私は、どちらかというと裕福ではなく貧乏な家庭に生まれました。小学校の時から牛乳配達や新聞配達を親に言われることなく自分から探してアルバイトをしました。中学校の九州一周の修学旅行費用も自分で全額出しました。アルバイト人生は、大学まで続きました。家族の愛情には恵まれていたためそれを苦にしたことはありません。家は、セメン瓦屋で雨降りにはいつもバケツを用意して。ポタポタ落ちる水の音が懐かしいです。近所の友達には、「お前の家、窓がないな。」と、笑って馬鹿にされたこともあります。実際、窓はありましたがガラス窓ではなく、雨戸を閉める窓でした。
貧乏でよかったこともあります。無ければ自分で作るという習慣ができたことです。以前、あるお客様から相談を受けました。「沖縄本島からトイレのINAXから2名来たが、今の自宅に便器をつけるにはタイルはハツル必要があり、工期に3日を要する。」と、言われたが「何かいい方法は無いか?」という内容です。「一度現場を見せていただけますか?」と、現場に向かいました。 結果、「これなら新しいトイレを2時間で設置できます。」と、回答しました。 メーカーの人間、マニュアル人間は、部品がなければこういう方法しかないと囚われます。私は、発想を柔軟にする訓練を小さい頃から何度も積んだおかげで解決策をすぐに思いつきました。このケースは、既存の部品を加工して、必要な部品を作って解決しました。トイレは、何十年も使用するものなので耐久性も考慮して部品を選択しなくてはいけません。有限実行して無事に新しい便器を設置したらお客様も大変喜ばれていました。
自分が貧乏な家庭に生まれていなければ、できなかったことだと思います。