皆様、今年もよろしくお願いいたします。
およそ「宗教」というものについて、いつも懐疑的な言葉を吐いては周りを不快にしている私であるが、何事かを「願い」「祈る」という心は持っており、昨日は二男といっしょに「初詣」に行って来た。
初詣と言っても、自宅から歩いてウン十秒ほどの距離にある小さな社に行っただけ。盟友のんちゃんの初詣には足元にも及ばないが、まあいいか。
その「神社」は、面積2坪足らずの簡素なもの。以前は、もうちょっと広かったのだが、新しい道路ができたことにより面積を大幅に縮められて、申し訳なさそうに歩道沿いに佇んでいる。まあ、神仏のおわします所の広さ大きさにご利益の違いがあるとは思えず、これでええかと・・・。二男「けん」は、お墓や神仏に手を合わすことはきらいではないらしく、ニコニコ顔で合掌していた。
そして、昨日の午後は、子どもたちプチ連れ出し支援の間に、延期になっていた新年初の音盤タイム。
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番『皇帝』
ピアノ:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
管弦楽:スウェーデン放送交響楽団
指揮:セルジウ・チェリビダッケ
録音:1969年5月20日、ヘルシンキ文化会館
この演奏は、1970年にFMで放送されたらしいが、私はもちろん知らなかった。後に、音質劣悪な海外盤からのコピー盤が国内盤として出たのは73年以降だったか?たしか、ジャケット写真に73年のミケランジェリ来日時のものを使っていた。友人に借りてカセットにコピーしたが、あの音ではたいして感動もしなかった。
70年代前半のチェリビダッケのディスクと言えば、私の覚えている範囲では、この音質劣悪「皇帝」の前後に、映画のサントラで「エグモント」序曲があり、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とプロコフィエフの交響曲第1番(いずれもベルリン・フィル)、チャイコの5番が出てたくらい。あとでモーツァルトの25番も出たっけ。それは買わずに、ずっと後でCDで入手した。
FMでは、72年のブルックナー9番が手元にテープがある。これはシュヴェツィンゲン音楽祭のライヴで、えらい残響の長い雰囲気満点の演奏だ。「もしかして、チェリビダッケってすごい指揮者?」という評判が広がりだしたのは、このライヴからではなかったか。演奏後のトークで指揮者の大野洋氏が「腰から下が見事に動かないのでございます」みたいなことを言っていたのがなぜか記憶に残っている。
私のディスカバリー・チェリは、もう何度も書いている74年夏のFMライヴから。
あれはホンマに凄かった。「天地がひっくり返り神が声を発し、ここでチェリが火を吹いてパッションを忘れた時代に叩きつけた炎の指揮棒」の3乗を越えるインパクトだった。
それはさておき、この「皇帝」は、放送局からの蔵出し音源で音質上々。もちろんステレオである。
粘らずにすっきりと進むスタイルは、EMI盤のチェリしか知らない人が聴いたら「ウソ!?」と言うかも知れない。
でも、チェリの美質は、実はこういう所にあって、それはずっと変わらず持ち続けていたと、私は思っている。このスタイルに、年と共に音符トレースがより微細になり、テンボが遅くなったり局部拡大的になったりしていったけど本質は同じ、そう思っている。
フレーズの終い方は、美しい鳥のソフトランディングのスロー映像を見ているような可憐さ。
ミケランジェリの音は、いよいよ青白い炎をゆらゆらとあげ、それはまた金剛石の粉を吐いているような宮沢賢治的美しさ。
オケもピアノも、そのウィーン・ムジークフェライン大ホールみたいな黄金色の音がまばゆい。
ああ、70年代のチェリをもっと聴きたい。
HMVサイト→
およそ「宗教」というものについて、いつも懐疑的な言葉を吐いては周りを不快にしている私であるが、何事かを「願い」「祈る」という心は持っており、昨日は二男といっしょに「初詣」に行って来た。
初詣と言っても、自宅から歩いてウン十秒ほどの距離にある小さな社に行っただけ。盟友のんちゃんの初詣には足元にも及ばないが、まあいいか。
その「神社」は、面積2坪足らずの簡素なもの。以前は、もうちょっと広かったのだが、新しい道路ができたことにより面積を大幅に縮められて、申し訳なさそうに歩道沿いに佇んでいる。まあ、神仏のおわします所の広さ大きさにご利益の違いがあるとは思えず、これでええかと・・・。二男「けん」は、お墓や神仏に手を合わすことはきらいではないらしく、ニコニコ顔で合掌していた。
そして、昨日の午後は、子どもたちプチ連れ出し支援の間に、延期になっていた新年初の音盤タイム。
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番『皇帝』
ピアノ:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
管弦楽:スウェーデン放送交響楽団
指揮:セルジウ・チェリビダッケ
録音:1969年5月20日、ヘルシンキ文化会館
この演奏は、1970年にFMで放送されたらしいが、私はもちろん知らなかった。後に、音質劣悪な海外盤からのコピー盤が国内盤として出たのは73年以降だったか?たしか、ジャケット写真に73年のミケランジェリ来日時のものを使っていた。友人に借りてカセットにコピーしたが、あの音ではたいして感動もしなかった。
70年代前半のチェリビダッケのディスクと言えば、私の覚えている範囲では、この音質劣悪「皇帝」の前後に、映画のサントラで「エグモント」序曲があり、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とプロコフィエフの交響曲第1番(いずれもベルリン・フィル)、チャイコの5番が出てたくらい。あとでモーツァルトの25番も出たっけ。それは買わずに、ずっと後でCDで入手した。
FMでは、72年のブルックナー9番が手元にテープがある。これはシュヴェツィンゲン音楽祭のライヴで、えらい残響の長い雰囲気満点の演奏だ。「もしかして、チェリビダッケってすごい指揮者?」という評判が広がりだしたのは、このライヴからではなかったか。演奏後のトークで指揮者の大野洋氏が「腰から下が見事に動かないのでございます」みたいなことを言っていたのがなぜか記憶に残っている。
私のディスカバリー・チェリは、もう何度も書いている74年夏のFMライヴから。
あれはホンマに凄かった。「天地がひっくり返り神が声を発し、ここでチェリが火を吹いてパッションを忘れた時代に叩きつけた炎の指揮棒」の3乗を越えるインパクトだった。
それはさておき、この「皇帝」は、放送局からの蔵出し音源で音質上々。もちろんステレオである。
粘らずにすっきりと進むスタイルは、EMI盤のチェリしか知らない人が聴いたら「ウソ!?」と言うかも知れない。
でも、チェリの美質は、実はこういう所にあって、それはずっと変わらず持ち続けていたと、私は思っている。このスタイルに、年と共に音符トレースがより微細になり、テンボが遅くなったり局部拡大的になったりしていったけど本質は同じ、そう思っている。
フレーズの終い方は、美しい鳥のソフトランディングのスロー映像を見ているような可憐さ。
ミケランジェリの音は、いよいよ青白い炎をゆらゆらとあげ、それはまた金剛石の粉を吐いているような宮沢賢治的美しさ。
オケもピアノも、そのウィーン・ムジークフェライン大ホールみたいな黄金色の音がまばゆい。
ああ、70年代のチェリをもっと聴きたい。
HMVサイト→
私も年末に届いて聴いてます。
ほんと大変いい音で楽しめていいですね。。。
久々に正座をして聴いてしまいました。
ミケ&チェリはたしかフランス国立とやったのも海賊版で持っていたのですが、探し出して聴き比べないといけません。
ミケに関して言えばCDになっているジュリーニとのウィーン響との映像をまだ東京にいるときに、それこそ年末年始に民放で夜中に5-6時間放送したなかで放送され録画してあって、それを
ビデオで流しながらステレオでCDをかけてよく
観ていました。あれがDVDやブルーレイで観れる日がくればいいのですが。。。
いい演奏ですね。
フランスのオケとやったのはLPで持ってました。あれはモノラルながら音は良かったですね。オケ部分の晴朗さはこの演奏と同じでした。CD-Rにコピーしてレコードは売っちゃいましたが・・・。
ジュリーニとの映像は三重テレビでやってたような記憶が・・・定かではありませんが。
あれ、本当に正規発売されないですかねぇ。
クラシックのDVDは全く売れないようなので期待薄ですけど・・・。
チェリビダッケは私には最盛期はシュトゥトガルト時代と感じています。DGから出ている当時エアチェックしたシュトゥトガルト時代の数々の録音を聴き憧れて、ミュンヘン時代の彼の来日に期待しながら足を運んだその演奏にもの凄い怒りを覚えたのを今でもしっかりと覚えています。あの時の彼には仰るとおり遅いテンポでの局部拡大のあざとさが私には許せませんでした。この「皇帝」もROCOCOから出ていたと記憶していますが愛聴盤だったのに。
でもこのエントリを読んで久々に針を通してみたらやはりなかなかの名演でした。
懐かしいです。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
ミケ・チェリの皇帝は知りませんでした。
チェリのミュンヘン時代は、まったくといっていいほど聴いてませんが、シュッツトガルト時代はNHKの恩恵で数々のカセット録音ができました。
近代ものが特に素晴らしかったと思います。
記事を拝読して、苦手な皇帝ですが、聴いてみたいと思いました。
そして、本日わたしも定番ですが、皇帝してみました。
本年もよろしくお願いいたします。
私もチェリの魅力は70年代、つまりシュトゥットガルト時代が最盛期だと思います。まあ、私はそれ以降も嫌いではありませんが・・・・。ミュンヘンに移ってからは、yurikamome122さんが感じられたように、「もの凄い怒り」を覚える方も見えるようなスタイルへと変わっていきましたね。
逆に、あの神経をピリピリさせるような過度に抑制を利かせたダイナミズムは後退して、けっこうおおらかに鳴らすようにもなっていったと感じました。
最近、私は、どうも節操の無い聴き方に拍車がかかっていますので、「ピリオドは好きでない」と言いながらも、けっこう聴いていますし、多くの方々が「なんじゃあれは?」と眉をしかめるチェリ晩年の演奏もニンマリ受け入れて楽しんでおります。
しかし、この「皇帝」は、そんなチェリ嫌いな方々にも「まあ聴いてみてください」と薦めたくなる演奏だと思います。
それにしても、指揮者に限らず人の移ろい行く様は、どんな道を辿るにせよ一本道なわけで、愛おしいものですね。
私も長らく「棚の肥し」になっていますが、金ジャケットのレコードは高校の時、音楽室準備室から拝借して聴きこんだ懐かしい演奏です。「月光ソナタ」とカプリングされてましたね。
実は、ベートーヴェンのコンチェルトって普段はあまり聴きません。聴きませんよね。
なんか、長くて飽きてくるんですよね。くどしい、単色っぽいし・・・。
特に「皇帝」と3番は苦手です。以前にゼルキンの記事書いて以来、聴いてなかったかも知れません。バイオリン協奏曲もディスク鑑賞では敬遠しがちです。
ピアノ協奏曲2番が一番いいですね。今の自分には。
まあこの頃の「協奏曲」というスタイルそのものが、今の私たちには「冗長」「退屈」と思わせる要素がお約束として盛り込まれているわけですよね。
それが他のジャンル(シンフォニイやソナタなど)と違うところでしょうね。
まあ、しかし、このコンビの演奏は「聴いてみよう」と思わせ、そして満足させられました。