神様の名前は言霊からできているのですが、その言霊が本当にすごいです。
日本語は、そのものが持っているエネルギーがそのまま名詞になっています。
例えば何かと何かをつなぐ境界線にあるものを「はし」といいます。
「は」は、端っこにあることを表す音なのですが、食べ物と口をつなぐお箸、岸から岸に渡る橋、そして実際に何かの端っこの端。
その名になったのは偶然ではなく、もともと音にエネルギーがあり意味がある。
その音の組み合わせが言葉になっているのです。
ちなみに音は世界共通ですから、例えば「か」は生命力なのですが、やはり古代エジプトでも「か」は生命力を表していました。
と言うようにその音に対してエネルギーは全世界共通なので、遠い国で同じような言葉を使ってものを表していると言うことがあります。
その文化がかつてつながっていると捉えることもできますが、もともと同じ音を感じ取ることができる人がいて、偶然にも同じ名前をつけてしまったこともあると思います。
そんなことを考えるとワクワクします。
もともと語源を探るのが大好きで、ラテン語など新しい単語を知ると、まずは語源を調べます。そして、その語源のさらに元になっている、最初にできた成り立ちの音も調べます。
山は、盛り上がっているから山になったのではなくて、その大地に、もともと盛り上がるようなエネルギーがあったから、盛り上がってしまった結果山になったのです。
この違いの意味は大きいのです。
ランダムにたまたまそこに山があったのではないのです。
大地が盛り上がら前から、山のエネルギーが先にあったのです。
つまりなるべくしてなったと言うことです。
名前もそうなのです。
その人の名前には使命がある。
これも必然です。
名前のことを氏名と呼ぶのも、命を使って生きる、もって生まれた目的のことを使命と呼ぶのも、偶然ではないのです。
なのであなたの名前にはあなたの持つエネルギーがあります。
ぜひ調べてみてください。
そんなことを考えていると、大昔の言葉、いわゆる大和言葉の成り立ちがすごいと思うし、もともと縄文の言葉だったと言うのにも深いものを感じます。
私は北海道に生まれた意味を考えるのですが、その1つに、アイヌ文化に直接触れる、縄文の文化が色濃く残る場所にいることがあると思っています。
特にアイヌの人たちの言葉に対する美しい表現力に感動します。
地名がその地域の特徴をうまく表現しているのです。
私の大好きな積丹は、シャックコタン、夏の村で、積丹に行った方は納得すると思います。
積丹ブルーと呼ばれる、他の場所にはない美しい青さと、夏の海と空。
冬になれば普通の景色に戻るかもしれませんが、夏の積丹は、唯一無二の美しさです。
そこを夏の村とさらっと名付けてしまえる感性。
そうやって一つ一つの音をひもといていくのが昔から大好きだったのですが。
雅な人たちはそれを知り尽くした上で、歌を読んでいたので、一文字一文字にかける思いは大きかったはずです。
口に出してしまったことが言霊になると言う意識も、今の人たちの何倍も強かったと思います。
そんな美しく、そして生きていく上で重要なことが、いつの間にか薄れてしまっていたことが残念です。
そういったことをたくさん伝えていきたいとやっぱり思っています^ ^