今日のネットニュースで、こんな記事を見つけました。
20代後半で、結婚した私。
(前にも書いたお話です。)
子供が授からないと悩みだしたのは、結婚2年目あたり・・・。
私は、結婚すれば、子供が授かるのが当たり前だったし。
私も夫も、どこも不妊の理由が無いのに、子供が授からないなんて、
なかなか受け入れられませんでした。
たまたま、その当時、夫の仕事の都合で、関西でも南の地域に住んでいた時に、
公民館で知り合ったオバサマが、「大根を取りにおいで」と言うので、
おじゃましたところ・・・。
私の不妊の話になり、
そのオバサマ曰く、「結婚して、2年目で不妊なんて、大したことは無い。
私なんか6年間不妊治療を続けて、頑張って授かったんだ。
2年で、不妊何て言って欲しくない」
その時、私はそうなんや・・・と思ったんですが、年数とかそういうので、
どうのこうのということもないと思います。
結婚して2年でも不妊だな・・・と、今でも思います。
最初、病院にかかったのは、30歳の時だったかな?
(今そのクリニックは無いようですが、)片道1時間かけて、
関西の有名な不妊専門のクリニックに数回通院したものの・・・。
3つのタイプの一つの漢方薬を飲むように言われて(加味逍遥散)、
初めてなのに、そこの看護師さんに、「貴女の漢方薬の名前は何ですか?」と、
いきなり言われて困ってしまい、
答えられない私がいけないみたいに、責められたこともショックでした。
(当時、漢方薬に詳しくなくて、初めてなのに、お薬の名前を暗記するのは無理です。)
その後、採血など検査を受けたものの、何だか不妊クリニックに、違和感をすごく感じて、
そこの病院は止めてしまいました。
何だか、ベルトコンベアーに乗せられて、不妊治療を受けているような雰囲気が、
あって、心がシンドイと言うか?
待合室の雰囲気も、シンドクて・・・。
評判のクリニックだったようですが、皆、不妊に悩んでいる女性ばかりが、
待合室にぎゅうぎゅうで、検査途中で気分が悪くなっても、座れる椅子も無い
そんなクリニックでした。
その後、引っ越して、再度働きながら、仕事帰り途中下車して、
今度は普通の婦人科に通い、
不妊治療と共に、再度検査を受けるも、夫婦ともども、異常なし。
じゃあ、次は?となった時に、仕事のストレスもあって、持病の無痛性甲状腺に
なってしまい、不妊治療を中断し、甲状腺専門病院に通うことに。
ある甲状腺の専門医からは、
「大きな不妊治療の病院に通って、体外受精をした方が
早いのでは?」と言われました。
帰宅後、夫に相談して、「体外受精を先生から勧められて、行きたい」
と相談したところ。
夫からは、「りぼんの身体が心配だから、諦めよう。」と、
言われ・・・泣く泣く、
ここで、私の不妊治療は、終わってしまいました。
その後、実父の急死もあって、体調を崩し、子供を完全に諦めたのは、
今から、20年くらい前、37歳の時です。
私は、不妊を通して、世の中努力しても報われないことがあることを、
知りました。また、そのことを受け入れるのには、なかなか大変で、
すごく時間がかかりました。
ただ、今でも、苦手なのは、産婦人科の病室で、赤ちゃんと家族に囲まれた妊婦さんや
出産シーンが出てくると、ちょっと止めて・・・となるんです。
子供は好きだし、赤ちゃん観ても可愛いと思えるので、おそらく、
妊娠・出産できなかった自分が、そういう体験を出来なかったのがツラいのかも?
しれませんね。
「光る君へ」などで、赤ちゃん産まれました・・・くらいだったら、
どうも思わないんですよね。
夫には申し訳ないけど、関西ローカルの赤ちゃんが出てくる夕方のテレビ番組の
時は、チャンネルを変えてもらっています。
命のバトンとか、そういう言葉も苦手です。
病気も当事者しか、分からないことがあるように、
不妊も当事者しか、分からないこともあります。
不妊で悩んでいる時は、色んな人から、これでもか?というくらい、色々言われました。
職場でも、義母からも、実母からも。夫も、職場で言われたそうです。
今は、両家とも、疎遠状態なので、誰も文句を言う人も無く、
私達夫婦にとっては、人生の夏休み みたいなものかも?しれません。
私は、ちょっとずつですが、お人形の服を作って、
ドールセラピー&チクチクセラピーを
楽しみたいと思います。
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