとられていました。
それにしても、ドヴォ・コンはムチャクチャいい曲ですね。
交響曲第7番作品70
三重県で、松阪で、ドヴォ7をやってくれるなんて!
もちろん生は初聴き。
ドヴォルザークの交響曲では「新世界より」そして第8番が有名であり、地方公演のプログラムにはよく上がりますが、7番以前のナンバーはめったに取り上げられないのではないでしょうか。どこかのアマ・オケがやっていたかも知れませんが関知しておりません。
私の鑑賞歴でも、まずは9番、そして8番と聴いてきました。レコード期に7番はセル=クリーヴランド盤だけ持っていましたが、その魅力に開眼することなく何年か過ぎ、CD期になって、ケルテス、スウィトナー、ノイマン、バーンスタインなど聴き進むうちにじわじわと好きになっていきました。
今は(9番も8番も聴き過ぎたこともあり)7番、6番あたりが一番好きです。5番以前も、たまに取り出して聴きますが、やはり味わいがありますね。
7番と言えば、いろいろとお世話になっているあらいぐま堂店主のsyuzoさんが、かなり重度の「ドヴォ7病」に罹ったことがあり、私にも(軽い目でしたが)感染しました。
あのとき、手持ちの7番をけっこう聴き返したり持ってなかったマッケラス盤(PO盤)を入手したりもしました。
私の場合は途中からドヴォ6の方に「病気」の中心が移行しましたが、syuzoさんの方は、まだ「くすぶって」(?)いるようにも見受けられます。
下野さんも以前NHK交響楽団で6番を指揮した際に「ドヴォ6愛」みたいなものを熱く語っておられましたが、一見(一聴)地味そうな6番、7番には、そのように、人を捉えてしまうと容易には離れられなくさせてしまう不思議な魅力があるのでしょう。
今回の下野竜也氏のドヴォ7、この曲の劇的な面がかなり強調された熱演でした。
キレのいい指揮ぶりを観ていると、いかにもカチッとした感じに思えるのですが、しかし、耳をそばだてていると揺らぎや歌心も十分に醸し出されていました。
第1楽章の冒頭テーマが最初に強奏で再現されるところなど、頭から足先まて電気が走ったかのようなインパクトでした。
すばらしい静寂のあと始まった第2楽章も多様な局面の移り変わりが聴いていて本当に楽しく心に響きました。
「楽想が豊かすぎて、初期にはそれがコントロールできなかった」と言われるドヴォルザークですが、この第2楽章も初演のときは今よりも40小節長かったらしいですね。
現在の形では、あれこれ聴いているうちに「もう終わり?」というほどの中身詰り具合であり、「新世界より」の第2楽章の方がよほど冗長じゃないか、とか思ってしまいました。
第3楽章スケルツォは胸かきむしる名曲。アーノンクールが7番について語った話があります。
「これらの音楽は、心をゆさぶる何かを持っているのです。それはスラヴ的な感受性であり、別れを象徴するような、涙を誘うような要素に満ちています。これが全編わたって支配的なわけですけれども、そうしたことは中央ヨーロッパの音楽にはまったく見られません。スケルツォの始めのところなど、もうため息が出てしまいます。(後略)」(CD WPCS-21201掲載のインタビューより、訳:城所孝吉)
まさに瞬時に涙腺崩壊を余儀なくさせられる音楽。
第4楽章は、さらに激しさと平穏さの間の振幅が大きくなり耳がずっと離せません。
色調はほの暗く、しかし何かに立ち向かうような力強さが一貫して感じられる音楽であり演奏でした。
アンコールはスラヴ舞曲作品72の7番(通称「15番」)
1975年、クーベリックの名古屋公演の時と同じアンコール。
その時の場面や感情が再現されたような気持になり、しはらくうつむいて不思議な幸福感に浸っていました。
下野さんは中部フィルとは初共演とのこと。
実際に指揮を見るのは8年ぶりだったわけですが、かなり大きなアクションでオーケストラを引っ張っておられるようでした。
何度もかなり大きな靴音が聞こえてきました。
両足が空中に浮くような瞬間も数度あったような。
第1楽章真ん中あたりで、もう汗が光っていました。
中部フィルを聴くのは初めてでしたが好印象を持ちました。
プログラムによると正規団員は40人くらいでしょうか。30人近い客演を交えて総勢70人近くの演奏でした。
あっと驚くような美音とか煌びやかさはそれほどではなかった(失礼!)ですが、どこにも「穴」がなく聴いていて安定感、安心感がありました。打楽器陣は大切な局面ですべて見事に決めていたかと思います。
全体に指揮者の要求によく応えての熱演でした。
すばらしいコンサートでした。
繰り返しになりますが、本当に「7番」をよく採りあげてくださいました。
地方公演に都市部と同プログラムを持ってくるのは観客動員での困難さを伴います。この日もお客さんの入りが寂しく、その点は残念でした。
(私には、余計な雑音とかが無くて良かったですけどね)
この日は伊勢も津市も祭り開催、鈴鹿ではFI、ということで、聴きに来た人は少なくとも、そっちよりもこっちを選んだ方ということでしょうか。
市長の「来年は10年目ということもあり、気合いを入れて・・・」という言葉には観客動員に対する思いもあったのでしょう。
なんでもかんでも人を集めればいいというものでもありませんが、お金を使っている以上、そっちの面でもご苦労があるのはやむをえません。
次回も必ず聴きたいと思いました。
団員さんたち、ほとんど全員がロビーでのお見送りに出て来られて、なんともいい雰囲気でした。
家から歩いて10分足らずの会場ですが・・・・車で行きました(笑)。
中部フィルを聴くのは初めて、下野さんを実際に聴くのは2008年以来でした。
中部フィルハーモニー交響楽団第52回定期演奏会
(松阪公演第9回)
【プログラム】
ドヴォルザーク
序曲「謝肉祭」
チェロ協奏曲
(チェロ:横坂 源)
交響曲第7番
(アンコール)スラヴ舞曲第15番(op.72-7)
管弦楽:中部フィルハーモニー交響楽団
指揮:下野竜也
クラギ文化ホール(旧称:松阪市民文化会館)
2016.10.08 15:00開演
自由席でしたので2時過ぎから並びました(開場2時15分)。
前から6列目、舞台に向かって中央よりやや左より、第1ヴァイオリン2列目の正面くらいの席に座りました。
開演5分前くらいに指揮者の下野氏によるプレトークがありました。
登場後、「みなさん、こんばんは。」と語りかけて、すぐに気付かれて、
「やり直します。」
と、ちょっと戻って再入場。
「みなさん、こんにちは!」と呼びかけられました。
「すみません、夜行性なもので・・・。」
とか仰られて会場を和ませておられました。
トークには氏の「ドヴォルザーク愛」がそこここに滲み出ていました。
いくつかクイズ形式というか聴衆への問いかけを挟みながら、たとえば・・・・
S「みなさん、実際に会ってみたい作曲家っていますか?」
聴衆「・・・・・。」
S「私はロッシーニと、今日演奏するドヴォルザークです。」
S「このオーケストラのプリンシパル・コンダクターである秋山和慶先生とドヴォルザークの共通点と言えば?」
聴衆「・・・・・。」
S「2人とも、ものすごい鉄道マニアなんです。」
・・・というふうに。
会ってみたい理由(らしきもの)は、ロッシーニはとても料理が上手だったこと、ドヴォルザークは、どの伝記を読んでも悪いことが出てこない、本当に人柄がすばらしかった、とのことです。
地方のコンサートでは指揮者や関係者がプレトークや曲間でトークをすることがよくあります。プログラムについての解説が中心になることが多いのですが、下野氏はそういうことには特に触れず、しかし、ドヴォルザークという作曲家への関心と「聴きたい」意欲を掻き立てるものでした。
これで始まるのかと思ったら、市長さんの挨拶がありました。中部フィルの松阪公演が続けられているのには松阪市の努力もあるわけで、(財政的に苦しい中であっても)「文化と教育」には長期的な投資を惜しまない、というスタンスには共感します。挨拶も短くて、まあよかったです。私、現市長になってから実際の声を聞かせてもらったの初めてでした。
さて、コンサートが始まりました。
年に数回(それも地元アーティスのコンサートを含む)の演奏会しか聴いていない私ですが、それでも、全部の曲のほとんどすべての音符を味わい尽くせるようなコンサートとなるのは稀です。でも昨日は、そんな稀なコンサートでした。
序曲「謝肉祭」作品92
伊勢管の定期でも圧倒されたのが記憶に新しいところですが、今回も冒頭全力疾走で、一気に引き込まれ、それこそカーニバルの真っ只中に放り込まれたようでした。この華やかな冒頭部の音に埋もれていて、何故かもう涙が出そうになってきました。
座席が前の方で第1Vnの正面だったので、最初はヴァイオリンの音(音符と音質)の微妙なバラつきみたいなのが感じられましたが、曲が進むにつれていつの間にやら解消していました。
弾けるような快活な部分と抒情的な部分が短い周期で交錯し、後半はパーカッション群のキレのある音が花を添えて、あっという間に幕。
「ブラボー」の声も飛んでいました。
とても興奮させられました。
チェロ協奏曲作品104
ソリストの横坂源さんは、今回、初めて聴きます。ホームページでの風貌とは、髪型などちょっと違っていて、ステージ上の所作もゆったりとされておりました。
演奏中も、ひたすら楽曲に没入されており、たぶん全体の4分の3くらいは目を閉じて弾かれておりました。
派手な感じはなく絶えず楽曲と対話しているような印象を受けました。
この曲を生で聴くのはまだ3回目だけど、今回が最も味わえたと思いました。
第1楽章後に、拍手が起こりましたが、これは自然な感じでした。アメリカでの古いライヴ録音などでもよく聞かれますね。
途中、ヴァイオリン・ソロとの掛け合いなどでは当然、アイコンタクトをとられていました。
それにしても、ドヴォ・コンはムチャクチャいい曲ですね。
交響曲第7番作品70
三重県で、松阪で、ドヴォ7をやってくれるなんて!
もちろん生は初聴き。
ドヴォルザークの交響曲では「新世界より」そして第8番が有名であり、地方公演のプログラムにはよく上がりますが、7番以前のナンバーはめったに取り上げられないのではないでしょうか。どこかのアマ・オケがやっていたかも知れませんが関知しておりません。
私の鑑賞歴でも、まずは9番、そして8番と聴いてきました。レコード期に7番はセル=クリーヴランド盤だけ持っていましたが、その魅力に開眼することなく何年か過ぎ、CD期になって、ケルテス、スウィトナー、ノイマン、バーンスタインなど聴き進むうちにじわじわと好きになっていきました。
今は(9番も8番も聴き過ぎたこともあり)7番、6番あたりが一番好きです。5番以前も、たまに取り出して聴きますが、やはり味わいがありますね。
7番と言えば、いろいろとお世話になっているあらいぐま堂店主のsyuzoさんが、かなり重度の「ドヴォ7病」に罹ったことがあり、私にも(軽い目でしたが)感染しました。
あのとき、手持ちの7番をけっこう聴き返したり持ってなかったマッケラス盤(PO盤)を入手したりもしました。
私の場合は途中からドヴォ6の方に「病気」の中心が移行しましたが、syuzoさんの方は、まだ「くすぶって」(?)いるようにも見受けられます。
下野さんも以前NHK交響楽団で6番を指揮した際に「ドヴォ6愛」みたいなものを熱く語っておられましたが、一見(一聴)地味そうな6番、7番には、そのように、人を捉えてしまうと容易には離れられなくさせてしまう不思議な魅力があるのでしょう。
今回の下野竜也氏のドヴォ7、この曲の劇的な面がかなり強調された熱演でした。
キレのいい指揮ぶりを観ていると、いかにもカチッとした感じに思えるのですが、しかし、耳をそばだてていると揺らぎや歌心も十分に醸し出されていました。
第1楽章の冒頭テーマが最初に強奏で再現されるところなど、頭から足先まて電気が走ったかのようなインパクトでした。
すばらしい静寂のあと始まった第2楽章も多様な局面の移り変わりが聴いていて本当に楽しく心に響きました。
「楽想が豊かすぎて、初期にはそれがコントロールできなかった」と言われるドヴォルザークですが、この第2楽章も初演のときは今よりも40小節長かったらしいですね。
現在の形では、あれこれ聴いているうちに「もう終わり?」というほどの中身詰り具合であり、「新世界より」の第2楽章の方がよほど冗長じゃないか、とか思ってしまいました。
第3楽章スケルツォは胸かきむしる名曲。アーノンクールが7番について語った話があります。
「これらの音楽は、心をゆさぶる何かを持っているのです。それはスラヴ的な感受性であり、別れを象徴するような、涙を誘うような要素に満ちています。これが全編わたって支配的なわけですけれども、そうしたことは中央ヨーロッパの音楽にはまったく見られません。スケルツォの始めのところなど、もうため息が出てしまいます。(後略)」(CD WPCS-21201掲載のインタビューより、訳:城所孝吉)
まさに瞬時に涙腺崩壊を余儀なくさせられる音楽。
第4楽章は、さらに激しさと平穏さの間の振幅が大きくなり耳がずっと離せません。
色調はほの暗く、しかし何かに立ち向かうような力強さが一貫して感じられる音楽であり演奏でした。
アンコールはスラヴ舞曲作品72の7番(通称「15番」)
1975年、クーベリックの名古屋公演の時と同じアンコール。
その時の場面や感情が再現されたような気持になり、しはらくうつむいて不思議な幸福感に浸っていました。
下野さんは中部フィルとは初共演とのこと。
実際に指揮を見るのは8年ぶりだったわけですが、かなり大きなアクションでオーケストラを引っ張っておられるようでした。
何度もかなり大きな靴音が聞こえてきました。
両足が空中に浮くような瞬間も数度あったような。
第1楽章真ん中あたりで、もう汗が光っていました。
中部フィルを聴くのは初めてでしたが好印象を持ちました。
プログラムによると正規団員は40人くらいでしょうか。30人近い客演を交えて総勢70人近くの演奏でした。
あっと驚くような美音とか煌びやかさはそれほどではなかった(失礼!)ですが、どこにも「穴」がなく聴いていて安定感、安心感がありました。打楽器陣は大切な局面ですべて見事に決めていたかと思います。
全体に指揮者の要求によく応えての熱演でした。
すばらしいコンサートでした。
繰り返しになりますが、本当に「7番」をよく採りあげてくださいました。
地方公演に都市部と同プログラムを持ってくるのは観客動員での困難さを伴います。この日もお客さんの入りが寂しく、その点は残念でした。
(私には、余計な雑音とかが無くて良かったですけどね)
この日は伊勢も津市も祭り開催、鈴鹿ではFI、ということで、聴きに来た人は少なくとも、そっちよりもこっちを選んだ方ということでしょうか。
市長の「来年は10年目ということもあり、気合いを入れて・・・」という言葉には観客動員に対する思いもあったのでしょう。
なんでもかんでも人を集めればいいというものでもありませんが、お金を使っている以上、そっちの面でもご苦労があるのはやむをえません。
次回も必ず聴きたいと思いました。
団員さんたち、ほとんど全員がロビーでのお見送りに出て来られて、なんともいい雰囲気でした。
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