子たちよ。わたしたちは
言葉や口先だけで愛するのではなく、
行いと真実とをもって愛し合おうではないか。
【ヨハネ第一の手紙 3章18節】 新約聖書 口語訳
人間は何のために生きるのでしょうか。
人のために生きるというのなら
どれほど素晴らしい答えでしょう。
愛の結実として生まれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に帰るようになっているのが
創造本然の人間の生なのです。
★人を愛し、
高め合う所が、天国です。
◆新法王 教会刷新に本腰 現状批判、ヨハネ23世の言動を手本
■世界日報日本語版 2013年4月8日
新法王 教会刷新に本腰
現状批判、ヨハネ23世の言動を手本
南米教会初のローマ法王、フランシスコ法王は歴代の法王が思いも付かなかったアッシジの聖フランシスコの名を法王名に付け、貧者の救済を標榜し、教会の刷新に乗り出す姿勢を示している。それだけではない。新法王は第2バチカン公会議の提唱者で近代法王の中でも信者たちから最も愛されたローマ法王ヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)の言動を手本としている。
(ウィーン・小川 敏)
公会議で“開放”推進
貧者の救済を標榜
復活祭前最後の木曜日(先月28日)はイエスが弟子の足を洗った故事に倣って「洗足木曜日」と呼ばれる。法王はその日、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂で聖職者の足を洗うのが慣例となってきたが、フランシスコ法王はその慣例を破りローマ市内の少年院に行き、そこで12人(2人は女性)の若者の足を洗った。ヨハネ23世の法王就任最初の訪問先も刑務所だった。
法王選出会(コンクラーベ)で法王に選出された直後、新法王はサンピエトロ広場に集う信者たちに最初のあいさつをした後、「お疲れさま、家に帰りお休みください。子供たちにもよろしく」とあいさつし、信者たちを驚かせた。そのような日常会話的なあいさつを法王の口から聞いたことがなかったからだ。しかし、これも初めてではない。ヨハネ23世も全く同じあいさつをしている。新法王の最初のサプライズは文字通り、ヨハネ23世を完全にコピーしたものだった。
それでは、フランシスコ法王はどうしてヨハネ23世を意識し、その言動を真似るのだろうか。それを理解するためには、第2バチカン公会議(1962~65年)の意義を知る必要がある。世界のローマ・カトリック教会は昨年10月、公会議開催50周年を記念するイベントを各地で開催したばかりだ。
ヨハネ23世は62年10月11日、「教会の窓を大きく開けよう」という言葉をモットーに、約2800人の枢機卿、司教たちをサンピエトロ大聖堂に集め、第2公会議を開始した。同公会議では、ラテン語礼拝の廃止、エキュメニズム(教会一致運動)の推進など、教会の近代化が決定された。
オーストリア・ザルツブルクのアロイス・コートガッサー大司教は「第2公会議は21世紀の教会が歩むべき方向を照らす確実なコンパスだ」と指摘し、その成果を評価する一人だ。
一方、新法王はコンクラーベ開催前に開かれた枢機卿会議で「教会は病気だ」と檄を飛ばし、「自己満足なナルシストの世界から脱出して外に出よう」と教会の刷新を強くアピールして、同席した枢機卿を驚かせたばかりだ。
法王はコンクラーベ前の準備会議で「自己中心的な教会はイエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。これは病気だ。教会機関のさまざまな悪なる現象はそこに原因がある」と主張し、「二つの教会像がある。一つは福音を述べ伝えるため、飛び出す教会だ。もう一つは社交界の教会だ。それは自身の世界に閉じこもり、自身のために生きる教会だ。それは魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投げ捨ててしまう」と述べた。
現教会体制への厳しい批判だ。このような批判を行った枢機卿が90%以上の支持を得て法王に選出されたということは何を物語るのか。114人の枢機卿の多くも教会の刷新がなければもはや存続できないと肌で感じていたことを示している。
ヨハネ23世とフランシスコ法王の写真を比較すると、ふっくらした顔つきや雰囲気はよく似ている。両法王は外見以外にも似ている点がある。ヨハネ23世は法王に選出された時、既に76歳だった。フランシスコ法王も76歳で選出された。ヨハネ23世は素朴で笑顔を絶やさず、ユーモアと親しみで当時、信者たちを魅了した。フランシスコ法王の言動も同じように、世界に新鮮な感動を与えている。
新ローマ法王が先輩法王から学び、その言動を模倣することは批判されることではない。ヨハネ23世は在位が5年弱と短かったが、近代のカトリック教会史に残る功績を残した。果たして、南米教会初のローマ法王はどのような成果を上げるだろうか。新法王がヨハネ23世に倣って教会の改革に乗り出すことは間違いない。
【アッシジの聖フランシスコの言葉】
わたしをあなたの
平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠のいのちをいただくのですから。