地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

花嫁【「済州島原産説」信じて桜解禁】

2013-04-06 20:50:24 | 今日の御言葉

イエスは言われた。

「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。

花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。


『マルコによる福音書』 / 2章 19節 新約聖書 新共同訳




父母の心情は

息子が自分より素晴らしくなることを
願うことであり、

神様も人類の父母でいらっしゃるので
ご自身がつくられた人間が

よりよくなることを願われる。





◆韓国でも愛される“日本人の象徴” 

「済州島原産説」信じて桜解禁


■産経新聞 2013年4月6日 13時25分配信


【緯度経度】


 韓国も桜が満開だ。韓国最大の桜の名所である南部の鎮海は先週末から今週初めが絶頂で大いににぎわった。ただ今、北上中の桜前線は来週にはソウルに達しそうだ。

 鎮海は日本統治時代から軍港で、今も韓国海軍の基地や海軍士官学校があり、桜祭りは「軍港祭」といわれている。全市内が桜で満開時はすごい風景だ。これでもか、これでもかという韓国人特有の“多情さ”だろうか。

 鎮海の桜は日本時代に始まるが、あれだけ壮観になったのはその後、地元の人たちがせっせと植えたからだ。ただ、あんなに押せ押せで迫られると、いくら桜好きの日本人でもちょっぴり疲れる。

 筆者が選ぶ韓国の“桜3景”は鎮海を除いて(1)南西部の智異山に近い双●=石へんに蹊のつくり=寺の山道(2)南西部の全州市と群山市をつなぐ全長40キロにおよぶ「繁栄道路」の桜並木(3)古都・慶州の桜並木-といったところか。

 番外として、群山の港が見える丘の「月明山公園の桜」も絶景だ。

 ソウルでは、都心の南山に点在する桜の遠景がいいが、市民にとっては何といっても漢江の川中島で「ソウルのマンハッタン」ともいうべき汝矣島だろう。

 ここの桜は国会議事堂周辺をスタートに全体に広がったが、最初の桜は1970年代に日本の日韓親善団体から贈られたものだ。国会議事堂の周辺に韓国人が“日本の象徴”という桜をよく植えたものだと感心する。起源はともかく、今やワシントンのポトマック河畔の桜と同じく春の名物として市民を楽しませている。

 韓国で桜の花見が市民権を得たのは90年代以降といっていい。それまでは「日本の国花だからケシカラン」などといってよく排斥された(日本で“国花”にあたるのはむしろ菊だが)。

 そのためソウル市内の故宮では引っこ抜かれて移転を余儀なくされたり、地方都市では日本から友好親善で贈られた桜の苗木が倉庫にしまい込まれたりしたこともある。

 韓国人の間で桜が“解禁”になったのは、マスコミを通じ「韓国にも桜の自生地があった」として「桜は韓国のもの」とする説が広がってからだ。とくに南部の“済州島原産説”が信じられ、韓国人は安心して桜を楽しむようになった。

 済州島原産とする桜を「ワンポッナム(王桜の木)」といい現地では毎年、「ワンポッコッ祭り」が開かれている。

 ところで大昔、「耽羅国」といわれた済州島には地中から生まれた3人の王子を始祖とする建国神話がある。高、梁、夫を姓とする3人が生まれ出た穴ぼこを「3姓穴」といい、済州市内にその史跡公園がある。公園には大きな桜の木があって「ワンポッナム」と表示されている。

 ところが案内板には学名として日本人の名前の入った英語表記があり、日本語でも「染井吉野(ソメイヨシノ)」と表記されている。実に正直である。済州島の桜も日本産だったのだ。

 神話によると始祖の3王子は東の海のかなたの「碧浪国」からきた3人の姫と結婚し耽羅国を建てたという。「碧浪国」は日本ではないかといわれている。日本からやってきた桜も今や韓国の桜になってみんな楽しんでいる。花に罪はない。それでいいのだ。

(ソウル 黒田勝弘)



(写真参照)
『とれんどNOWの最新ニュース』
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寛容【ローマ教皇?法王?どっちが正しい 教会は「教皇と呼んでください!」 】

2013-04-06 00:56:45 | 今日の御言葉

(写真) バチカン国旗


愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。

愛は決して滅びない。


『コリントの信徒への手紙一』13章 4節 新約聖書 新共同訳



愛はなぜ偉大なのでしょうか。
それは生命の源であるからです。
みなさんは父母の愛の中から生まれました。
愛の中から生まれたので
愛によって結実しなければなりません。
だから子どもが必要なのです。
夫婦が一つになり息子・娘がいるとき
完全なのです。



▲東京・千代田区の「ローマ法王庁大使館」。
日本政府は原則「法王」を使用している。


◆ローマ教皇?法王?どっちが正しい 教会は「教皇と呼んでください!」


■J-CASTニュース2013年3月14日



「あれ、ローマ『法王』と『教皇』って、どっちが正しいんだっけ?」――2013年3月13日、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)が就任するニュースを聞いて、そんな疑問を持った人は少なくないはずだ。

さっそく確かめてみると、政府機関や報道はいずれも「法王」を使っている。ところがカトリック教会では、「教皇という名称を使ってください」と呼びかけている。いったいどういうことなのか。


【政府・新聞・テレビは原則「法王」】


まず日本政府だが、こちらは1942年の外交関係樹立以来、一貫して「法王」を採用している。たとえば2013年2月12日、安倍晋三首相は退位を発表したベネディクト16世にメッセージを送っているが、ここでは「ローマ法王ベネディクト16世台下」との表記だ。東京・千代田区にあるバチカンの大使館にも、「ローマ法王庁大使館」との表札がかかる。

主要マスコミも、大半が法王派だ。新聞各紙を始め、NHK・在京キー局などはいずれも法王と呼んでいる。固有名詞を引用する際などには「教皇」と書く例もあるようだが、基本的には法王一色と言っていい。

しかし、日本のカトリック教会を統括する宗教法人カトリック中央協議会は、強硬に「教皇」が正しいと主張する。協議会のウェブサイトには、わざわざそのことを説明するためのページが設けられている。

これによれば協議会では1981年、ヨハネ・パウロ2世の来日にあわせ、これまで混乱していた表記を「教皇」に統一することに正式に決めた。

「『教える』という字のほうが、教皇の職務をよく表わすから」
というのがその理由だ。

そこで、外務省にも呼び方を変えてもらうよう申し入れたのだが、「日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できない」という理由で断られてしまった。マスコミ各社にもたびたび教皇使用を依頼したが、こちらも実現しなかったという。



「こうしていまでも『法王』と『教皇』が混用されているのです。皆様には、『教皇』を使っていただくよう、お願いする次第です」(協議会ウェブページより)



ただし協議会の活動の甲斐あってか「教皇」もかなり一般化し、たとえば高校世界史教科書は現在、ほぼすべてが教皇を採用している。



【正式表記は凄く長い】


いっそ国も、そろそろ教皇にしていいのでは? 外務省に尋ねてみたが、

「どちらも日本語としては一般的に使われていますし、こちらとしてはずっと公式に使ってきたものなので……」
と煮え切らない。なおネットなどでは教皇の「皇」の字が「天皇」に通じるため遠慮して法王を使っているのでは、という説もあるが、外務省では「初耳。スペインなど、王制の国の王位継承者を『皇太子』と呼んでいるぐらいですから、勘違いでは」。

ちなみに教皇にしても法王にしても、日本などでしか使われていない一種の「意訳」だ。正式には、以下のような長い肩書きを名乗っている。



「ローマの司教、イエス・キリストの代理者、使徒たちのかしらの後継者、普遍教会の最高司教、イタリア首座司教、ローマ管区首都大司教、バチカン市国元首、神のしもべたちのしもべ」



一般には父を意味する「パパ(Papa)」と呼ばれ、日本でも戦国~江戸初期には、神父を「パードレ」と呼んだ要領で、西洋式に「パアパ(パッパ)」としていた(どちりな・きりしたんなど)。江戸中期の儒学者・新井白石が「教化之主」(本来は釈迦など高僧の意)と記した例もある。それと比べれば、教皇も法王も比較的新しい呼び方のようだ。




▲第266代 「教皇」フランシスコ
(アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76) )



◆あるいは、神の憐れみが
あなたを悔い改めに導くことも知らないで、
その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。


『ローマの信徒への手紙』2章 4節