あなたがたも祈りで援助してください。
そうすれば、
多くの人のお陰で
わたしたちに与えられた恵みについて、
多くの人々がわたしたちのために
感謝をささげてくれるようになるのです。
「コリントの信徒への手紙二」/ 1章 11節
新約聖書 新共同訳
【東日本大震災3年】
★NYの教会で3・11追悼式典 -
◆MSN産経ニュース2014年3月11日
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▲追悼式典でスピーチをする
ニューヨーク福島県人会の藤田小夜子会長(左)
=9日、ニューヨーク(共同)
【ニューヨーク=黒沢潤】
東日本大震災から3年になるのを前に、米ニューヨーク市の教会で9日、追悼式典が開かれ、集まった邦人ら約400人が犠牲者に祈りをささげた。
主催者代表で、ニューヨーク在住のシンガー・ソングライター、AK(柿原朱美)さんはあいさつで、「被災地の人々からは『忘れられていく』との不安の声も出ている」と述べ、苦境が続く被災者への配慮がなおも重要だと訴えた。
また、ニューヨーク福島県人会の藤田小夜子会長は、東京電力福島第1原発事故に関連し、「自然への畏怖」を失ってはならないと強調した。
式典では、福島県相馬市の保育園児たちが歌う姿や、岩手・宮城などの被災者が復興に向け懸命に取り組む様子などがビデオ映像を通じて紹介された。
(MSN産経ニュース2014年3月11日)
★【3.11特集】
震災3年目の祈り
フクシマが乗り越えてきた三重苦
―福島教会 : 教会 :
◆クリスチャントゥデイ 2014年3月10日
http://www.christiantoday.co.jp/articles/12962/20140309/shinsai-3-years-prayer-2.htm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/76/998a23feb2d5afff514b4199a89831db.jpg)
▲新会堂の建築模型は
すでにできあがっている。
写真奥は講壇に立つ似田牧師
=6日、福島教会の伝道館で
福島教会にとっては、信仰も揺れ動かされるような日々だった。信徒の避難や移住だけでなく、専任だった若い牧師が去り、無牧となった。大阪から似田兼司牧師夫妻を迎えたのはその年の12月。まだ放射能数値の高い場所が次々と見つかっていた。
「求めがあるのなら、私たちが行こうと思いました」と似田牧師は言う。「若い人は無理だから、私たちなら」と祐子夫人も笑顔で言葉を添える。
「自分は行きたいと思っている、と言う若い牧師もいましたよ」と似田牧師は続ける。「でも、彼の奥さんから『あなた、行ってらっしゃい』と言われたそうで・・・」(笑)
原発に近接して、津波被害も大きかった浪江町避難者のための仮設住宅が、教会から徒歩10分ほどの所に建てられ、今も多くの人が生活している。福島教会ではチェロとピアノのコンサートを催して案内状を届けるなどしてきた。コンサートには多くの聴衆が集まったが、避難者が教会に通うようになったという話はまだ聞かない。
祈祷会のあった木曜日の午後には、複数の業者を招いての新会堂建築説明会が開かれた。すでに設計図も建築模型もできていて、予算と見積りの調整が課題だ。福島教会のために祈り続ける全国の人々から献金が寄せられてきているが、建築に必要充分な額には届いていない。
今も海外から励ましの手紙や手作りの品が送られてくる。この教会には「奇跡の鐘」と呼ばれる宝が大切に保管されている。高さ48cm、口径50cm、重さ59kg。日露戦争の戦利品を潰した金属で造られた鐘で、かつては鐘楼から街中に音色を響かせていた。
太平洋戦争中に軍の命令で供出させられ、溶鉱炉に消えたとばかり思われていた鐘だが、戦後になって突然「返還する」と通知される。どういう経緯かその鐘が戦利品としてワシントンに運ばれ、刻まれた「福島」の名を見たワシントンの教会の人々が、「なんということをしたのか。この鐘は返さなければ」と返還運動を起こしたという。
アメリカ海軍の船で横浜港に届けられ、福島教会に戻ってきたこの「奇跡の鐘」は、新会堂が完成したら、そこで展示される予定だ。
この日の祈祷会では詩篇62が朗読されていた。「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら」。似田牧師の力強い講解がそれに続いた。「神様以外のなにものにも救いを期待しない。守る力が神様にある。そのような堅い信仰です」
http://www.christiantoday.co.jp/articles/12962/20140309/shinsai-3-years-prayer-2.htm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/1b/e2e6bfd47b7be4a54d40af2cc506be48.jpg)
(2011年 写真)
▲http://tokyoshakyo.org/results/index2011.html
★「忘れない」を忘れない
3.11列島ドキュメント
◆朝日新聞デジタル 2014年3月11日
6:00 岩手県宮古市 市全域での津波避難訓練に約1400人が参加。笹川義高(よしたか)さん(81)は「まさかおらの所までは津波は来ねべと思ってたがね、あの時までは。恐ろしかった。日頃の訓練は大事だよ」。
6:00 長崎市 長崎原爆で被爆し、再建された浦上天主堂でミサが始まる。信徒ら約100人が震災の犠牲者のために祈った。修道士の阿部光一さん(57)は毎月11日、朝から夕方まで祈りを捧げる「祈りのリレー」を開いている。「震災を忘れないために毎月続けている。全国の人たちとともに祈り続けたい」
9:00 岩手県大槌町 旧役場庁舎前で、津波で犠牲になった町職員40人を追悼。一人ひとりの名前を読み上げた碇川(いかりがわ)豊町長は「大槌を頼むよと背中を押されている思い。一丸となって復興に取り組んでいく」。
9:00 秋田県男鹿市 県や市、NTTドコモなどが準天頂衛星「みちびき」の位置情報をもとにした国内初の避難訓練を実施。参加した榊(さかき)正子さん(56)は「もしもの時に使えるようになれば、多くの人が命を失わなくて済む」。
9:10 福島県南相馬市 鹿島区の南右田海岸を門馬麻野(まや)さん(35)が訪れ、近くの自宅跡に花を供えた。
消防団員だった夫の孝文さん(当時35)は、住民の避難誘導中に殉職。「3年という時間の実感は全くない。骨さえ見つかっていないのだから、半信半疑のまま。死と向き合うことなどできません」
午後2時46分には同僚だった消防団員7人も訪れ、追悼。伊佐見真一・分団長(55)は「決して風化させてはならない。これからも、ずっと続けていく」と話した。
9:10 秋田県庁 県内への避難住民約1千人について、佐竹敬久知事は「震災から3年が経ち、子どもたちの進入学などを考えれば、希望者には秋田の人間になってもらうためいろいろなフォローをすべき時期に来た」と述べ、定住促進策を進めると初めて表明。
10:20 仙台市若林区 荒浜地区の慰霊塔に、埼玉県から被災地支援ツアーのバスが到着。東松山市の主婦加島好(よし)さん(76)は「何とも言えない気持ちになる。これからも被災地を応援していきたい」。
11:00 鹿児島県庁 市民団体「原発ゼロをめざす県民の会」が、九州電力川内原発の再稼働を認めないよう求める伊藤祐一郎知事あての申入書を提出。
11:00 宮城県気仙沼市 石材業岩渕博昭さん(57)が知人ら154人の名を刻んだ慰霊碑の除幕式が神社で。「お礼と恩返しの気持ちをこめた。自分にはこれしかできないから」
11:35 福島県庁前 約120人が脱原発デモ。福島県郡山市の黒田節子さん(63)は「声をあげることを無駄とは思わない。私たちはあきらめていないということを知ってほしい」。
12:00 金沢市 福島県いわき市から自主避難している森島幹博さん(48)が有機野菜をメーンにしたカフェをオープン。「気持ちが落ち込んだ家族を支えるのに精いっぱいだったが、やっと再スタートを切れた。避難者の交流の場にしたい」
13:00 福島県浪江町 避難指示区域内で自治体による唯一の追悼式。両親と弟を失った准看護師本居春江さん(29)は「この惨事を経験した私たちにしかできないことがあるのではないか」と呼びかけた。
13:30 鹿児島市の鹿児島地裁 鹿児島、宮崎、熊本などの住民147人が、九州電力川内原発の運転差し止めを求める訴訟で第5次提訴。原告団は「福島の原発事故の被害を忘れないよう、この日を選んだ」と記者会見で説明。
13:30 千葉県習志野市 京成津田沼駅前で市民グループが追悼行事。募金に応じた元会社員石井啓之さん(67)は「昔、福島県に単身赴任して営業で浜通りも回った。風化させてはいけない」。
14:15 神戸市中央区 東遊園地のガス灯「1・17希望の灯(あか)り」が分灯され、「3・11」の形に並べられた竹灯籠(とうろう)にともされた。岩手県陸前高田市の追悼集会の会場にもインターネットで中継。主催団体の白木利周さん(71)はこう呼びかけた。「復興の道のりは遠いかもしれませんが、神戸をはじめ全国のみなさんが支援していきます。ともに歩んでいきましょう」
14:15 岐阜市 音楽ホールで震度6弱の地震を想定し避難訓練。参加者は「地震が起きたら慌てる。日頃から訓練しないと」。
14:20 東京都江東区 福島県から避難した約1千人が暮らす公務員住宅「東雲住宅」で約200人が黙禱(もくとう)。避難者でつくる自治会副代表の高橋佑治さん(70)は「あの日から時間が止まっている。私が生きていられるのはあと10年ぐらい。貴重な3年を先の見えない不安のなかで過ごしてしまった」。
14:30 名古屋市 被災者支援グループによる追悼式。東海岩手県人会の石井弘子会長は「私たちはこれからも被災地と被災者に心を寄せていきます」。
14:30 長野市 善光寺で追悼法要。若麻績敏隆(わかおみびんりゅう)寺務総長(55)は「心に傷を負ったまま苦しんでいる方が大勢おられることに思いをはせ、共に歩んでいく必要がある」。
14:35 三重県庁 追悼式で鈴木英敬知事は「私たちの職責でできること、個人としてできることを改めて見極めていきたい」とあいさつした。
14:35 松山市 愛媛県への避難者らが「四国霊場第51番札所」の石手寺で追悼式。「3年たったが、心はふるさとにあることを改めて感じる」と福島県南相馬市から避難している渡部寛志さん(35)。
14:46 神奈川県鎌倉市 仏教、神道、キリスト教の約160人が鶴岡八幡宮で追悼・復興祈願祭。高井正俊・建長寺派宗務総長は「私たちにできるのは祈ること。毎年開き、鎌倉は被災地を決して忘れない、ということを伝えていきたい」。
14:46 宮城県石巻市 水産加工会社「ヤマサコウショウ」の工場では、従業員14人が仕事の手を休め、海に向かって黙禱(もくとう)した。
石巻漁港に近い工場は津波で全壊。従業員5人が犠牲になった。震災3カ月後に魚の切り身加工にしぼって工場を部分的に再開。2012年12月に二つある工場が完全復活と、歩みを進めてきた。
佐々木孝寿社長(48)は「私たちは生き残ったのではなく、生かされた。5人の分までがんばって、この地で勤めあげることが供養になる」と話した。
14:46 岩手県大船渡市 カトリック大船渡教会で、犠牲者を追悼するミサがあった。在日フィリピン人ら5人も参列。午後2時46分、防災行政無線のサイレンと教会の鐘が響く中、海に向かって手を合わせた。
岩手県陸前高田市の中名生(なかのめ)ロサリンダさん(39)は「今でもサイレンを聞くと、逃げなきゃと思って、胃がぎゅっと痛くなる」。津波で家を流され、仮設住宅で日本人の夫とその両親、8歳と5歳の娘と暮らす。
「3年はあっという間。これから家を再建するけど海が近い。子どもを守れるかどうか不安になる」
14:46 埼玉県加須市 最後の避難所だった旧騎西(きさい)高校で、福島県双葉町からかつて避難していた人々が黙禱(もくとう)。4月から埼玉県の看護専門学校に通う大石真子さん(18)は「今でも震災を思うと自然に涙があふれてくる。患者の悲しみがわかる看護師になりたい」。
14:46 三重県名張市役所 庁内放送で1分間の黙禱(もくとう)。市広報対話室の中木屋恵理子主査(43)は「まだまだ3年という思い。これからもできる限り被災地に協力したい」。
14:46 津市 高田中学校で生徒が黙禱(もくとう)。1年生が復興支援ソング「花は咲く」を英語で合唱した。堀江里茉(りま)さんは「今なおつらく苦しい思いをしている方たちがたくさんいらっしゃることを、私たちは決して忘れてはいません」。
14:46 宮城県名取市 閖上(ゆりあげ)漁港では、復旧工事に当たる潜水士や作業員らが、海に頭を垂れた。
地元の建設会社社長、吉田浩文さん(46)は、自身も潜水士。震災の日、消火ホースを体に巻き付けて水中に入り、4人を救助したが、3年たったこの日、頭をよぎったのは「4人しか助けられなかった」という後悔の思いだった。
まもなく港内の浚渫(しゅんせつ)工事に携わる。40人が行方不明の閖上地区。さらった土砂から遺体が見つかる可能性もある。「今も家族を捜し、区切りがつかない人がいる。見つけてあげたい」
14:46 宮城県石巻市 津波で多くの児童が亡くなった大川小学校では、300人以上の遺族や住民が防災無線のサイレンを合図に黙禱(もくとう)した。遺族会の鈴木典行会長(49)は「忌まわしい震災から3年。年月が経つにつれて、悔しさ、悲しさが増していく」。
14:46 岩手県宮古市田老 復旧工事が進む防潮堤の上に約300メートルにわたる人の列ができた。盛岡市からバスで訪れた高校2年の田村和真君(17)は「震災を風化させず伝えていくために、どうしてもきょう、被災地に立ちたかった」。
14:46 京都市北区 被災者5人が世界遺産の上賀茂神社に復興と原発事故収束を祈願するために参拝。宮城県石巻市から府営住宅に避難している男性(43)は「自宅は全壊した。生活再建のめどが立たず、石巻には戻れない。景色も変わり果ててしまった故郷を見たくない。つらくなるから……」。
14:47 福島第一原発 東京電力の広瀬直己社長が免震重要棟で黙禱(もくとう)した後、社員に向け訓示。「汚染水対策などで安全の意識を共有しよう。復興とは、この3年間に止まった時間を、再び前に進めること。それぞれの持ち場で能動的に仕事にあたっていきたい」
14:51 宮城県美里町 梅ノ木行政区で家族の無事を知らせる赤い旗を戸外に掲げる訓練。区長の内海政雄さん(69)は「万が一の時、力を合わせて救出するために旗は便利。訓練を重ねるにつれ、理解が得られてきた」。
15:03 新潟県の東京電力柏崎刈羽原発 横村忠幸所長が社員約350人を前に訓示。「安全に『これで終わり』ということはない。地域に信頼される発電所にしていきたい」
15:05 山形市 市役所前で追悼式典。福島県南相馬市から夫婦で避難する男性(59)は「もう漂流生活に疲れた。中古の家を買ってここに永住することを決めた」。
15:20 佐賀市 反原発の市民団体が佐賀県の古川康知事あてに九州電力玄海原発の再稼働に同意しないよう求める要請書を提出。操業停止訴訟原告団長の石丸初美さん(62)は「『絶対安全』がないのに、再稼働議論が進む。福島の事故から何も学んでない」。
16:00 三重県四日市市 市中心街で脱原発デモ。約40人が「原発いらない、未来を守れ」と訴えた。
17:26 千葉県旭市 15人が犠牲になった九十九里浜近くで、住民たちが大津波の襲った時刻に黙禱(もくとう)。実行委会長の仲條富夫さん(66)は「津波さえなければという思いはあるが、この時刻を忘れずに後世に語り継ぎたい」。
17:30 水戸市 茨城県三の丸庁舎前広場で、キャンドル5千本が点灯。集まった約150人が黙禱(もくとう)を捧げ、「故郷」を斉唱した。水戸市の主婦小豆畑(あずはた)明子さん(37)は「一日も早く、被災地の復興が進んでほしいと思いを込めました」。
18:10 宇都宮市 市中心部で追悼イベント。主催した大学生の小野塚夕佳さん(22)は、1年間休学して被災地でボランティアをした。600本のキャンドルで描く「PRAY FOR JAPAN」の文字に「東北だけの問題でなく、全国の人に忘れないでほしいという思いを込めた」。
18:00 三重県四日市市 市中心部の公園で、犠牲者を追悼するキャンドルに明かりがともされた。主催者は「あの日を忘れず、四日市からもできることを続けていきたい」。
18:30 福岡市 東京電力福島第一原発がある福島県双葉町の前町長、井戸川克隆さん(67)が講演。「再稼働を急いで、双葉町のようになりたいんですか」と訴えた。
18:30 広島市中区 原爆ドームの対岸でともされたキャンドル約500本を前に、集まった市民らが被災地に祈りを捧げた。3年前、茨城県ひたちなか市から避難してきた益成洋子さん(29)は「子どもが震災の日のことを怖がるため、一度も戻っていません。でも、広島の人が震災を忘れないでいてくれることはうれしい」。
19:00 岩手県大槌町 午後7時、子どもたちが風船を夜空に放った。
「天国の父ちゃんに会いたいな」という言葉をきっかけに、子供たちの遊び場を提供する社会福祉法人が企画。風船は大槌町の犠牲者数にあわせ約1300個を用意した。
久保惣良(そら)君(7)は、保育園で一番の仲良しだった友達あてに手紙を書いた。「天ごくでトミカでいっぱいまいにちあそんでっか?」。風船につけて空に飛ばし、「じゃあなー」と4回叫んだ。
(朝日新聞デジタル 2014年3月11日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ef/62ad38a52d9ecafa53b73bc81a7af96d.jpg)
(2011年 写真)
http://tohoku311.blogspot.jp/2011/04/blog-post_3362.html?m=1
【今日の御言葉】